その手をずっと | ナノ
守ってあげないと
今日はいつものメンバーとは会わなかったから、悠太と二人で登校した。教室に着くとめずらしく千鶴が先に来ていて、挨拶を交わしながら席に着いた。相変わらず千鶴のテンションは時間を問わず高い。
「あ、昨日のテレビでさー」と千鶴が喋りかけてきた途端、急に教室が静かになった。でもそれは一瞬のことで、一気にまた騒がしくなった。
何かあったのかと思ってみんなの視線が集まる方へ目を向けると、名字さんが苦笑いを浮かべながらクラスの女子から質問責めにあっている。
そんな名字さんの左頬は白い湿布で覆われていた。名字さんの頬に不釣り合いなシップの白が、ひどく目立っている。やがてクラスの女子から解放された名字さんがやって来た。
「おはよー。数学の宿題やってきた?私すっかり忘れててさー」
「なっちゃん!?それどうしたの!」
「あぁ、これ?ちょっと親と喧嘩になっちゃって。思い切りビンタされちゃった」
痛かったー、と言いながら名字さんは頬を撫でる。無駄にヘラヘラする名字さんの様子が少しおかしい気がした。直感だけど、名字さんは嘘をついていると思った。
「名前!」
「お!なっちゃん、彼氏のお出ましですよ。朝からラブラブですなー」
名字さんの彼氏がやって来た。朝から嫌なもん見ちゃったなあ。
また睨まれるのかと思いきや、俺のことは視界にすら入れていないようだった。俺のことなんかもう眼中にはないんだろうか。
一方の名字さんは、呼び掛けられたのに何の反応もしていない。いつもの名字さんなら返事をするなり顔を見るなり、何かしら反応するはずなのに、俯いたままだ。
「名前、」
「………っ!」
名字さんの彼氏が手首をつかんだ途端、名字さんは思いきりそれを振り払った。少し体は震えていて、後退りして千鶴の机にぶつかった。名字さんが普通じゃないことはすぐにわかった。
「悪いんですけど、俺の方が先なんで」
名字さんもらいますね、と手を振り払われて放心している彼氏に告げてから、名字さんを連れ出した。
考えるより先に体が動いていた。とにかく名字さんをこの人から引き離さなければ。まずはそうするべきだとすぐに感じた。
この人と同じようにして手首を掴むと、振り払われることはなかったけど名字さんの体がビクリと小さく揺れた。そんな名字さんの姿に、心配は募るばかりだった。
* * *
名字さんを連れて屋上にやって来た。手を放して向かい合わせに立つ。名字さんは落ち着いたようで、体の震えはなくなっていた。
「どうしたの祐希くん?」
「……それ、あいつにやられたの?」
左頬を指差すと、名字さんは笑った。無理矢理に笑っているのはすぐにわかった。
「ちがうよー」
「嘘つかないでよ」
「嘘じゃないってば。親と喧嘩したのー」
「………」
嘘を突き通そうとする名字さんにイラついた。少しくらい、俺を頼ってくれたらいいのに。じっと名字さんの目を見たら「こわいよ」と苦笑いされた。
「名字さんって、男見る目ないんじゃない?」
「なっ、失礼な!」
「暴力振るう男なんて最低だよ」
「じゃあ要も最低?」
「要“も”?」
名字さんはしまった、という顔をした。目を少し泳がせたあと、小さく息を吐いて力なく笑った。
「祐希くんには敵わないなー」
「俺をはぐらかそうなんて100年早いですよ」
「0ひとつ多いよ」
普通10年じゃない?という名字さんに、俺は昔から100年派だよ、と返す。いつもどおり笑う名字さんに安心した。…いつもと違うのは腫れた左頬だけ。あまりに痛々しくて、かわいそうだと思った。できることなら代わってあげたい。きっと名字さんは何も悪いことはしていないのに。無意識のうちに、そっと左頬に触れていた。
「祐希く、」
「痛かったでしょ」
「……うん」
「今も痛いんじゃない?」
「………うん…」
名字さんの目にはうっすら涙が浮かんでいて、それを見た俺の胸は締め付けられたような痛みを感じた。もう名字さんに痛い思いはさせたくなくて、そっと抱きしめて頭を優しく撫でた。恥ずかしさとかは全然なくて、自然とこうしたいと思って体が動いていた。
「もう我慢しなくてもいいよ」
「………」
「俺しか見てないし、俺しか聞いてない」
「………かった」
「うん」
「痛かった」
「………うん」
「こわかったよ…っ」
名字さんは静かに泣いた。背中をゆっくりと摩る。名字さんを守ってあげないと、と何度も何度も思った。
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