その手をずっと | ナノ
浮かんで消える




※57話祐希目線


なんだかすごく安心する。体はぽかぽか暖かいし、ほんのり良い香りもする。

遠くの方で、野球部のノックをしている音が聞こえた。お願いします!と部員の張り切った声が聞こえたかと思えば、カキンッと金属音が鳴り響く。練習を再開したのか、吹奏楽部の楽器の音も聞こえてきた。これはトランペットかな。こっちは…なんだろう。クラリネット?


「祐希くん、苦しい…」

「!ごめん」


名字さんの苦しそうな声がすぐ近くで聞こえて、はっと我に返る。俺は無意識に名字さんを抱きしめていた。名字さんの両肩を掴み、慌てて引き離す。さっきまで感じていた暖かさと鼻をくすぐっていたいい香りは、名字さんのものだったんだ。そう心の中で一人納得する。

どうして俺はこんなことをしてしまったんだろう。自分で自分がわからない。名字さんに何て説明すれば…。名字さんからの視線を感じたけど、気付かないふりをして窓の外を眺めた。


「あー、……そうだ、そろそろ帰ろう?すぐ暗くなっちゃうよ?」


名字さんが気を遣って、何事もなかったかのように話しかけてくれたけど、俺は何も返すことができなかった。そんな俺を咎めることなく、名字さんは普段言わない独り言を言いながら帰り支度を始めた。俺に気を遣ってくれているのか動揺しているのかのどちらかだろう。

今日の昼休み、名字さんの彼氏に言われたことがふいに頭の中に蘇ってきた。


「お前な、もう名前と関わんな。あいつ、俺のこと本気で好きなんだよ。バレンタインに顔真っ赤にして告白してきて可愛かったなぁ……あれ、知らなかった?」

「…………」

「もし俺が別れるって言ったら…あいつどうなるだろうなぁ」

「………!」

「心配すんな。お前があいつと関わらねぇなら、俺は別れる気はねぇよ」



だめだ。俺が関わると、名字さんが悲しむことになる。悔しいけど、名字さんを笑わせていられるのはあいつなんだ。名字さんのためなら、俺は。


「名字さん」

「えっ、あ、うん?どうしたの?」


本当は嫌だ…だけど…。

腹をくくって、両手でキツく握り拳をつくる。


「もう、俺と関わらないでほしい」



* * *


名字さんは、また泣いていた。目を真っ赤にして悲しむ名字さんを置き去りにして、俺は教室を出た。靴を履き替えるとすぐに走り出した。一刻も早く学校から、名字さんから離れたかったから。早く離れれば、さっきの出来事が全部なかったことになる気がしたから。そんなことはあり得ないけど、俺はそうなることを望んでいた。

ごめん、名字さん。さっき言ったことは全部嘘なんだ。関わりたくないとかうっとうしいとか、そんなこと一度も思ったことないよ。名字さんといればいつだって楽しかった。休み時間のたびに振り向いてくれるから、授業の終わりを告げるチャイムが待ち遠しかった。

でもあんなことを言ったから、もう完全に嫌われただろう。…これでいい。これで名字さんは、俺と関わろうとは思わないはず。名字さんも大好きな彼氏とうまくいって、楽しい日々を送れるんだ。

…だけど。やっぱり心のどこかで、嫌わないでいてほしいと思う俺がいるわけで。あんなことを言っておいて、今さらおかしい話だけど。

走るのをやめて、立ち止まる。乱れた息を整えながら、心の中で願った。どうか、俺のことを嫌わないでいてほしい、と。

名字さんはなんだかんだで優しいから、きっと大丈夫。そんな都合のいい考えが浮かんで、そして消えた。



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