その手をずっと | ナノ
祐希くんの匂い
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、教室のあちこちでため息が聞こえた。やっと終わったー、なんて声も聞こえる。教室がざわつき始めた中、私は席に座ったままの祐希くんの前に立ちふさがった。
「話があるから、ちょっと待ってて」
やっぱり返事は返ってこなかったけど、わかってくれたと思う。授業中に迷惑をかけてしまった2人に、千鶴はちゃんと謝っていた。
「なっちゃんまた明日!」
「うん、またね」
「がんばってね」
こっそりと千鶴に応援されて、自然と笑顔になる。やっぱり千鶴はいいやつだ。
祐希くんの前の席の子が帰ったから、その子のイスに座った。祐希くんと向かい合わせの形になる。
「ゆっきー、なっちゃん、ばいばい!」
「ばいばーい!」
「ばいばい」
あれ、祐希くん千鶴にばいばいって言ったよね。千鶴、昼休みに自分も無視されてるって言ってたけど、それも嘘だったのかぁ…。
そうだ、それより祐希くんに昼休みに何があったか聞かないと。
「祐希くん。改めて聞くけど、昼休みに何があったの?」
「………」
「ねぇ、」
「名前!」
廊下から橋本くんの声が聞こえた。にこにこ笑いながら廊下から私に手を振っている。
あんたのせいでこんなややこしいことになってるっていうのに、なにヘラヘラ笑ってんのよ…!
もちろん彼にも昼休みのことを聞いてみたけど、特に何も言ってないの一点張りだった。にこにこと笑う彼に、できるだけ不機嫌さを顔に出さないようにして返事をする。
「…なに?」
「約束したじゃん!」
…あぁ、忘れてた。今日の放課後、会う約束してたんだった。
「ごめん、あれ明日じゃだめ?」
「んー…うん。明日でもいいよ」
「ごめんね。また明日!」
そう言って強制的に会話を終わらせる。私は祐希くんと話がしたいの。だから早く帰ってよー…
ちらりと橋本くんを見ると、すごく鋭い目付きで祐希くんを睨んでいた。絶対、昼休みに何かあった。私はそう確信した。
「じゃあな名前ー!」
「ばいばーい」
やっと橋本くんが帰ったから、もう一度祐希くんに向かい合う。教室には私たちしか残っていなかった。
「ごめんね、待たせちゃって」
「………」
「祐希くん、」
「………」
祐希くんは相変わらず何もしゃべってくれない。それどころか目も合わせてくれない。これ以上すると本当に嫌われそうで、少しこわくなってきた。
「祐希、」
試しに呼び捨てにしてみると、窓の外を見ていた彼の目がやっと私を映してくれた。よし、意表をつく作戦は成功だ。それが嬉しくて、思わず口許が緩んでしまう。
「やっとこっち見てくれた」
でもそれは少しの間だけで、今度はポケットから携帯を取り出して弄りだしてしまった。なんだか悔しくて両手を握って弄れなくしてやった。すると、祐希くんはもう一度私を見る。
「………」
離せ、とでも言ってるのだろうか。祐希くんの無言の圧力に負け、私はゆっくりと手を離した。
「昼休みのことはもういいや。言いたくないなら無理に言わなくてもいいし」
いい加減、1人で喋り続けるのも辛くなってきたなぁ。どうしてこうなっちゃったんだろう。昨日の昼休みまでは今まで通り話せてたのに。クラスでも千鶴と3人でバカやったり、じゃれあったりしてたのに。
「なんで、」
「………」
「なんで急に冷たくなっちゃったの?」
「………」
「普通に、楽しく喋っていたいのに」
「………」
「私のこと、嫌いになっちゃったの?」
「………」
「何かあったなら言ってよ、直すし、謝る、から…っ」
ぶわりと涙が溢れた。あれ、おかしいな。なんで?私、今まで友達や彼氏と喧嘩したときに泣いたことなんかなかったのに。今日の千鶴との喧嘩のときいい、私はどうしちゃったんだろう。
ああもう、泣いちゃダメだ。早く、早く泣き止まないと。
仲良くなって間もない頃、祐希くんは女はめんどくさいしドロドロねちねちしてるからあまり好きじゃないと言っていた。だから祐希くんは、今の私みたいなところも嫌いなはず。
名字さんはさっぱりしてるから好きだって言ってくれたことがあったから、祐希くんの前ではできるだけ、こういっためんどくさがられそうな女にはならないようにしてきた。
だから、早く泣き止まないと、取り返しがつかないくらい、嫌われてしまうかもしれない。それは嫌だ。それだけは嫌だ。祐希くんには、嫌われたくない…!泣き止め、泣き止め、と自分に言い聞かせるけど、そうすればするほど涙はどんどん溢れてくる。
ちらりと祐希くんを見たけど、涙でよく顔が見えない。でもきっと、面倒な女だなって思ってるはず。どうしよう、どうしよう……っ!
「っ、え…?」
「………」
祐希くんが私の手首を掴んで、少し前へ引き寄せた。そのまま祐希くんの手が伸びてきて、両手で私の顔を包む。ひんやりした手にびっくりして涙が止まった。
「っあの…」
次に祐希くんは、黙って私の涙を手で拭いてくれた。手では拭ききれなかったみたいで、次はカーディガンの袖でも拭いてくれた。
どうしてこんなに優しいの?こんな面倒な女、ほったらかして帰っちゃったらいいのに。
祐希くんの優しさが心に染みて、右目からまた一筋、涙が流れた。
せっかく拭いてくれたのに、せっかく泣き止んだのに、なんで私はまた泣くのよ。これ以上嫌われたくなくて、自分の袖で涙を拭いた。
すると祐希くんが席を立って、ぐいっと私の手を強く引いた。立ち上がった私はそのまま祐希くんの胸に倒れ込む。
「祐希、くん…?」
そして私の背中に両腕をまわして、ぎゅうっと抱き締められた。祐希くんの顔が私のすぐ横にあって、髪が私の頬をくすぐる。
祐希くんのカーディガンから、祐希くんの匂いがした。
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