■ 天日は苛烈に喉を焼き


酷く、渇いていた。
容赦のない日差しの下、砂粒の海を彷徨い歩くようなものだった。目指す先があるのかも分からないあやふやな旅を、くいなはこの十年という月日を掛けて続けてきた。
咳き込む喉を潤す水は細い糸となって命を繋ぐも、それだけだ。縺れかかる足を必死に進めて歩いて、歩いて、歩き通しても、オアシスに辿り着くどころかその影すら見えてこない。
いつまで、と思う気持ちが芽生えることは多々あった。何のために、と首を捻ることも増えた。その回数は自分の意思で誤魔化せる域をも超越し、どんどんその足を鈍らせ、重く首にのし掛かり俯かせていった。


「疲れましたか?」

「え?」


溜息が漏れてましたよ。
いつからか横に立っていたらしい、財団設立時から関わりのある同僚に指摘されて、くいなは思わず空いた手で口を押さえた。
肉体労働派の多い風紀財団でも、全員が全員細かな雑用を苦手としているわけでもない。書類仕事において、大概の場合中心となるのはくいなだが、声を掛けてきた男は比較的頻繁に手伝いを申し出てくれる気の知れた仲間ではあった。


「朝からろくに休憩も取ってないでしょう」


強面を曇らせて確認してくる同僚に、くいなは口元に苦い笑みを浮かべる。


「私には、他の仕事ができないから」


あなたは私と違う。他にも使い手があるでしょう?
そんな嫉妬に塗れた言葉を、くいなはいつも溢れさせそうになっては飲み下してきた。いつもそうしてきたのだから、今日だって変わらない。同じように喉奥に押し込めて封じ込める。それくらいの理性は育っている。

最初から解っていたことだから、違いを見せ付けられる程度では心に大きな傷を負うことはない。雲雀の傍に置かれるための手段は、選べるほど多くないのだ。
役に立ちたいと思う。力になりたいと思う。彼の中に染み着く自分であれればと願い続けていても、望みを叶えるだけの才能や力がくいなには圧倒的に欠けていた。それは今になっても何一つ変わらない。この先も成長の兆しが現れることはないのだと、疾うに諦めもついていたことだった。
悔しく、心苦しい思いに苛まれることにすら、いつからか慣れてしまったようで。
全く心が痛まなくなったわけでもなかったけれど。つい先日、怪我を負って帰ってきた雲雀の手当てを買って出た時にも、また自分の中の取り返しのつかない何かを、壊されてしまったような気はしていたけれど。


(惨め)


なんて惨めな姿だろうと、自分を顧みて思うことだけは止められない。
長く心に想っている、彼の力になることは、目の前に積まれた書類の山を片付けることほど楽でも容易でもなかった。


(それでもいい)


沈んでいく気持ちを浮き上がらせようと、くいなは軽く首を振るとペンを握り直した。
それでもいいと、決めてここまで来たのだ。手に負えるレベルの仕事を掴んで、必死に縋り付く。どんなに惨めで無様であっても、自分にできることといえばその程度のものだから構わない、と。
これといって価値のない駒でも、不必要な能力でも絞り出して、活かせるだけは活かしきる。傍にいたいというだけの子供のような我儘から、無理を喚いてこの十年を過ごしてきた。
軽くない期間だった。短くない時間だった。募らせてきた想いをそのまま受け入れられることはなくとも、ここまでの距離を許されてきたことは事実。それならば、無力なりにもその恩には報いなければならない。小鳥遊くいなは、揺らぐわけにはいかない。


「仕事に打ち込まないと気になって仕方ないってんなら、強くは止められないんですけどね」

「…雲雀さんの様子は」

「元がお強いから、あれくらいじゃあどうってことないって顔してますよ」


揺らいではいけないと、思う。果てが見えなくても、揺らぐわけにはいかないと。
しかし、くいなの不安を見抜くような同僚の言葉に、瞬時に脳裏に蘇ったのは裂けた肌、内側の肉まで覗けるような傷口から滴り落ちる赤い血の色だった。


「…っ」


くらりと襲いかかる目眩を、強く目を閉じることでやり過ごす。幸いにも、同僚には不審な行動とは受け取られなかったようだった。

由緒あるイタリアンマフィア、ボンゴレの守護者に数えられ、その中でも最強を競う雲雀という男が手酷い傷を負って帰ることはそうそうない。応急処置程度の手当てはさせてもらえたが、きちんとした治療を願うくいなの訴えは煩わしげに振り払われた。
その後は別の仕事を任されてしまって、顔を見ていない。あれだけの傷が癒えきるまでどれほどの時間が掛かるのか、医療面に明るくないくいなにはそんな些細なことすら知ることができなかった。

コンプレックスは突かれ続け、どこまでも膨れあがっていく。
いらない、という言葉に深く抉られたくいなの胸は、あの瞬間から絶え間なく、ズキズキと痛み続けていた。


「ここはもう私だけでも大丈夫だから、任せてくれませんか。他にお仕事もあるでしょう?」

「え? いや、無理でしょう。一人で片付く量じゃ…」

「無理なんて」


無理だなんて、言わないでほしい。これ以上、何もできない人間というレッテルは欲しくない。


「これくらいどうってことないです。私の仕事なんですから」


少しでも役に立てればいいと、思っていた。
けれど、少しも役に立たないのであれば。どうすればいいのか、判らなくなってしまう。
これからどうやって、どんな顔をして、ここに居続ければいいのか。


(……“いらない”)


思い返せば、中学生時代から何が変わったのだろう。実質的に、雲雀という男の意思に沿い、役に立てたことが今までに一度でもあっただろうか。
彼にとっての自分はどんな存在で、どのように思われているのか。その答えをあの態度一つに垣間見てしまったようで、胸の中に石が一つ二つ落ちて溜まっていく。


(私は、いらない)


彼は私にとっての唯一。だけれど、彼にとっての私はそうではない。
幾度も思い知らせてくる現実を避けて、目を逸らし続けてきたけれど。限界はあった。

くいながいなくても、雲雀は強い。揺るぎなく生きていける人だと解っている。
くいなには何の力もない。大役も務められない。祈りや願いといった無意味なものに縋っていることしかできない。
そんなちっぽけな存在が、孤高と謳われる人に必要であるはずがなかった。


(解ってる…そんなこと)


気遣わしげにしながらも去ってくれた同僚には、我儘を言ってしまったかもしれない。けれどくいなにとって、辛うじてできる仕事を奪われることは居場所を奪われることと同じだった。
自分以外の気配のなくなった部屋、デスク上の書類に目を走らせて内容を確認する。自分だけにできる仕事でないのなら、少しでも優れた結果を出すしかない。
ずっと、そうしてきた。これからもそうしていく。自分が必要とされる日が来なくとも。

そんなことは解っていた。解っていたはずの、ことだった。

20141223.

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