■ この胸の古びた鍍金



創設時からくいなの所属している風紀財団本部は、並盛の地、つまりは日本に所在している。が、有事の際の手間を考えてのことか、マフィアボンゴレファミリー本部から遠くない位置には財団イタリア支部も設けられている。
持ちつ持たれつの関係とまではいかないが、根が荒くれ者で強者との戦闘を好む傾向にある雲雀恭弥という人間は、とやかく文句を付けることはあってもその関わりを本心から疎んでいる様子はなかった。
たまに面倒事を押し付けられて嫌そうな顔をしていても、恐らくは許容範囲を越えはしないのだ。ドン・ボンゴレ率いる守護者勢の一人という立ち位置の認識が薄く、凡そ責任感らしきものが窺えないにしても。彼なりに、気に入っている部分も無くはないのだと思っている。

これまで、幾度も重なって訪れた危機に飛び出して行く彼の姿に、くいながどれだけ心中を乱していたとしても、最後にはけろりとした顔をして彼は自らの作り上げた巣の中へと帰ってくるのだ。
腹を満たした獣が満足げに舌舐めずりをするような態度で、くいなの覗けない世界を垣間見せる。垣間見せるだけで、無駄口を嫌う彼は深い事情を一々説明してくれることはないが。
多く傍に控えることを許された草壁とは違い、一雑用係でしかないくいなの耳に入れても意味がないことは、その口から必要以上には語られない。それは大凡理解できる成り立ちで、納得するしかない事象でもあった。
戦う力を持たず、実際守られるだけの存在である。組織内で確実に足を引っ張る立場にいるくいなには、介入できない部分が多く存在するのは当然と言えば当然のことだった。

それでも、頭で納得しても感情がうまく追い付くかは別の話だ。
そう成るのが自然な事情でも、感じ取る度に開いた距離をまざまざと思い知らされる。世界の違いを目にして、いつしかくいなの胸に生まれていた傷はじくじくと膿んで痛み続けていた。
最初から、想い人に近付いていた瞬間なんて一つもなかった。しかし、ここ数年をかけて日本から離れ遠い場所まで足を踏み入れるようになった彼が、物理的な距離よりも遠く高い場所まで上り詰めてしまったように思えてならない。
前を歩く背中をどれだけ追い掛けても、自分はもっと昔、それこそ彼に想いを寄せ始めた中学時代の頃から立ち止まったままであるような気がした。

切に積み上げてきた想いが報われることは、ないのかもしれない。十年使っても、関係性に希望的な進展はないようなものだった。
先に広がる未来を欲しても、夢物語は夢のまま、終わってしまうのかもしれない。
それならば…と、くいなは日々内側から圧迫されていく胸を押さえる。
いつまでもゴールの見えない長距離走を続けているような気持ち、肺を刺す空気に苦しむ感覚を圧し殺していることに、意味はあるのだろうか。
今更自分を問い質したくなるような仕様が無いことを、最近になってよく、考えるようになってきている。






 *






「おや…」


財団支部へ直接の用が生まれ滞在している期間、ボンゴレ本部にも顔を出すことにしたらしい雲雀に、その日はくいなが付き添っていた。
屋敷の顔となる一室に辿り着く前に、長い廊下の向こうからやって来た影から発せられた声に場の重力が一気に増したように感じる。


「これはこれは……珍しい顔触れですね」

「…こんにちは」


骸さんこそ、本部にいるなんて珍しいですね。

今にも武器に手を伸ばしそうな気配を漂わせ始める雲雀より先に、くいなは軽く頭を下げて応えた。
馬が合わない相手とはいえこの場で問題を起こされると、後から不要であったはずの書類が増えることは容易に見越せたことだった。ただでさえ少なくはない仕事を好んで増やしたいとも思わない。何より彼らの争いは周囲に被害を拡げやすいので、なるべくなら顔を合わせる機会すら避けて通りたかったところだ。

内心苦虫を噛むくいなの心を知ってか知らずか、見た目は柔らかな笑みを浮かべた男は反応を返さない雲雀を意に介することもなく近寄ってくる。
向き合うように立ち止まる気配を見せる六道骸という男は、根本から嫌な性格をした人間だった。
彼がマフィアを憎んでいるという事情だけなら把握はしている。普段なら好んで近寄りはしないだろうマフィアの巣窟で出会すとは、完璧な誤算である。


「少し野暮用を押し付けられまして。今帰るところですがね。君達は…」


にこやかに話し掛けてくる、態とらしい態度を崩さない骸の横を、真一文字に唇を引き結んだ雲雀は汚いものを避けるように距離を空けて通り過ぎた。
擦れ違う瞬間、ぴりり、と肌に感じたのははっきりとした殺気だ。

今は、時間を潰す気分ではないということだろう。武器を交わさずにいてくれたことにほっと安堵の息を漏らし、くいなは鳥肌の立った腕を擦る。
軽く肩を竦めた骸は、遠くなる背中を軽く視線で追っていた。
自分の主は並外れた戦闘狂だと常々感じていることだが、この男も似たようなものかもしれないとくいなは思う。

少しばかりつまらなそうな空気を醸し出した骸は、深追いはせず、標的を変えることにしたらしい。呆れを含む笑みを浮かべなおしたかと思うと、くいなを振り返り見下ろしてきた。


「君も」

「え…っ?」

「毎日毎日…よくあんな男に尻尾を振れますねぇ。女としての見返りもないんでしょうに」


ぶつけられた言葉に、かっ、と顔に熱が集まる気がした。
羞恥か、怒りによるものだったのかは判らない。積年の想いを侮辱されたことに悲しみを覚えたのか、主を見下されたことに腹が立ってしまったのか。どちらにせよ、真っ向から受け取るべき言葉ではない。素直に反応してしまえば相手を図に乗らせるだけだと解っていた。
そこまで馬鹿な脳は持っていない。くいなは解っていて、それでも、反論しないという選択肢を選ぶことができなかった。
雲雀に関する事柄に限って、無視して通り過ぎるようなことができるはずがなかった。


「あ…あんな男って……」

「そんなに魅力的ですか。君を待ちもしない男が」


遠くなる背中は廊下の先で小さくなっていく。
それを示されてびくりと跳ねた肩を見て、意地の悪い男の笑みが深まる。
何か、言い返すべきと開いたはずのくいなの口からは、言葉どころか微かな息が漏れるだけだ。

どくり。嫌な音を立てる心臓に負けて俯きかけた。
反論できるような言葉が思い付かずにいたその時、しかし、不意に水は向けられる。


「何してるの」

「!」

「そんな男と油売ってる暇、君にあったっけ」


声を掛けた男は、立ち止まっていた。答えを聞く前にまたすぐに歩き出してしまった背中は遠ざかるが、それでも間違いなく。
くいなを、一瞬だけでも気にした。

それだけのことで、細く揺らいでいた胸の中の灯火が息を吹き返す。
先程よりは幾分か優しい熱に押し上げられて、くいなはぐっと顔を上げた。


「す、すみませんっ…待って下さい雲雀さん…!」


踏み出した足を、交互に急がせた。

待ってくれない人だと分かっていて、今までだって着いてきたのだ。追い掛けなければ、今現在得ている距離だって開いていく。
少なくとも、追い掛けることは許されている。
ならば今はこれでいいのだ、と。






唆してくる背後を振り返らなかったくいなは、深く吐き出される息の音を、聞き逃した。


「前途多難」


ですかね。

弧を描いたその唇の意味を知る者も、その場にはいなかった。

20141117.

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