■ 無価値の価値を問う


応接室へ足を運ぶことを禁じられるという事は、必然的に雲雀との接点が断たれるという事を意味していた。努力に努力を重ねてなんとか触れる事が出来た背中は再びくいなの手の内から消えていった。黒い学生服がたなびく様も、低く滑らかだった声も、日を重ねるごとに段々と薄らいでいく。無力なくいなに柔らかな消失を食い止める術などあるはずもなかった。

理解はしているつもりだった。自分と彼の立つ世界はあまりにも違い過ぎた。だからこそ必死で足掻いたのだ。同じ目線で歩く事は出来なくても、せめてその後ろを着いて行けるようになりたかった。その為の努力なら惜しまなかった。胸に秘めた淡い感情を潰してしまう事は出来なかったのだ。

雲雀の手によって冷たい拒絶を突き付けられてからしばらくがたった頃、くいなはいっそ言い付けを破ってしまおうかと考えた事があった。たとえ役に立てなくとも傍にいたかったのだ。

しかし、そこまで考えた所で不意に気付いた。傍に行かないという事は雲雀の邪魔にならないという事と同義だ。迷惑を掛けまいとどれだけ気を張ったところで、最終的にくいなは足手纏いになる事しか出来ない。ここで自分の気持ちに素直になってしまう訳にはいかなかった。無力な自分は、そういう消極的な形でしか彼の役に立つ事が出来ないのだと思い知らされた瞬間だった。小鳥遊くいなは無価値な存在にしか成り得なかった。

群れる事を酷く嫌う雲雀だが、それでも最近は周囲に人影が増えつつある事をくいなは知っていた。それは同じ学校の生徒だったり、あるいは他校の生徒だったりもした。そして、雲雀がそれら力づくで排除する様子はなかった。何も知らず遠巻きに眺めるだけのくいなの目には、雲雀が僅かながらでも彼等を受け入れているようにすら見えた。

人影の中には女子生徒の姿もあった。一時期校内でもひどく話題になった至門中学校の女子生徒や、黒曜中学校から転校してきた女子生徒。言われずとも分かっていた。彼女達は自分とは立つ世界からして違う存在なのだと。

彼女達には力があるのだろう。自分が好きになった人と同じ目線で歩いて行ける足があるのだろう。邪魔になるどころか易々と役に立つ事が出来る腕があるのだろう。自分が越えられない壁を軽々と踏み越え、踏み入れる事の叶わない世界を堂々と切り開いていくのだろう。

ひたすらに羨ましかった。喉から手が出る程に欲しいものを少女達は持っていた。嫉妬すら覚えた。胸の奥でじんわりと咲いた黒い炎は、くいなの柔らかな心をちろちろと舐め回った。

もし自分にも彼女達の様な力があったらどれだけ幸せだっただろう。それが得られるならどんな辛酸を舐めても構わなかった。どんな苦難も苦痛も耐えきってみせただろう。薄暗く濁った闇に触れた事のない少女が抱く想いはひどく純粋なものだった。無知で無垢であったからこそ抱けた羨望だった。

力を持つ少女達の立ち姿はひどく凛としていて美しかった。少女達の姿を焼き付けた目で愚図で鈍間な自分を見下ろし、唇をそっと噛む。そんな無意味な行為を何回も繰り返した。







相変わらず雲雀から声が掛かる事はなく、色のない日常はくいなの前に轟然と横たわっていた。その日も何も変わらなかった。放課後になれば真っ先に応接室に向かっていたはずの足で帰路を辿る。

「はあ……」

自分はもうお払い箱になってしまったのかもしれないと思いながら角を曲がった。

「お前が小鳥遊くいなだな?」

不意に名前を呼ばれ、くいなは思わず足を止めた。

「え?」

辺りを見回してみるが人影は見当たらない。周囲は夕焼けに照らされており、カラスのどこか物悲しい鳴き声が響いているだけだった。

「き、聞き間違い……?」

「じゃねーぞ」

あっと言う間の出来事だった。

「っ、う……!」

どこか幼い声が聞こえた瞬間、意識がすぅっと遠くなる。瞼が閉じてしまう寸前、誰かの姿が視界に映った。赤い夕陽に舐められるように照らされていた人影は赤ん坊のそれに見えたような気がした。







「ど、どうするつもりだよリボーン!」

「どうもこうもねえぞ。復讐者との戦いも終わったが雲雀の奴はやはり扱い辛いままだしな。こいつを使ってあいつを制御出来ねえかと思ったんだ」

「で、でも! こんな誘拐みたいな…!」

「みたいなじゃねえぞ。ちゃんとした誘拐だ」
「最悪だよ!」

「安心しろ、こいつを誘拐したのは桃巨会って事にしてある。手紙を読んだ雲雀がここに来てお前の仕業だったと知るまでは安心だ」

「それじゃ何の意味もないだろー!? そもそも俺の仕業でもないし! 全部お前の独断だろ!?」

「他人の責任を肩代わりしてやるのも立派なボスの仕事の一つだぞ」

「無茶苦茶だ……! ああ、どうしよう……このままじゃ雲雀さんに咬み殺される……!」

暗闇に落ちた意識が微かに聞こえてくる言葉の応酬を拾う。くいなは重い瞼を無理矢理持ち上げた。

「あ、れ……?」

ゆっくりと瞬きを繰り返す。鬱蒼と生い茂る木々が横たわるくいなを一斉に見下ろしていた。

「ここは……」

いまだにはっきりとしない思考を動かす。帰り際、誰かに声を掛けられた事は覚えている。そこからの記憶がどうにもはっきりしなかった。

身体を起こすと、誰かがばたばたと駆け寄って来る。心配そうにこちらを覗き込んでくる顔には見覚えがあった。最近雲雀と頻繁に会話を交わしていた生徒だ。名前は確か沢田と言っただろうか。

「君……えっと、小鳥遊さんだよね……!? 大丈夫? 痛い所とかない!?」

「え、えっと……うん。平気……」

「失礼だな。俺を何だと思ってやがんだ、ダメツナ」

「女の子を気絶させて誘拐してきた奴が何言ってるんだよ!」

くいなはぱちりと目を瞬かせた。

「誘拐……」

話の筋を辿ると、どうやら自分は誘拐されたらしい。何がどうしてそうなったのかはちっとも理解出来なかったが。

「あ、あの、本当にごめんね……! リボーンが勝手な事しちゃって! 雲雀さんももう来るだろうし、すぐ帰れると思うから! 変な事とか絶対しないから安心して!」

「う、うん……? って、え、委員長? あ、あの……何がどうなって……?」

「お前は人質なんだぞ」

不意に足元から声が響く。慌てて顔を向けると、小さな赤ん坊がちょこんと立っていた。こちらにも見覚えがあった。目の前の少年とよく一緒にいた赤ん坊だ。決して綺麗とは言えない嫉妬心を彼らに抱いたのは一度や二度ではない。

「人質……?」

「お前を助けたかったらここに来いと雲雀宛に手紙を置いてきた。あいつは気紛れで制御し辛いからな。上手くコントロールする為にお前にも協力してもらうぞ」

「ごめんね、本当にごめんね……!」

対照的な態度を見せる二人組を尻目に、くいなは小さく息を吐いた。

「……はあ」

誘拐と聞いて一時はぞっとしたが、どうやら危険な事に巻き込まれた訳ではないらしい。しばらくすれば解放してくれるのだろう。もっとも、自分なんかを人質にしたところで彼が動いてくれるのかどうかは微妙なラインだったが。

並盛を秩序を守る為という名目の下なら、動くのだろう。けれど小鳥遊くいなを助ける為という名目の下ならどうだ。

「……駄目だなあ」

答えは否だった。彼が自分の為に動いてくれるとは、天と地がひっくり返っても思えなかった。

「……私にも、もっと」

その先は言葉に出来なかった。唇を噛んで地面を見つめる。こちらを見つめてあわあわと狼狽える少年に笑いかける気力もなかった。

もっと力があれば彼の役に立つ事が出来るのに。強ければ、そもそもこんな事態に陥る事はなかっただろうに。戦う事が出来たなら彼と同じ場所に立つ事が出来ただろうに。

目を閉じて視界から世界を追い出す。何もかもを拒絶した所で、現実は無慈悲な姿でくいなの目の前に横たわっていた。無力な自分は前にも後ろにも進めないまま、ただこの場所で蹲っている事しか出来ない。


20141027.

[ prev / next ]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -