◎11月7日
「愛支?」
私を探す声がする。
行ったり来たり。私を呼ぶ声がする。
私は、誰かに自分の名前を呼ばれるのが嬉しくて、聞こえないふりをする。
それが私たちの、いつものやりとり。
「ここにいたのかよ、愛支」
確信犯な私を あの人は呆れた様子で、それでも薄く笑みを浮かべながら、大きな手を私の頭に乗せる。
反射的に固まった私を落ち着かせるように、何度も髪をときながら。
「探したぜ、愛支」
けれどもう、そんな優しいあの人はいないのだ。
私の真っ黒な英雄は、もう二度と、現れることはない。
彼は…あの人は、私を残して、酷く遠いところに行ってしまった。
頭では理解していたが、それでも心は置いてけぼりで。
事実を受け入れられず、テレビから聞こえる報道を聞き流すように。
…私は何も感じなかった。
けれど、いつまでたっても、あの人は私を呼びに来てくれなくて。
…そこでようやく、あの人に置いて行かれたんだと理解した。
「…。」
あの人らしいと思った。
あの人らしさを誇らしく思った。
そして、あの人らしさを憎く思った。
恨んで、憎んで、泣いて、また憎んで。
そんな無意味な日々を繰り返して、どうしようもなくなって機械的に目を覚ます。
「・・・11月7日・・・」
カーテンを開ける。
早朝特有の柔らかい陽光が暗い部屋に差し込んだ。
その場違いのような美しい景色を見て、ああ、そうだ、とあることを決心した。
重たい身体を動かして、私は早々に家を出る。
「ごめんなさい。・・・でも、私もう、待てないんです」
もう、何もかもを終わりにしようと思った。
きっと、私一人がいなくなっても、世界は正常に回り続けるだろうから。
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