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少女が部屋を飛び出したあの日からまた数日。あれから1度もここには姿を見せていない。遊びに来ている、と言う体ではあったが夜遅くに1人で帰すのも気が引けた老婆は部屋も1つ空いているからと泊まらせるが多く、ある意味新しい入居者のような雰囲気だった。
毎日のように聞いていた少女の声がしないとなると、妙にここが静かになったなと不思議な感覚になる。別に騒がしいわけではなかったが少女自体がこの場の雰囲気を変えているような、そんな感じだ。
子供達も少女が来なくなってしまったのを悲しく思っているようで、定期的に外を覗いては現れない姿に肩を落とし悲しみの声を上げているのを少年は扉越しに聞いていた。

姿を見せなくなったことに対する、強いて挙げられる原因は『視える視えない』の話をしたことだ。
『視えるようになること』を諦めた、と質問にそのまま答えてしまったことが気に障ったのだろうか。少なからずまだ諦めてはいない、まだどうにかなるかもしれないと夢を抱いているとでも言えば良かったのだろうか。そもそもその話を聞かれたがまま素直に『視えていない』と答えなければ良かったのだろうか。

どうしようもない思いが少年の中にずっとあった。かと言って、本人が来ないのだから『どうしようもない』のだけれど。
考えることを辞めさせるように小さく息を吐き出したその矢先。
バタバタと音を立てて廊下を走る音。その足音は段々こちらに近付いて来ていて、足音に合わせて喜んでいるような子供の声が聞こえる。そんな子供に対してちょっと待っててね、と告げる声はすごく聞き覚えのあるものーーーーあの少女の声だった。
その声の主が少女であることを半ば確信したのと殆ど同時に少年の部屋の扉が勢いよく開く。その勢いに身を任せて突進してきた少女を咄嗟に受け止め切れるはずもなく少年はそのまま後ろに倒れ、少年の体の上に馬乗りになり顔を埋めた。


「っ、て…、何を…!」
「出来た!出来たの!!」


勢いよく開けた扉は壁にドアノブが当たり跳ね返り、そのまま閉まる。
埋めた顔を上げて嬉しさと焦りが混ざったような声色で少女は叫ぶように言った。


「出来たって何が…!」
「貴方の"それ"を治す為のもの!やっと出来た、やっと完成したわ!さ、手を出して!」


少年が状況を理解するよりも、自ら手を出すよりも先に少女は少年の片手を両手で包むように握りしめた。目を閉じて聞き取れないような単語をぼそぼそと呟く。何をする気なんだ、と聞くよりも先にその空間一体が眩い光に包まれた。

その光が収まった頃、気が付いた時にはずっと真っ暗だった瞼の奥が何かを反射しているかのように白く眩しい。どこか懐かしい眩しさだ。最後にこの眩しさを経験したのかはいつだったのか、少年は記憶にはない。
少年はゆっくりと 閉じていた目を開けた。

日焼けして少しだけ黄ばんだ白い壁、木製の扉、蝋が溜まった壁掛けのランプと時計。そしてそれを背景にしてその目に映り込む栗色の髪の、まだ幼い面立ちの少女の姿。
少年は一瞬時が止まったかのように呆然と少女を見つめ、2、3回立て続けに瞬きをする。少女は心配そうな表情を浮かべながら少年の顔の前で小さく手を振って見せた。振られた掌にそっと手を伸ばし、指先が掌に触れる。


「ーーーー視え、てる…?」


ぼそり、と確認するかのように呟いた少年の言葉を聞き、少女は嬉しそうに声を上げて首に腕を回して抱き着いた。


「っ、わ…!」
「よかった!成功したんだ!ちゃんと視えてるよね?」
「……、視える、視えてる…けど」
「なんか変?」
「変、って言うか…」


不思議な感じだ、と自らの手を見つめながら呟く。自分の手を、目の前にいる誰かを、広がる世界を視たのは殆ど初めてに近かった。ずっとこのまま視えるようになんてならないと思ってた。
『視えるようにしてくれる』程の『術』を知っている人なんて、それを使える人なんていないと思ってた。
ーーーー今の今までは。
ただ純粋に不思議でしかなかった。今までこれだけのことをやってのける『ひと』なんて会ったことはない。目の前にいる、自分より年下の幼さが残る少女は一体何者なのか。


「あんた、一体…」
「私は………"あたし"は、貴方の望みを叶えたくて、ちょっと時間掛かっちゃったけど…色々頑張ってみちゃった!視えるようになって、本当に良かったね!」
「………」
「でも、不治そのものを治すことは出来ないから定期的に"これ"やらなくちゃいけないんだけど、それもちゃんとやるから…!」
「………、ありがとう」


少しだけ照れくさそうに呟かれた言葉に、少女は嬉しそうに笑って見せた。満面の笑み。少年にとってはある意味初めて見た人の笑顔だった。こんな風に人は笑うんだと思った。純粋になによりも綺麗だと思った。
少女は少年の上から降りて立ち上がると、少年の倒した身体を起こすように手を掴んでぐいぐいと引っ張る。


「さ!せっかくなんだから色んな物を見よう!今まで出来なかったことをこれからはたくさんやるんだよ!」

少女に引かれるようにして、少年は部屋から『初めて視る世界』へと足を踏み出した。

「そう、急がなくても…」
「急がなきゃだめ!昼と夜の境目の短い時間に現れるあの夕焼けはすぐ終わっちゃうし、ここから見える景色が一番綺麗なんだよ」
「夕焼け?」
「そう、夕焼け。オレンジと青と、紫と…色んな色が綺麗なグラデーションになるの。 一瞬だから見逃し厳禁だよ!」
「はいはい、でも陽が傾いてるって事は多少は寒いだろう。上着持ってくるから、少し待ってろ」
「まだ大丈夫だと思うけど、ちょっと急いでね!視えるようになったら、一番最初に見せたかったんだから!」


開いた扉から様子を伺うように少女はこちらを見ている。
少年は椅子の背もたれに掛けてあったブランケットを手に取ると少し困ったように笑みを浮かべて急げと急かす少女の元へと足早に進んだ。


「ーーーー初めて見る夕焼けが綺麗過ぎて腰抜かさないでね、"カルラ"」
「……誰に言ってんだよ、全く」



どこか胸が躍るような感覚を抱きながら扉を閉める。
やっと自分も『普通』になれるのだろうか。『普通の人』として生きる事が許されるのだろうか。
少年はそんな風に密かに淡い期待を抱いた。


ーーーその時はまだ期待を抱いたことが間違いだったと、『視えるようになること』自体が仕組まれていたとも知らずにいた。

ふと、改めてそう思う。出会わなければ『こんなこと』にはならなかったのにと後悔しか出てこない。



嘗ての少年ーーー『カルラ』は、姿を消したあの少女と自分が殺した男の後を必死に追っていた。
足止めをしたあの人が追い掛けてくる様子はない。
そんなに遠くには行ってないとは思うのだが、如何せん木々が多く少しでも進む方向を間違えれば一行に辿り着けやしないだろう。行先は分からないと言うのに何故かある場所に向かって走っていた。
本能的に『あの場所』へ行かねばならないと思う。


息が少し上がってきた頃、不意に目の奥が傷んだ。ふらり、と立ちくらむ。1度足を止めて、木を支えにして寄りかかった。浅く短い呼吸を繰り返して息を整える。
心拍音に合わせて明るくなったり暗くなったりを繰り返す視界に、自らに残された『時間』の少なさを痛感した。

もうすぐ終わりが来てしまう。
急がなければ、と再び足を動かした。
ーーーまた同じことが繰り返されないように。



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