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その日を堺にあの少女は何故か毎日姿を見せるようになった。
筆頭騎士と共にここに来た日の夕方頃、老婆がお客さんよ、と、少年を呼んだのが始まりだろうか。お客さんと言われても知り合いでも何でもないのだが、『遊びに来ました』と無邪気に笑う少女の姿を見て立ち入りを断ることもできなかったらしく、あっさりと受け入れてしまったのである。老婆は割と人を見る目がある。小さな変化にもよく気付く方だ。きっと少女の様子から見て悪いことをするようには思えなかったのだろう。無闇矢鱈に追い返すようなひとでもないのだが。その少女が『何を求めて』ここに来ているのか少年は勿論、老婆も知らない。少女は自然と溶け込むのが上手だった。相手が気付かないように上手く隠した。けどその半分ぐらいは少女の素の姿だったかもしれない。
『目的』を果たす為ではなく、純粋に遊んでいた。

それから少女が『遊びに』来るようになって数週間が経ったが、少年は改めてあの日の静かな姿は『作り物』だったんだなと感じていた。まるで借りてきた猫のように筆頭騎士の後ろを歩いていたのと言うのに、今は外で施設の子供達と遊んでいる。楽しそうな声が窓越しに聞こえた。

ーーーもし視えていたのなら、自分もこんな風になれたのだろうか。
ふと、そう思った。視えない事を気にしたことは今まで数えられるぐらいしかない。視えない事に慣れてしまった自分はこうやってひとり静かに、外の世界の音を聞いている事が普通になっていたのに。きっと『外』にいる少女達の姿が世間一般の正しい姿、年相応の姿なのだろう。それが自分にはない。そんな姿を見せる事は多分出来ない。自分自身で不治を治すことなど出来ない。この容姿の事もそうだが『最初』から自分はどこか違う所に居る。引かれた一線を超えるための術を知らなかった。諦めたように少年は静かに息を吐いた。

少年は物置部屋に壁を伝いながら足を運び、オルガンの椅子に腰を掛け、蓋を開ける。古びた金属の軋むような音を立てて日焼けで少しだけ黄ばんだ鍵盤が姿を現した。
辿るように指を滑らせてスタート地点の鍵盤を押す。そのまま弾きなれた名前も知らないいつもの曲をゆっくりと弾き出す。
これは視えない代わりに、と母親が弾いて覚えさせた曲だった。きっといつかくる未来の為の娯楽として教えたのだろう。響く音と指先に触れる鍵盤の感触。それしか頼りは無いが音に敏感になっていた少年は時間が掛からずしてそれを覚え、身に付けた。たった一曲の、唯一の思い出に近い。両親ーーー母親について記憶に唯一残るのはこれぐらいだろうか。父親の事は全くに近いほど覚えていない。
大して気にも留めてないのだが。

何かを感じ取ったのか、不意に少年はその手を止めた。


「ーーーー何だよ」
「あ、気付いてた?」
「……物音がしたから」


少年のその声に続いて扉の外側にひっそりと身を潜めていた少女が顔を覗かせた。部屋の中に入ると適当にその辺りから椅子になりそうな物を引っ張りだして少し離れた後ろに座る。


「………外で遊んでなくていいのか」
「外はもう暗くなってきたからみんな中に入ったから大丈夫よ。まぁそれ以外にも、さっき貴方が外を見ていたのを見てたからちょっと気になって」
「関係ない」


素っ気なく返事をしてから、ぷい、と少女に向けていた視線をずらせた。後ろからこちらをまっすぐに見つめる視線だけは感じる。痛いぐらいの視線だ。部屋を出ていく気配は今のところまるでない。暫く無言でいると先に口を開いたのは少女の方だった。


「今弾いてた曲の名前、何て言うの?」
「………名前は知らない」
「知らない?」
「昔弾いて覚えただけ。詳しいことは知らない」
「そう、なら仕方ないか。じゃあもう一回弾いて。あの曲、すごく好きなの」


じゃあ、って何だよ、と言いかけた。脈絡も大してないのに。けれど嫌では無かった。唯一最初から最後まで弾ける曲。唯一両親から、母親から貰ったもの。名前も知らないこの曲を、好きだと言われて少なからず嬉しい気持ちはあった。少年は小さくため息を零してから鍵盤に指を滑らせる。優しい音が部屋中に響く。目を閉じて聞いていた少女だったが、曲の終盤に差し掛かる頃静かに立ち上がると少年が座っていた少し横長の椅子の右脇に寄り添うように座る。突然すぐ脇で人の気配を感じた少年は手を止め、驚いたように咄嗟に少女の方に顔を向けた。
少女の姿は黒い影となって映り込む。傍から見たら物凄く近い所に少女の顔があるのに距離感が掴めずどうするべきなのか分からないまま呆然としていた。


「………綺麗な赤ね」
「は…?」
「目の色、凄く済んだ綺麗な赤だなって」
「………」
「だから余計気になってるんだけど…」


「ーーーー貴方、視えてないでしょう?」



一呼吸置いて少女は囁くように問いかけた。
少年は少しだけ時間を置いてから小さく、ああ、と返事をする。

別に隠す気は更々無かった。
今まで気付かれていなかっただけ。
気付かれないように生活していただけ。
まさか急にそんなことを聞かれるとは思っておらず、寧ろ何故気付いたのかと謎が彼の中に残る。


「視えないのはかなり前からだ、もう慣れた。だから普通に生活出来てる。アンタが気にすることじゃない」
「まぁ、そうなんだけど……」
「何時から気付いてた」
「………最初、から、ちょっと疑ってた」


少女は申し訳無さそうに言葉を続けた。どうやら赤眼を持ってして生まれた人は何かしら目に異常を来している事が多いらしい。例えば色覚異常だったり、半盲だったり。少年の場合は全盲に近い。薄らぼんやりと影となって見えるだけの白黒の世界。色も分からなければ眩しいだとか、綺麗だとか、そんな感覚も分からない。眼の色が綺麗だ、と言われても正直何と返せば良いのかも分からなかった。
ふと、視えてない事を黙っていたものの本当は周知のことだったのではないかと思ったが、どうやらそのことについては少女しか知らないらしい。学院で習ったから、と続けて話す。その言葉を聞いて少しだけ安心した自分がいた。習ったから知っているのだと言うのであれば、きっと多分他の人には気付かれてない。

視えてないと言う事に確信を得るためにこんな行動に出たことを後悔しているのか、少女は暫くの間口を閉ざし、壁にもたれかかった掛け時計の秒針が進む音だけが聞こえる。


「……ごめん、こんなことして」
「何を謝る必要が…」
「 なんか、視えてないって事を聞くために弾いてってお願いしたみたいに感じちゃって……でも貴方の弾くこの曲が好きって言ったのは嘘じゃないわ!本当のことだから!」
「別に気にしてない。視えてないのは事実だし、自分自身じゃ『これ』を治すことは出来ない」


そう、と返事をする少女の声色は悲しいままだった。
相当悪いことをしたと思っているのだろうか。
少女は今、どんな表情を浮かべているのだろうか。
慰めようにもどうすればいいのだろうか。

大して人と関わらずに生きてきた、生きてこれた少年はいろんな思いがぐるぐると頭の中を回る。なにも分からない自分は改めて、周りとは、普通とは『違う』んだと思わされた。少年の伸ばしかけた手が空気を掴んで膝の上に戻る。


「ーーーねぇ、じゃあ貴方は、視えるようになりたいって思ったことはない…?」


絞り出すような声で投げかけられた質問に少年は思わず言葉を飲んだ。

この少女はどうしてこんなにも痛いところを突いてくるのだろうか。自分自身で『それ』が出来たなら、自分自身に向けて『それ』を架けることが出来たなら。
『そう』してくれるだけのものを持った誰かが、
現れてくれたのならーーーそうなることを望むことはあったかもしれない。


「…………もう、諦めた」


それが今の状態では『叶わないこと』だと自覚したのはいつだったか、少年は覚えていない。
夢も希望も抱いてはいないと言うような、冷たく吐き出された少年の言葉に少女は小声でそっか、と返事をすると直ぐに部屋を飛び出し姿を消した。




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