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ある所に決して広くはなく決して綺麗な内装ではない平屋建ての建物があった。
その平屋の広さに見合わない人数の、顔も声も言語すらも統一性のないまだ幼い子供たちがいた。夜も大分更けて来ている時間帯だが、元気盛りの年頃のせいか至るところで騒ぎ声が湧き上がり、母親にあたるで立ち位置あろう1人の老婆の声は全く届かない。そんな中不意に曲が聞こえてくる。ピアノではなく、オルガン。どこか懐かしさを感じさせる響きを持ったオルガンの音は、その平屋の奥の一室から流れて来ている。半ば物置と化しつつある部屋の窓辺に置かれたオルガンを1人の少年が弾いていた。歳は15〜6歳ぐらいの子供だったが広間で騒いでいる子供と比べたら色々な意味を含めて大人だった。彼がオルガンを弾き出すと自然と誰もが耳を傾ける。騒がしかった部屋は途端にその曲を聞くために静かな場所へと変貌していた。届かない声に困惑していた老婆も気付いた時にはその曲に耳を傾けていて、全員の意識がそっちに向いた時に何かと子供に話をしていた。

老婆の言いつけを守り寝室へと子供たちが足を運び終えた頃、老婆はひとり物置部屋へと足を運んだ。背もたれのついた木椅子に寄りかかるようにして座っている少年ーーー先程オルガンを弾いていた少年だった。
明かりのついていない部屋だったが、唯一の窓から射し込む月明かりが明るく室内を照らしている。白い月明かりに照らされて映える艶やかな黒髪を持った少年は、物音に反応して指を止めると閉じていた瞼をゆっくりと開けた。
現れたのは血を写したかのような鮮やかな赤色の瞳。少年の目線は決して老婆の目線の方には向かず、老婆の少し下あたりに向いている。


「いつも思うがまるで子守唄のような綺麗な曲だ。この曲が聞こえると必ずと言っていい程に子供たちも耳を傾ける。楽譜も見ずにあそこまで弾けるのはすごいねぇ」
「……別に、大したことじゃない」
「いいや、きっと"それ"の代わりに神様がくれた一つの才能、素晴らしいものよ。とは言え、外はもう大分真っ暗さ。ほら、お月様がよく見えるだろう」


老婆は少年の後ろにぽっかりと浮かぶ月を指差した。少年もそれを追うように目を動かす。


「……そうだな」
「ここまで昇っているとなると、もう大分夜更けだよ。お前も早くおやすみ」
「後から部屋に戻る、先に寝てくれ」


はいはい、と少年に向かって穏やかに笑ってそう言い老婆は踵を返すとゆっくり部屋を出ていった。
扉が閉まる音を聞いてから少年は立ち上がると、本棚の縁に手を添えて伝い伝い歩き出す。こんな風に歩くのも大分慣れた。

視えなくなって、もう何年だろうか。

視えなくなったのはここに来てから少し経った頃だ。老婆が先程指差した月も実際は視えていない。
どうやら生まれながらにして目に障害持ちだったようで、それこそ最初の頃ははっきり見えていたらしいが次第に色彩を失っていき、今じゃぼんやりと影程度しか分からない。文字なんて以ての外だった。見えている時の記憶が殆ど無いが故に昔は見えていたのかどうかの真相は誰も知らない。 聞こうにも聞く相手が居なかった。何時だったか突然ここに連れてこられたのだから。


ここは俗に言う孤児院だった。全てにおいて決して裕福な場所ではないが、ワケアリの子供を引き取り、1人で生活できる程度まで面倒を見て独り立ちさせるための場所。親が早くに亡くなっていたり、虐待で親から逃げるようにここに来ていたり、嘗て住んでいた場所を追われていたりと理由は様々だった。故に年齢層も顔つきもバラバラで統一性と言ったものはその『ワケアリ』以外には見当たらない。血がつながっている訳ではないが、彼らの仲は良好でその老婆の人柄もあってかもしれないが『ワケアリ』であることを感じさせないぐらいには元気に溢れた普通の子供達だった。

その『少年』を除いては。

その少年の歳にそぐわない妙に大人びた雰囲気からなのか、それともその赤眼のせいなのか、はっきりとした理由は自分でもわからないが子供たちは少年に近寄ろうとはしなかった。決して嫌がらせを受けているわけでもしているわけでもないが近寄り難い雰囲気があるらしい。
元々口数は少ない方だと自負しているのもあって寧ろ好都合だった。 変に話し掛けられても対応出来る自信は無かった。

そんな事も踏まえて視えていない事も『それ以外』の事も誰かに話した事はない。勿論老婆にも。『視えていない時間』の方が長くその状態での生活に慣れてしまい、これと言った不便は感じなかった。
もしかしたら老婆は視えてない事に気づいているかもしれないけれど。

ずっとこのままだと、何も変わらないと思っていた。
ーーー突然現れた『あいつ』に会うまで。





ーーーーー。
ーーーぼんやりとしていた意識が戻り始める。ぼやけた景色は次第に鮮明さを増して鮮やかな緑が映り込んだ。何をしていたんだっけ、と頭の回転がまだ遅い状態で考え始めた最中少し離れたところから聞こえてきた男の声にはっ、と我に返る。


「目が覚めたか?」


その声と、顔を見た途端リノは一気に今に至るまでの経緯を思い出す。もう意識ははっきりしていた。飛び上がるように上半身を起こすと真っ先に視界に入り込んだのは自分を中心にして白い線で地面に描かれた魔法陣。複雑怪奇に入り組んでいるそれはかなり大きいものに思えた。


「…何、これ」
「見覚えくらいあるだろう?」
「知らない。こんな物見たことなんて…」
「そんなわけないな、知ってるよ、絶対に」


その男ーーーークロスビーの口調はやけに強気だった。いつもの彼らしい穏やかな笑みを浮かべて、ゆっくりと距離を縮めてくる。逃げなきゃ、と思うのに何故か身体が動かない。上半身を起こすまでは出来たのに今は首から下は指1本すら動かせない。まるで自分の身体では無いみたいに身動ぎひとつ出来なかった。
クロスビーはそんな状態のリノの傍まで近寄ると、肩膝をついて目線を合わせる。


「おいおい、そんなに怖い顔するなよ…別に取って食いやしないって」
「……あたしに何をする…」
なくした・・・・ものを取り返したいんだよな?」
「!」
「さっきも言ったが、俺はお前の…リノの昔を全部知ってる。全部口で伝えたい所だが時間が掛かりそうだからな。だからここに連れてきた。お前の下に描かれた魔法陣これはそれに関わってくる物だ」


角張った右手がゆっくりと伸びてきて目を覆い隠す。身体が動かない以上避けようもない。クロスビーのその手は妙に冷たくて触れられた一瞬肩をびくつかせた。それと同時に地面に描かれていた魔法陣とはまた別の魔法陣が2人を囲うように浮かび上がる。


「大丈夫、全部思い出せれば不安も何もかも消えて無くなる。なくした『記憶』をーーー封をされた・・・・・記憶を取り返せ」


穏やかな口調で囁くようにクロスビーはそう言った。リノのはっきりしていた意識はまた遠い彼方まで飛ぶ。クロスビーが言った言葉の半分はもう聞こえては居なかった。光を宿さない虚ろな瞳が虚空を見つめる。魔法陣から発された淡い光が下から2人を照らし、仄かに吹く風が髪を揺らした。



ーーーー『あの人』に会ったのはいつだっけ。







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