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ーーーー『カルラ』。

それは久しく聞かなかった名前。
ずっと呼ばれてなかった名前。
呼ぶことが許されなかった名前。

その『名前』を聞いた彼の表情は僅かに揺らいだ。それが懐かしさによって行われたものなのか、それともまさかそんな風に呼ばれる日がまた来るなんて思ってもみなかったと言う動揺からなのか、どっちも含まれているのか。それは本人にしかわからないことだが深蒼の瞳が仄かに紅く煌めいたような気がする。まるでそれを隠すように目を伏せ、懐かしさにどこか浮ついているような感情を振り払うように首を振るった。


「ーーーそれは、……その名前は、『俺』じゃない」
「何を言っているの…分からないとでも…!」
「その『名前』の人はもうここには居られない・・・・・。居てはいけないことぐらいあんただって分かってるだろ!」


勿論痛い程に分かっている。それが決まりだった。聞いても、調べてもいけなかった。
あの日何があって、どうして彼の人は死に、彼の人は姿を消すことになったのか。エルネットを含めた彼の人クロスビーの直属の部下達、及び一般隊員達に告げられた事は実に単純で満足の行く説明は一切なかった。

『彼の直属の部下が謀反を起こし殺害をした。討議の結果謀反の者の階位剥奪の元この国からの永久追放とする』ーーーーそのたった一言だけであった。

その討議への参加を認められた人間は殆どおらず、騎士団上層部の人間のみで下された判決。上層部の人間は聖騎士の称号持ちで本来であれば特別部隊も上層部に当たるものだったが、『謀反の者』と特別親しい仲だと言う事で一切の立ち入り、関わりを遮断されていた。故に何故その判決に至ったのか、彼が何をあの場所で語ったのかは誰も知らない。そして終いには『の名前を出すこと』すら禁忌に値すると言われ、世間一般にはクロスビーは『殉職した』としか告知されなかった。その後色々原因の噂はされたが結果的に『いい人を亡くした』と惜しむ人が大半となって行き、あの当時から騎士団にいた者も新しく入団した者もその話題については次第に触れず記憶の片隅から徐々に消えて行った。そうしてほぼ完全にその一連の事件は一部を除いて、人によって違う認識で終わりを告げたのだった。

世間一般が忘れたとしてもエルネットの記憶には未だ鮮明に残っている。普段は忘れた振りをしていたとしても決して忘れるものかと意地になっている所も無くはない。忘れようと思ったこともあった。あの日の全てを知っている彼から答えを聞くことなんてできないだろうと。もう2度と会うことなんてないと思っていた、諦めていた。

だがその追放された人間ーーークロスビーの直属の部下で、特別部隊の隊員で、自分と肩を並べていた人間が今目の前・・・にいる。今を逃せばあの日の全てを聞き出すチャンスは2度と訪れないような気がしていた。最初で最後かもしれないこのチャンスを逃すまいとエルネットは強気に口を開く。


「あたしは既にあの場所から身を引いた側の人間よ、触れてはいけない事に触れた所で大した影響はないわ」
「..……」
「だから何度だって呼んであげる、『ラス』…いいえ『カルラ』、本当は貴方は一体あの日に何をしたの?」
「……言ったところで、信じない」
「っ、勝手なことを言わないで!貴方は何も言わずに去った、何が嘘で何が本当なのかも分からないまま!知らせないまま!あたしはそれが許せないわ、疑いなんてしない、全部を知っている貴方が今すぐ答えて、納得が行かないままでは貴方を先に行かせる事もあの人を止める事も出来ない!」


エルネットは嘘を付くようなひとではなかった。正しく言えば自分に対しての嘘はついたとしても、他人に嘘をつくようなひとではなかった。冗談を言う事はあったがそれも小さな悪戯の範囲内で収まる程度だ。そうさせたのはきっと嘗て自分を押し殺して生きていたエルネットに「自分のやりたいように生きればいい」と受け止め受け入れたクロスビーがいたからだろう。彼が居たからこそ今の自分の発言に嘘はないと自信が持てた。
『カルラ』が見たもの、聞いたことを決して疑わないと、全部受け止めようと。例えそれが知り得ている情報と全く違うものだったとしても。


「仮にあの人が罪を犯したのであれば、今度はあたしがあの人を立て直す。貴方を止めるつもりはないわ。あたしが"エルネット"で居られるのはあの人のおかげだもの」


エルネットのまっすぐ見つめるその目がそれを訴えていて、ちゃんとした返事を貰うまでは断固として動かない様子である。

一方 『カルラ』と呼ばれた青年はエルネットの言葉と強い意思に戸惑いの表情を見せながら静かに目を伏せた。
誰にも言わなかった、 言えなかった、言った所で誰1人として信じなかった真実彼が見たものをエルネットなら最後まで聞き遂げてくれそうな気がした。そうであって欲しいと言う願いもあったかもしれない。また、彼自身もエルネットを含めた「あの時代の人」と会うこともこの話を振られることも聞かれることも一生訪れないと思っていた。胸の内にずっと隠したままこのまま終わりにしようと思っていた。自分が全ての責任を追って終わった事にすれば全て大団円に終わるだろうと。そう思ってあの場を去った。"アリス"の候補者として再びこの地に戻ってくる事になったのも予想外ではあったがその意志は変わらないと思っていた。死んだはずの人クロスビーが生きている姿を見るまでは。

人を貫く感覚。
生暖かいそれが自分の手を伝う感覚。
それが手を汚して行く感覚。

思い出そうと目を閉じれば、忘れたくとも鮮明に残っている記憶のせいで鳥肌が立つ。


「ーーーー俺があの人を殺したのは紛れもない事実だ。この手であの人の身体を貫いた。赤い血が俺の手を伝い、顔に、服に飛び散った後に静かに倒れた姿を鮮明に覚えている」


「だけど俺があの人に手を掛けたのはーーーー」



初めてあの日のことを口にした。



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