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ひゅっ、と風を切るような音を捉えて間もなく。
背中の当たりに強い衝撃を受けて一瞬息が詰まる。
その衝撃に目を瞑って数秒、再び目をあけた時に写って見えたのは天井。そして背筋が凍るかのような冷たい冷ややかな視線を向けるヴァレンスの顔であった。そのあとすぐに自分は教台の上に上半身のみを倒すような感じで押し倒されたことを察した。妙に高い教台のせいで足は爪先が着くか着かないかの世界である。
左手首は肩の付近で教台と一緒に手で縫い付けたように押さえ込まれて、拳銃を握っていた右手は天井に伸ばすように腕を伸ばし、ヴァレンスの耳付近で同じ様に手首を掴まれている。
右手首を掴む手には左手首以上に力が篭り、自然と拳銃を握っていた指が開いて拳銃は床に音を立てて落ちた。



「………、困りましたね、全く」
「っ、なにが…」
「疲れと言うものは大変恐ろしいものです、言う必要がなかったこと・・・・・・・・・・・を、ついうっかり口に出してしまうのですから」


そう言って微塵も恐ろしいと感じていないかのような穏やかな笑みを浮かべる。そしてその表情に再び背筋が凍るような感覚を覚えた。どうにか振りほどこうと力を込めるもののまるでびくともしないのは、相手が恐ろしく怪力なのか、それとも自分が非力なのか。今自分が置かれている体勢が上手く力を込め難いのもあるかもしれない。

目の前にいる男は只者ではない。
内側から感じる恐怖を隠してジッと睨んだ。


「………、そんな状態で睨まれても、覇気に欠けますよ」


確かに、ごもっとも過ぎて返す言葉が出てこない。現状を見る限り今の自分の状態では目の前で不敵に笑っているこの男を突き飛ばすこともましてや殴り飛ばすことすら出来ない。ほんの一瞬、それだけでいい。自分を捕らえることに向いている意識を逸らす事が出来れば。両者の腕には抵抗の意を示しているクレスと、それを阻止するヴァレンスの力がそれぞれ篭っていて恐らくその差はなく平等であった。
ならば自分が引けば自らの腕を引き上げるような形になるだろう。すっ、と抵抗する力を抜いた。案の定予想通りに不意に反発していた力が掛からなくなったが故にクレスを引き起こすように腕を引いた。ヴァレンスは僅かに驚いたような素振りを見せ、両手首を握り締めていた手が若干緩む。その緩んだ隙を見て片方の腕を振りほどき、追ってもう片方も振りほどいた。そして逃げ出す為の、または足元に落ちた拳銃を拾うだけの時間を得るために一撃を決めようと手を上げる。ここで魔法を使うのは得策ではないと直感的に判断した故の行動であった。握り締めた掌が頬に触れそうな程に近付いた。避けられる距離では無いのは一目瞭然でましてや彼はクレスが腕を振りほどいた勢いで体勢を立て直しきれていなかった。


ーーーだがしかし。あと少しで触れると言うギリギリの距離でその手はヴァレンスの細い腕に完全に阻止される。腕と長い髪で隠れた表情が僅かに視界に入り、その表情に再び恐怖を感じる。
彼は相変わらず笑っていた。微笑んでいた。
予想通りだと、この程度かと言わんばかりに。
次はこちらの番だと訴えるように小さくため息を吐き出してから1歩、と動き出す。早いけれど避けられなくはない。クレスは振り下ろされた手を避けながら再びチャンスを伺っていた。避ける動作が何回か繰り返された頃、事態は一変する。避けた際に足を置いた先に積み重なった本があった。それが綺麗に縦に積み上がっていたならまだ違っていたかもしれないが、運悪くもその本は本の向きも揃わず本同士が触れている面積もバラバラな適当にとりあえずと積み上げたものだ。避けた際にそれに片足を捕られて身体が後ろに傾く。


「………っ、!?」


傾いたと同時に視界に一瞬だけ写った相手の掌が音を立てて自らの頬に当たり、そのままよろめいて本棚に背を預ける形で後ろに倒れた。倒れた反動で再び背中に強い衝撃が走る。その衝撃に表情を歪め、痛みに一瞬息が詰まった。
それと同時にぶつかった衝動で本棚から何冊か本が音を立てて地面に落ちる。音を立てずに静かに近付いてきたヴァレンスの手が再びクレスの両手を掴み今度はがっしりと頭の上辺りで纏められた。もう片方の手で顎先を掴んで無理矢理視線を合わせるようにすると流れるように自らが殴ったであろうクレスの頬に指を伝わせた。指が伝った部分は殴られた衝撃で赤く滲んでいる。



「……私は、出来れば手荒な真似はしたくなかったんですよ?"あのまま静かに抵抗せず、私の話を聞いて下されば"の話ですが」
「……っ、随分面白い言い訳するんだな、あんたも。手を出す気満々だった癖に」


自分がこうする事を分かってたんだろ、と、付け足すように言う。手伝うために部屋に入った時から感じていたが、この部屋の甘ったるいような匂いが原因なのか、今起きている事に少なからず動揺しているのが原因なのかは分からないけれど妙に息苦しい。
クレスは小刻みに小さく口で呼吸をし、お互いを見合う時間が少しの間続いた。


「ーーーーまぁ、確かに予想はしていましたが…それよりもついうっかり言わなくていい事を口走ってしまった自分自身に今とても失望していますね」


正直言って、そんな風にはまるで見えない。そう言っておきながらも表情は実に穏やかであった。その表情すらも作られた偽物の表情ーーーーまるで仮面の上に描かれたものようだ。
"この人物は一体何なんだろう"と疑問だけが頭に残る。


「……、そんな話はどうでもいい、とでも言いたそうな顔をしていますね」


そう言って僅かに目を細めるのと同時に手首をつかんでいた手にも力がぐっと篭る。そしてゆっくりと顔を近づけ、静かに耳元で囁いた。


「…これ以上無駄な抵抗は……、いえ、抵抗しようだなんて考えを抱かないでくださいね?出来るなら私は、これ以上貴方と言う大切な同志・・・・・の身体を傷付けたくはないのです」
「....…っ」


ぞわり、と背筋が凍るような感覚が襲う。
彼の言う"言わなくていい事"を問い詰めた後からずっとこの人物に対しての恐怖以外の感情が湧き上がらない。
怒っているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか。感情がまるで読み取れないこの男ヴァレンスに果てしない恐怖を覚えた。



「ーーーーでは、まず、昔話を始めましょうか」




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