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借ります、と言ってから特に返事を待つわけでもなく、 足早に指を指した先ーーーーーピアノの前に立ち、椅子に浅く腰掛ける。 カバーをゆっくり開ければ綺麗な鍵盤が姿を現した。

正直、余りにも久しぶり・・・・・・・・で、弾けるかどうかなんて分からないけれど。
記憶を頼りに鍵盤の上に指を這わせる。静かに1度深呼吸をしてから指を動かし始めた。 案外、数年弾いてなくても弾けるものなんだなと思った。見様見真似で覚えた"それ"であっても体が覚えているんだろう、軽やかに、澄んだ綺麗な音が並び、メロディーに変わる。
そのメロディーは店の外まで漏れ出し、まるでそのメロディーにつられるかのように、オーナーが話した"懐かしい話"のように、道行く人を誘い店内を賑わせた。引き終わった頃には空席が半分以上埋まっていた。 あの日と同じような現象が目の前で起きたオーナーは驚きを隠せていない様子であったが、それと同時に"彼" が『そう』なのではないかという疑問が湧き上がる。

もしそうだったとしたら。
それは『大変なこと』であるのに変わりはない。
下手をすれば自分が『タダじゃ済まない』。
そうなる前に失礼承知で『そう』なのか聞かなければならない。オーナーは意を決したかのように口を開き、問いかけの言葉を紡ごうとする。それを察したかの如くラスも同じく口を開き、言いかけた言葉を止めさせた。


「 あんた、もしかして…!」
「オーナー」


硬貨の無機質な音が賑わった店内の中でも僅かに聞こえた。鍵盤の上に、料理代より少し多いくらいの硬貨が置いてあった。


「ーーーあんたの料理、美味しかった、ご馳走様」


長い前髪の隙間から見えた瞳は僅かに笑っているように見え、そのまま足早に踵を返す。後を追いたい気持ちもあったが店内の賑わい方を見る限り追うことなんて出来やしない。 見なかったことにしよう、とその瞬間心に決めた。
そんな簡単に忘れられるはずがないのも分かりきっていたけれど、きっとこの忙しさならどこかに消えてしまうに違いないと信じた。自分の身が危うくなるような事・・・・・・・・・・・・・・はしたくないから。



早足で店を出たあと、人混みに紛れるように歩いた。
正直、なかなかに馬鹿なことをしたなぁと思う。自らを窮地に立たせるようなことをした理由は自分自身もいまいちよく分かってはいない。情が沸いたとでも思っておけばいいだろうか。あれだけ賑わいを見せていたからきっと追いかけてくる心配はしていなかった。が、特に行く宛もない。少しだけ人が掃けているとこでこれから何をするか考えようと足を勧めた矢先、どん、と小さく音を立てて右側から何かがぶつかってきた。「痛い」と小声で上げた声の主は隣で尻餅をついていて、俯いた顔からは表情が伺えない。自分からぶつかった訳ではなく、相手がぶつかってきたけれど流石にこのまま立ち去る事なんて出来るはずもなく、小さくため息を吐き出してから手を差し出した。


「…、おい、大丈夫か?」
「ごめん、ありがとう、ございま…」


『ありがとうございます』と言いかけた所で相手のーーーー転んだ少女の顔が見える。お互いに顔を見合わせた。



「ーーーー、ラス…?」
「またお前か」
「またって何よ!」


差し出された手に捕まって引っ張りあげてもらい立ち上がると、手で汚れを叩いた。いつもの流れで、何かしら突っかかってくるかと思ったが そんな素振りは全くと言っていいほど見せない。逆に静かすぎて何かあったのかと疑うレベルである。

リノは汚れを叩き落とし終わると「じゃあ」と聞こえるか聞こえないかの音量で呟く。表情は見えないまま、背を向ける。


「…、おい」
「っ、わ!?」


立ち去ろうとする前にリノの片手を掴み後ろに引っ張ると、進行方向とは逆向きに、しかも不意に力が掛かった為ぐるり、と一回転しかける。お互いに向き合った時のタイミングでラスの両手がリノの頬に触れ半ば強制的にリノの顔が上を向く。約頭1個分の身長差があるが故に下から見上げるようになったリノの表情ははっきり過ぎるほどによく見える。



「……っ、み、見ないでよ!」
「泣いただろ、お前」


目の周りが赤い、と付け足す。その通り過ぎて返す言葉すら見つからない。
気付いてもらって嬉しい気持ちとそれすら隠すことが出来ない自分の不甲斐なさに再び瞳にうっすらと膜が張り始める。
今すぐにでも大粒の涙が零れ落ちそうな状態で、ラスは困ったように小さく溜息を吐き出すと、リノの前で屈み、リノの膝裏と脇下あたりに腕を回してそのまま軽々と持ち上げる。
突然視界が反転するような感覚に驚き、リノは反射的にラスの首周りに腕を伸ばした。


「え、ちょっと、なに…」
「こんなとこで大泣きして俺が泣かしたみたいになるのは勘弁」


降ろせと暴れる前に釘を指すように言うと、そのまま足早に人混みを抜けていった。




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