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初めてあの場所であった日。その少女は余りにも人間離れしているように見えた。急に自らの周りで「怖いこと」が起きて怯えているようにも見えたけれど、それ以前に、心ここにあらず、と言えるようなどこか遠い所で他人事のように進む事を見ているような感じがした。
言い表すのであれば「人形」だろうか。
感情を持たず表さず、ただそこにあり続ける動く「人形」。
一番最初の印象はそのぐらいであった。
帰る場所がここではない遠い所であると知り、 空き部屋を貸出して一緒に過ごすことになった。
そしてそれと同時に、その少女は自身と"同じ"である事を知った。
いつか突然訪れるであろう「終わり」に心のどこかで怯える生活。
少しずつ、少しずつ、と時間が過ぎていく間。
「ーーーー初めて、僕は君が笑う姿を見たんだ」
笑ったその少女の顔はどこかぎこちない感じがしていたけれど、一言で言うならば綺麗だと言い表すぐらいの笑顔であった。 その時に気付いたのは、「この少女は、"素直に笑うこと"を知らずに今まで生きてきた子なんだろうと。素直に感情を表すことが出来ないままそれでいいと思ってる子なんだろうと。
そう気付いたのと同時に、自分の中にある感情が芽生え始めた。
「ーーーー君の笑う姿を見て、僕は、"君に笑っていて欲しい"と思うようになった」
この少女が素直に感情を表わせられるように、この少女が、"それ"が普通ではないんだと、気付いて貰えるように。そう願い、そうなって欲しいと望んだ。
それを「好き」と言う感情と呼んでいいのかは分からない。
けれど、気付いた時には「少女の幸せ」を望むように、「少女が笑って過ごせる世界」を望むようになっていた。
淡々と自身の中にあったものを語るアレルだったが、その一言を終えた後に言葉が詰まった。
「なのに、僕は、君を、いろんな人を傷付けて、勝手に居なくなって、……本当に、最低だよね」
「っ、そんなこと…!」
真琴は咄嗟に身を捩って体の向きを変えた。お互いに向き合うような形になった2人であったが真琴の目に写った彼の目には零れそうなぐらいの涙が溜まっていた。
彼のその言葉はけじめとして、と当人は言っていたものの、次第にそれはまるで懺悔のような、自らを責めているように聞こえてくる。真琴はそっと手を伸ばしてアレルの頬に触れた。
「そんなこと、絶対にない…から、そんなに、自分を責めないで…!」
真琴の声は震えていた。けれど、その言葉ははっきりとした自分の意思が帯びていて、ここでまた彼女が変わっていく様子を目の当たりにした。アレルは困ったように笑って、小さな声で"ありがとう"と呟く。
今度はアレルの手が真琴の頬に触れ、流れるように動くその手は真琴の前髪をそっと掻き分けた。そしてそのまま真琴の額に小さなリップ音を立てて唇を落とした。唇が触れた所からじわじわと熱が広がって顔が熱くなりまた鼓動が早まっていく。
「参ったな…、もう時間がない、って言うのに、まだもっと君と居たいって思ってる自分が居るよ」
「……っ、あの、私…」
何かを言いかけた真琴の唇にアレルの指が触れて、言葉を紡ぐ事を阻止した。
「君の答えを聞いたら、本当に戻りたく無くなっちゃうから、…我が儘な僕でごめんね」
切なそうな、嬉しそうな、そんな笑みを浮かべながらアレルはもう一度真琴の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめる。
「ーー僕は、君に会えて本当に、本当に良かったよ」
彼の体温の暖かさか、それとも自分が熱いからか。
「ーー…、このまま終わりなんて来なければいいのに」
次第に瞼が重くなっていく。
「ーー辛いこともあるだろうけれどどうか」
閉じかけた瞼の先に淡い光を感じて。
「ーーーーー真琴が幸せでありますように」
真琴は深い深い、眠りに落ちた。
「Vielen Dank, Menschen, die geliebt」
「ーーーーMenschen lieben es, auf Wiedersehen」
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