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不意を付いたその一撃が、またはその一言が。
エミハルトの気に障ったのだろうか。
前髪の隙間から覗いた瞳は酷く冷たく、鋭い。
一言で表すのであれば狼に睨まれた兎だろう。ぞっと背中を恐怖が駆け抜けて鳥肌が立った。

『ここに居てはいけない』と、本能的に感じる。
今まで仇となっていたまだ幼き身体が今度は味方し、辛うじて伸びてきた手をすり抜け、ただひたすらに走った。"あれ"の支配下に置かれた者に見つかっても、捕まっても、はたまた本人に捕まっても。辿り着く答えはきっと同じだろう。

父の意思ではなく、自分の意思で『己の未来の姿』になるかもしれない者を否定したのだ。否定した父がどう・・なったかは自身が一番よく分かっていて、目の前で見ている。
今ここで逃げなければ、見つからないどこかへ、どうにかしなければと言う一心で走った。
かと言って逃げた所で行く宛などない。
寧ろ逃げた先で自身の種族、生い立ちを知られてしまえば元も子もなく、『消されて』しまうだろう。
自分の許容量が"人並みより遥かに上"である事は本人がよく分かってる。

不意に、脳裏にあの言葉が蘇った。
父が自分に教えた『生きる為の術』である。
もしかしたら唯一かもしれない、父が丁寧に真剣に教えてくれた"魔法"があった。
アレルは一旦逃げるのを辞め、木陰に身を潜める。かなり静かな空間ではあるが足音すら聞こえない所を見るとまだ誰も近くには来ていないのだろう。

乱れた呼吸を正しながら、思い描く。地面には白ひ光を発する魔法陣が描かれていき、汗が伝う頬を照らした。

父が教えてくれた『生きる為の術』とは『自身のマナの変換量と変換量を"人並みより少し多い程度"に抑える』と言うものであった。変換されなかったマナは身体の内側に蓄積されるものの『無茶な魔法の発動方法』をしない限りは何も起きない、"普通"で居られる。そしてそれは、身体に一瞬だけ僅かな痛みを残して成功した。僅かな時間、左胸に刺すような痛みを感じた後に魔法陣のような印が現れて、直ぐに消える。消えたと同時にうっすらと"何かが変わった"ような、言葉にし難い感覚が襲った。その感覚が襲った事により少しずつ『安心感』に似た感情が湧き上がってきた。

これならきっと、 自身の素性が見つかる可能性は低いだろう。
魔法が解けないように、自身が気を付けて限度を決めて使えば、変換されずに内側に溜まったマナが溢れ出す事もない。

そう安堵したのも束の間で、ぱきん、と落ちていた小枝を踏んだような音がする。その音に過剰な程に反応し、肩を揺らした。"それ"はガサガサと荒々しい音を立てながら草木を掻き分けてこちらに進んで来ているのが分かった。すぐにでも逃げられるように、なるべく音を立てずに体勢を整えた。
だが最後の壁となる茂みを割って現れた"それ"に驚きを見せると同時に安心する自分がいた。
実物を見たのは初めてであったが、話を聞くことは何度かあった"それ"は想像していたよりも軽装にも見えたが腕に付いた腕章と、その腕章に記された国の紋章が"本物"であると訴える。
この時アレルの前に現れた人物こそがーーーーー。




「ーーーーーー前筆頭、クロスビーだったって、こと?」


リノの言葉に小さくクレスは頷いた。暫くの沈黙が訪れたあとに、ベッドに座りながら話を聞いていたリノが背伸びをしながらひっくり返る。


「んんんん…、全然頭追いつかないってば〜!」
「…、まぁそうだろうな、俺自身完全に理解できてないし」


蝶を手にした事により分かったとは言え、確実に記憶を読み取れるのは"アレル"の記憶とエミハルトが器として移り変わる前のヘルムの僅かな記憶のみであった。実際問題アレルが会った『クロスビー』と、エミハルトが話したと言う事 『クロスビー』を名乗る人物が同一人物であるのかどうかは全くもって不明である。

理解出来るような、出来ないような。
あまりにも突然の、膨大すぎる情報に頭と身体が一致しないような、言葉にし難い立ち位置にそれぞれは居た。
それは真琴も勿論同じで色々何かを言いかけては辞めて、を繰り返す。静かに起き上がったリノは頭を軽く掻きながらゆっくりと立ち上がり扉の方へと向かう。


「ちょっと、頭冷やしてくる…、なんか、パンクしそう」


自らの表情を見せないまま、真琴の横を通り過ぎながら立ち去り際にそう告げると、特別返事も聞かずに部屋を出ていった。

閉じた扉に少しだけ体重を預けるように寄り掛かると、"何のせいなのか分からない"が小さな頭痛が襲っていたようで、片手で前髪をくしゃり、と握り、
困ったような、不安げな表情を浮かべる。



「ーーーー"魔女"、か…」



何よりもその一言が深く脳裏に残っていた。













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