唇は貴方を逃がさない。









「では、第一部隊は南に進軍。第二部隊は、合図があり次第奇襲を仕掛けます」


にこり、と左近が笑みを浮かべて、兵に軍略を説いていく。
私はその後ろで、ただじっと、戦を待っていた。
左近の弄する策ならば、何も問題はない。秀吉様と半兵衛様が認めた手腕―――私も、認めている。


「それじゃあ、行きましょうか。三成さん、」

「フン…行くぞ」


兵の声の間を、馬で走り抜ける。蹄の音が連なっていることから、左近もついて来ているだろう。
思考を隅に追いやって、向かって来る兵を斬り捨てた。









勝鬨を聞きながら、やれやれ、と一息。事後処理の手筈を整えなければいけませんねえ。
そう思案しながら武器の手入れをしていれば、不意に、背後が陰った。


「お疲れ様です、大谷殿。すいません、駆り出してしまって」

「やれ、病人の我をも使うとは。主は冷酷よ、島」

「はは、知ってますよ」


微塵もそう思っていないのは、分かっている。
通過儀礼のようになっているやりとりは、誰も知らない。
大谷殿独特の引き笑いが聞こえた。


「主はまこと、冷酷よ。何人を死に追いやった?」

「人聞き悪いですねえ、彼らがしくじっただけですよ」


因みに十五人です、と答えておく。私が殺した人数ではない。
にこ、と笑みを浮かべると、大谷殿は、また、ひとしきり笑う。


「成功せぬ策を弄した主が原因と言わず何と言うか、ヒッヒ」

「気付いているのは大谷殿だけですから。表向きは、彼らの不備になる。良くも悪くも、三成さんは私を疑うことを知らない」


三成さんだけでなく、この軍全体が。私を信じるだけで無く、疑う余地さえ皆無だから。
だから、こそ。


「私はそんな三成さんを敬愛していますから。あのお方が裏切りを憎み、更に傷付くならば―――その事実さえ気付かせずに、消してしまえばいいだけの事」


武器を置いて、大谷殿に向き直る。
細められた眼の意味は、興味か、慈愛か、…それとも危機感か。
静寂のあと、ヒッ、と引き攣った息が響く。


「道化となるか、島。あの男の為だけに」

「ええ。それが私の"望み"ですから」


きっぱり言い切ると、主も物好きよなァ、と小さく聞こえた。ええ、百も承知です。
それから私を呼ぶ声に返事をして、立ち上がる。
貴方には、策の不備を詫びて、困ったようにまた笑って、今度こそ、と次をねだろうか。







唇は貴方を逃がさない。
(偽善も偽悪も酷とでも)
(何にでもなりましょう)
(けど貴方の前でだけ、)
(左近は誠実で在り続けますよ)



110608
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