唇は貴方を逃がさない。 「では、第一部隊は南に進軍。第二部隊は、合図があり次第奇襲を仕掛けます」 にこり、と左近が笑みを浮かべて、兵に軍略を説いていく。 私はその後ろで、ただじっと、戦を待っていた。 左近の弄する策ならば、何も問題はない。秀吉様と半兵衛様が認めた手腕―――私も、認めている。 「それじゃあ、行きましょうか。三成さん、」 「フン…行くぞ」 兵の声の間を、馬で走り抜ける。蹄の音が連なっていることから、左近もついて来ているだろう。 思考を隅に追いやって、向かって来る兵を斬り捨てた。 * 勝鬨を聞きながら、やれやれ、と一息。事後処理の手筈を整えなければいけませんねえ。 そう思案しながら武器の手入れをしていれば、不意に、背後が陰った。 「お疲れ様です、大谷殿。すいません、駆り出してしまって」 「やれ、病人の我をも使うとは。主は冷酷よ、島」 「はは、知ってますよ」 微塵もそう思っていないのは、分かっている。 通過儀礼のようになっているやりとりは、誰も知らない。 大谷殿独特の引き笑いが聞こえた。 「主はまこと、冷酷よ。何人を死に追いやった?」 「人聞き悪いですねえ、彼らがしくじっただけですよ」 因みに十五人です、と答えておく。私が殺した人数ではない。 にこ、と笑みを浮かべると、大谷殿は、また、ひとしきり笑う。 「成功せぬ策を弄した主が原因と言わず何と言うか、ヒッヒ」 「気付いているのは大谷殿だけですから。表向きは、彼らの不備になる。良くも悪くも、三成さんは私を疑うことを知らない」 三成さんだけでなく、この軍全体が。私を信じるだけで無く、疑う余地さえ皆無だから。 だから、こそ。 「私はそんな三成さんを敬愛していますから。あのお方が裏切りを憎み、更に傷付くならば―――その事実さえ気付かせずに、消してしまえばいいだけの事」 武器を置いて、大谷殿に向き直る。 細められた眼の意味は、興味か、慈愛か、…それとも危機感か。 静寂のあと、ヒッ、と引き攣った息が響く。 「道化となるか、島。あの男の為だけに」 「ええ。それが私の"望み"ですから」 きっぱり言い切ると、主も物好きよなァ、と小さく聞こえた。ええ、百も承知です。 それから私を呼ぶ声に返事をして、立ち上がる。 貴方には、策の不備を詫びて、困ったようにまた笑って、今度こそ、と次をねだろうか。 唇は貴方を逃がさない。 (偽善も偽悪も酷とでも) (何にでもなりましょう) (けど貴方の前でだけ、) (左近は誠実で在り続けますよ) 110608 |