喜びも悲しみも――過去。






連れて来られたゼロライナーは、酷く落ち着いていて。
けどそんなことはどうでもよかった。俺には気にする余裕もない。
乱暴に乗せられた頭のタオルは、凄く優しく動かされていた。


「……ハナ、もういいよ。そのうち乾くし」

「風邪引くと困るから駄目」


半分呆れたようなハナの声は、少し沈んでいる。
俺の前に座った侑斗が、かちん、とカードケースをテーブルとぶつけた。


「……彰太郎。なんでそうも参ってる?」

「…………」


静かに問われた声は、俺の意識をすり抜けていく。
もう一度、少し語気を強めて言われて、漸く理解できた。
横のハナが、心配そうに俯く。


「おい、聞いてるのか」

「……良太郎が消えた。"俺"が"良太郎"に、良太郎の"場所"を―――奪ったんだ」


見開かれる目は、もうどうでもよかった。
浮かぶのは自嘲と、自責。それと罪悪感。
……ああそうか、わからないんだ。時間はもう変わったから。あの時間はなくて、この時間が、"今"だ。


「……彰太郎が、"良太郎"になったってこと?」

「――――――え?」


ハナの言葉に、顔を上げた。
今、何と言った?俺の言うことを否定せず、要約をしていなかったか?
絶句する俺に、侑斗は更に眉間のシワを増やす。


「感じてた違和感はそれ、か。厄介事になったな」

「お前ら……わかる、のか…?」

「わかるよ。良くも悪くも、私は"特異点"だから」


そう小さく笑うハナの表情も、苦しそうで。
別にそうだと誰に言われるもなく、俺のせいだと瞬時に理解した。
俺が奪ったから。俺が"良太郎"を、消してしまったから。
荒れた唇を噛んだ。血の味すら、もうわからない。


「それで?彰太郎は今、"電王"なんだろ?やれるのか?」

「侑斗!そんな言い方しなくたって…!」

「……俺には、出来ない」


立ち上がって侑斗を諌めようとするハナの横で、俺はそう零した。
どちらかが、或いはどちらも、息を飲んだのがわかる。


「俺は良太郎じゃない。電王じゃ、ないんだ」

「でも"今"はお前だ。時間がどうなってもいいのか?」

「んなモン知るか!!」


デンライナーのときと同じように、テーブルをおもいっきり叩いて立ち上がる。
荒げた声に、侑斗の驚愕が見て取れた。
ぐるぐると渦巻くどす黒い感情は、溢れ出して止まらない。


「俺は良太郎じゃねえ!あんなに強くも何も無い!結局、欲しいのは"電王"なんだろ?!ならくれてやる!だからもうこれ以上、俺に関わらないでくれよ!」

「…彰太郎……」

「なあ、頼むよ……良太郎を置き換えないでくれ…」


ああ畜生、泣きたくなってきた。なんて情けねえ。
良太郎、俺はやっぱりお前とは違うんだ。お前にはなれないんだ。


「これ以上、"俺"を消さないでくれよ…!!」


呆然とした顔の二人が見えた。何も言わずに、ただ俺を見据えて。
俯いて、ゆっくりと。俺は足を乗降口に向けた。
癖になったように噛んだ唇は、鉄と、それから塩の味だった。









喜びも悲しみも――過去。
(過ぎ去ってしまった人と、感情)



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