愛すべき【玩具】。







「統羽、殿!」

「こんにちは、諸葛誕殿。何かありましたか?」


ぴしりとした佇まいで私の前に立つ彼は、眉間にシワが寄っていた。一度話題に出したら、これが常なのです、と返されてしまったけれど。
あの、と言い澱む彼は視線をずらしている。初心なのかと思ったが、元姫や女官相手はそうでもなかったはず。
……となると、あまり親交の無い私に戸惑っていると見るのが妥当だろう。


「よろしければ、私にご教授願えませんでしょうか」

「申し訳ありません、私の武芸は―――」

「いえ、武芸ではなく……その、軍略を」


今度はこちらが呆気に取られる番だった。
こう言っては何だが、諸葛誕殿はあまり人の言葉を聞き入れる性格とは思えない。なのに、こう申し入れて来るとは、何かあったと見るべきだろう。
胸中の思考はおくびにも出さず、にこりと笑みを浮かべる。


「私などで宜しければ、喜んで。何処か部屋に行きましょう」

「ありがとうございます」


こちらへ、と指し示して、その方へ足を向けた。
少し歩いた先にたどり着いたのは、書物や地図などでごった返している小さな部屋。仲達様が与えてくださった、私の勉強部屋、兼、物置。
ぽかんとしている諸葛誕殿を横目に、荷物を少しばかり退けて、座れる場所を確保する。


「どうぞ、諸葛誕殿。雑然としていて申し訳ありません」

「は、…失礼します。此処は、統羽殿の?」


怖ず怖ずと部屋に入りながら、諸葛誕殿はそう問うた。確かに、これだけ物があればそう思うだろう。
はい、と小さく肯定を返して、座るように促した。


「仲達様にお気遣いいただきまして。有り難く使わせていただいているんです」

「そうなのですか」


そういいつつ、彼の視線は私に向かない。乱雑に積まれた書物や地図に向けられていた。珍しいモノや稀少なモノも多いのだ、無理も無い。
それを横目に、何時も演習で使う地図と駒を机に拡げるべく、周りを見回した。これとあれで良さそうですね。


「諸葛誕殿、どうぞこちらへ。この陣図と駒を使いましょう」

「はい、」


諸葛誕殿を座っていただいてから、陣図に駒を置いた。自軍が青、敵軍は赤。
あくまでも"机上"の軍略ではあるけれど、いきなり実践するよりは全然良い。そういえば昔は、ここで仲達様に教えを賜っていたっけ。


「では、諸葛誕殿。青を自軍としましょう。その時に、東西の大きな拠点―――いわば"城"を落とさねばなりません。さあ、どうしましょう?」


私の言葉に、諸葛誕殿は考え込んだ。まずは考えることが大事と、分かっているらしい。実際、戦場となれば迅速な判断が必要とされるのだけれど。
少しして、諸葛誕殿は私の名前を呼んだ。


「はい、」

「小隊を作り、同時に攻め掛かる。すれば、敵の動揺も誘えるのでは?」


こつん、と駒を弾く音。それぞれの城の上には、赤と青の駒がひしめき合う。
確かにそれが出来るなら、それもありだろう。だが、現実はそう甘くない。彼の言うことは、些か定石すぎるかもしれない。


「諸葛誕殿、確かにソレもありでしょう。ですがもし、二つの城の堀である川―――その橋を落とされたら?」

「…………!」


諸葛誕殿の顔付きが変わった。気付いたのだろう、自分が一点しか見ていなかったことに。
唇を噛む姿に、小さく苦笑い。誰もが一度は通る道、そう気にしなくても良いのに。
気付けるということはとても大事なこと。それがまず第一歩なのだから。


「ふふ、そう気落ちしないでください、諸葛誕殿。私も昔そうでしたから」

「そ、そうなのですか……ではどうやってそれを抜けたのです?」


諸葛誕殿は興味津々、といった感じで問い掛けてくる。まあ、そうでしょうね。此処に解決の糸口がある訳ですから。
小さく笑って、それはですね、と言葉を続ける。


「盤をひっくり返すんですよ」

「盤?」


訝しげな諸葛誕殿に肯定を返し、駒を最初の位置に戻した。
それから、青の駒をひとつ、手に取る。


「今、自軍は青と言いました。だからそちら側から考えるのは当たり前のこと。ですが、それでは先程のように穴を突かれやすい」

「はい」

「だから逆に"相手"になって、この場合は赤の駒側に立って考える。碁などに例えて、"盤をひっくり返す"と言うのです。詰めに近付くほど、手は減っていくもの。自分が手詰まりのときこそ、相手の側に立って考えるのですよ」


にこり、と笑って言えば、諸葛誕殿は感嘆の表情を浮かべた。まあこれも全て、仲達様の受け売りなのだけど。
ありがとうございます、と一言言って、諸葛誕殿は立ち上がった。いけない、こんなに日が高くなっている。仲達様のところへ行かなければ。


「統羽殿、宜しければまた、ご教授いただいても?」

「私でよろしいのでしたら、喜んで。―――諸葛誕殿、行かなければ間に合わないのでは?」

「し、失礼します!」


慌てて頭を下げて、諸葛誕殿は部屋を出た。残されたのは陣図と私、何時もの光景だけ。
小さく笑って、駒と陣図を片付ける。
諸葛誕殿は本当に素直な方。私の言葉も、盤をひっくり返して見れば良かったのに。







愛すべき【玩具】。
(遊びすぎて壊さぬよう気をつけて)



120411
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