敵か味方か役立たずか。 「なあバニーちゃん」 トレーニングをしている僕の元へ、大してしているところを見たことが無い崖っぷちのベテランが来た。 ニヤニヤしているところを見ると、どうせロクでもないことを言いに来たのだろう。 止めることなく、視線だけで一瞥した。 「何か用ですか」 何時ものように突っぱねてみても、つれねえなあ、とぼやくだけで、離れようともその顔を引き締めようともしない。 チェシャ猫のよう、などと言ったら、チェシャ猫に失礼だろう。 「ラグナロクにはそんな態度じゃねえのに」 「は?」 思わず怪訝に聞き返すと、それだよソレ、と指さされた。酷く、不快感。 顔を逸らして、トレーニングの負荷を上げた。付き合うだけ時間の無駄だ。 「邪魔しないでください、オジサン」 きっ、と睨みながら見据えると、わざとらしく肩を竦めた。様にもなりはしない。 それから、無理矢理に肩を掴まれると、ぐいぐいと引っ張って行かれる。 「離してください、僕は貴方ほど暇じゃないんです!」 「俺だってヒマじゃねえよ。……おう、ラグナロク!」 オジサンに呼ばれて、彼女は緩慢な動作で振り返った。相変わらずの冷めた眼が、僕を映しているのかは分からない。 ざわ、と感情が揺らめいた。 「何か用かしら、タイガー&バーナビー。無意味な説教とかは遠慮するわ」 「ちょ、おま!ありがたーい先輩の言葉を無意味な説教とはなんだ無意味な説教とは!」 「誰もオジサンだなんて言ってません。被害妄想ですか?」 「ひっでぇなあ、バニーまで」 わざとか否か、唇を突き出すオジサンから視線を逸らした。そんなことしたって、可愛くも何ともありませんから。 一瞥した彼女は、文字通り"無表情で"僕達を見据えていて。 目を伏せた事で、それは直ぐに消え失せた。 「漫才に付き合う暇は無いの。失礼するわ」 今にも溜息を吐きそうな声色で、ラグナロクは言い捨てる。それから言葉通り、くるりと踵を返した。 反射的に手を伸ばす。ここまま、彼女が消えてしまう気がして。 だけど、僕の手はあっさりと彼女の手首を掴まえた。何も変わらないくらい、簡単に。 勿論、それは当たり前のはずだが、それに酷く驚いた。 「……放してくれない?それとも、まだ何か?」 少しの間を空けて、彼女は僕を睨んだ。 鋭いはずの眼は微かに揺れていたが、その理由を僕が分かるはずもない。 そのまま固まる僕の手を、彼女は思いきり振り払った。 再び返される、踵。 「おい待てって!俺は聞きたいことがあるんだよ!」 「…なに?このあと予定があるのだけど」 「え?あー、その、だなあ……」 引き止めてくれたのは正直予想外だったが、その後が伴わない。やっぱりオジサンはオジサンだ。 言い澱みを繰り返す姿に、ラグナロクは小さく溜息。それは確実に、僕が気付くと分かってだろうけど。 意を決して、口を開く。 「なまえ、」 「…………」 「貴女の名前が知りたいんです」 僕の声は、何故か今まで以上に響いた気がした。他の音が消え失せて、刺すような耳鳴りが止まらない。 思わず言ってしまったことに、後悔。 それでも、彼女から視線は離さない。そこまで醜態を曝すものか。 「…………そう、物好きね」 小さく聞こえた、独り言のような呟き。それを聞き返すよりさきに、彼女は歩きだす。 だが、それが不意に、止まった。 「…ハリエットよ」 聞き逃しそうなくらいに小さかった。それでも、僕にとって、その声だけが鮮明で。 ハリエットはさっさとこの場を離れてしまったが、それすらも気にならない。 やっとわかったハリエットという響きは、驚くほどすとん、と心に落ち着いた。まるで、昔から慣れ親しんできたような。 「ほぉら、俺のお陰だろ?バニーちゃん」 横で笑うオジサンは、本気で空気が読めないらしい。更に言えば、素晴らしくお節介だ。 それでもきっかけにはなった。…けど、 「うわ、自分で言った……それだからオジサンなんですよ」 それを認めるのは、何だか釈然としない。 敵か味方か役立たずか。 (漸く、ひとつ、) (だたそれだけで) (とても嬉しくて) 110923 |