願いの意味が変わる時。






最初に浮かんだのは、やらかした、という冷静なモノだった。
自分の能力は重々承知していたのに。身体は不自然な風にさらわれることなく、重力に従って落ちていく。
目を閉じた。このまま、この生が終わるならそれもいい。

―――けど、何時まで経っても痛みは無い。
ゆっくり瞼を開けた前には、輝きの失せたピンクと、翡翠の瞳。


「大丈夫、ですか」

「……ええ。ありがとう、バーナビー。下ろしてくれる?」


厭味でも言われるかとも思ったけど、それ以上何を言われることもなく、彼は私をすんなりと地面に下ろした。
焦ったように、こちらへ走って来るのは、ワイルドタイガー。


「おい、何してんだよ!死ぬかもしれなかったんだぞ!」

「そうね。でも、死んでないからそれでいいわ……お先に、」


喚くような反論は無視して、横を通り過ぎた。
心臓が煩い。理由は幾つか思い付いたけど、危険による生理反応だと位置付けた。
それ以外の理由など、あってはならないのだから。


「ラグナロク君!大丈夫かい?」

「……ええ、大丈夫です。貴方が気に病むことなど何もありません、KOH」


先手を打って、そう紡ぐ。予想通り、彼は謝ろうとしていたのだろう、しかし、とちょっと困った様に言い澱んだ。
そのマスクの下は、きっと眉を下げているのだろう。

一礼して、アポロンの車へ。
それに気付いた斎藤さんが、あの、独特の笑みを浮かべた。


『大丈夫だったのか』

「問題ありません。私も、スーツも」

『そうか、ならいい』


超が付くほどの小声に反応して、横をすり抜ける。顔は見ない。
一人きりになってから、仮面を外した。ずるずると、壁を背にして座り込む。
早鐘を打つ心臓は、まるで責めるようで。


「違う、……知らない、関係ない。嘘だ、嘘だ、嘘、―――忘れて、しまえ」


零した言葉は、誰にも拾われない。









物の少ない自室で、シュテルンビルトの夜景を見下ろす。
手に残る感覚は、あの華奢な身体の重さと、暖かさ。




『大丈夫、ですか』

『……ええ。ありがとう、バーナビー。下ろしてくれる?』





向けた言葉は、情けないことに震えていた。そして、同じ様に、何処か、彼女の言葉も。
そして、あの瞬間、安堵した。
彼女を助けられたことに。彼女が死ななかったことに。


「―――俺、は」


あの瞬間、歓喜した。
素直に向けられた、彼女からの礼に。
そこまで理解しても分からないほど、子供じゃないし、鈍感でも無い。




『僕は、貴方が嫌いです』




あの言葉は、




『ありがとう、私もよ』




―――今からでも、撤回できるだろうか。







願いの意味が変わる時。
(貴方の言葉が聞きたくて)
(貴方の感情が知りたくて)
(想いがシフトしていく、)



110702
back