口の中で言葉が留まる。








「貴方に、関係ないわ」


振り払われた手と、反論さえも許さない気丈さ。
その背を追うことも、言葉を連ねることも、もう一度腕を掴むことだって容易に出来たはずなのに。
行き場を失った手を下ろす。あの鋭い空気は無くなって、代わりに、澱んだように重くなっていた。

一瞬だけ見えた、歪んだ表情。
普段が無表情だからか、酷く人間らしく、それでいて、酷く苦しげで。
気にする理由なんて何処にも無いのに、焼き付いたように離れない。


「おいバニー、何ぼーっと突っ立ってんだ?」

「……ちょっと考え事してただけですよ。邪魔しないでください、オジサン」


可愛くねえなあ、とぼやく声も、何処か遠い。
ただ、彼女の事ばかりが思考を支配する。
能力も、名前さえも知らない。"ラグナロク"という仮初めの名で呼ぶのは、何故か憚られた。


「、…………!」


それを焼き切ったのは、無機質なコール。
決して心地好いとは言えない音をBGMに、トレーニングルームを飛び出す。
―――これでまた、彼女はきっと傷付くのだ。









「立て篭もり?」

『そうよ。犯人はサイコキネシスのNEXT。もしかしたら、他にも居るかもしれない』


聞こえる声に、思案。サイドカーに乗るオジサンも、真面目な顔をしてバイザーを下げた。
見上げるビルは高い。犯人と思しき男は、中央くらいの窓から姿を見せて、大声で喚いている。


「要求をのまねえならコイツら諸共このビルを潰す!」

「かー…、有りがちだねえ。おいアニエス!人質は?」

『ビルで働く従業員約30名よ』

「多いな……」


ぽつり、とこぼした言葉。人質だけじゃない、この場でビルなんか崩されたら、周りもドミノのように崩れることも有り得る。

不意に聞こえた足音。振り向いた先には、あの仮面と不思議なヒーロースーツ。
かつ、とブーツの底と地面が音を立てる。それが、やたらと大きくて。


「ラグナロク…」

「……タイガー&バーナビー。協力して貰いたいのだけれど」

「協力ゥ?」


オジサンが怪訝な声を漏らす。彼女の声は相変わらず冷めていて、抑揚に欠けていた。
仮面の奥の表情は、一体どんなものなのだろう。


「他のヒーローには打診して、協力に取り付けたわ。……貴方達は、どうする?」

「勝算は?」

「八分。多少のリスクは付き物よ」


何処までも口調は変わらない。冷静過ぎて、逆に怖いくらいだ。
犯人の喚く声が遠い。何処か非現実的な空間に放り込まれたようで、酷く曖昧な雰囲気が取り巻く。


「…いいですよ。乗りましょう」

「お、おい!八割だぞ?!そんな賭けに乗るのか?!」

「何時も負けるような賭けばかりするオジサンに言われたくありません。それとも、他に方法があるんですか?」


言葉に詰まるオジサンを横目に、ラグナロクに向き直る。帳を下ろす、沈黙。
言葉が無いまま、ラグナロクが背を向けた。それが、酷く小さく見えて。


「……合図をするから、突っ込んで。犯人はNEXTを使って来るわ、それに対応出来ればそれでいいから」

「って、それの何処が策だよ?!」

「手の内を明かすと思ってるの?突っ込むのは得意分野でしょ、"正義の壊し屋"さん」


そう言い捨てて、ラグナロクは離れていく。オジサンはバイザーを上げて、ソレをじっと睨んでいた。
僕は対照的に、上げてたバイザーを下げた。どれ程の手腕か、見せてもらおう。

じっとビルを見据える。進展しない膠着状態。
視線をずらせば、上空にはスカイハイ。数十メートル程先にはロックバイソンとファイヤーエンブレムが見えた。
ビルに視線を戻したとき、軽い破裂音が響く。


「動いた、」

「ったく…行くしかねえってことかよ!」


言われた通りというのは癪だが、発動、そして勢いよく地を蹴った。
飛んで来る物々を蹴り落としながら、ビルに向かって駆けていく。


「貴様ら……!!」


激昂する犯人の瞳は青い。能力を使って、この物々を操っているのだろう。
だが、それが不意に―――全て、動きを止めた。
世の摂理に従って、ごとりと地面に転がる。


「バニー!ドア開けるぞ!!」

「分かってますよ!」


バリケードのように物の積み上げられたドアを開けて、瓦礫を退かす。
我先にと出て来る人質は、どうやら全員無事らしい。


「う、あああああああああああ!!」

「!」


上からの叫び声は、犯人のもので。
落下して来るそいつと、―――ラグナロク。
ごう、と風が起きた。HERO TVの実況が、微かにKOHを賞賛しているのが聞こえる。
なのに、……ラグナロクは、その風にさらわれず、落下を続けていた。


「おい!どういう―――って、バニー?!」


相変わらずのふざけた呼び名も、訂正する気は疎か、気にもならなかった。
理由は、分からない。けど、気付いたときには落下点へと走っていた。

呼べない名前を、ただひたすらに叫びながら。









口の中で言葉が留まる。
(届け、届いてくれ)
("能力終了5秒前")
(間に合えばいい、)



110622
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