病んでるだけじゃいられない話
どうやらこの世界は自分を死なせてはくれないらしいと悟ったナマエは、諦めて、生きることにした。
ただ生きるだけではこの絶望からは逃れられない。知っている知識を最大限に生かして、少しでも大切な人たちを守ることが、ナマエの生きる意味となった。
まずナマエはハッキングとクラッキングの技術を学んだ。表向きに合法な範囲は両親に頼めば学ばせてくれたし、ある程度技術を身に付けた後はそれこそネット上でいくらでも技術の上達は見込める。…原作開始時の1990年代はケータイも出始めの時期。ナマエは技術の進歩と同時に自らの技能を磨いていった。
そしてナマエは小1にして、ある程度のICの知識とハッキング・クラッキング技術を身に付けた。とはいえナマエには事前知識があったので、彼女自身の才能というわけではなかったが。何せスマホもタブレットも使いこなし、大学でも教養としてHTMLやCの基礎知識を教わっていた時代の人間である。
そんなわけで日常的にFBIやCIAのサーバーに出入りするようになったナマエは、イーサン本堂の潜伏先を掴むことに成功した。
(どうやってコンタクトを取るか…小学生の姿では信憑性に欠けるし)
考えた末に、端末を通して作った声とホログラムで接触することにしたのだが、やはりこれも大まかな流れは変えられず、結局イーサン本堂は死にこそしなかったものの、救出した時には植物状態になっていた。胸や腹なら偽装のしようもあったが、顎から頭を撃ち抜くのでは偽装などできない。
(それでも彼は死んでいない…大筋は変えられなくても、一応は、変えられるんだ)
それはひとつめのターニングポイントだった。
原作に突入してから、半ば予期はしていたものの、季節はループしはじめた。それを証明しようと写真や動画で季節の流れを記録したり、カレンダーや行事ごとの記憶を残そうとしても、すべては徒労に終わった。いつの間にかすべては綻びなく整えられていた。ナマエのあがきをあざ笑うかのように。
(それじゃあ、これから20年は、小学生を続けなきゃいけないのか…)
赤井が出てくるまでにおよそ10年、安室やラムが出てくるには更なる年月が待っている。
気が遠くなりそうだが、そんなのは今更なことだった。
元の世界で三十年近い人生を過ごした後に、この世界で工藤新一の妹として生まれ落ちたナマエにとっては。