君を守るため

 部屋の中から聞こえてくるかぼそい喘ぎと荒い呼吸に、沖矢は扉の前で耳を澄ませていた。絶対に入るなと厳命されている一室ではあるが。

「……ナマエさん?」

 コンコン、と穏やかにノックの音を響かせる。間を置いてもう一度。
 反応はない。
 隣に知らせるべきか、と時計を見るが、ただ今の時刻は午前二時。おいそれと電話もできない時間帯である。

「……ナマエさん、大丈夫ですか」

 もし高熱にあえいでいるとすれば、事は一刻を争う。沖矢は躊躇なく扉に手を掛けた。鍵はかかっているが沖矢はこの家の全ての部屋の鍵を持っているし、何ならこじ開けられないこともない。数分後には扉は開いていた。

「入りますよ」

 素早くベッドの横へ近寄る。ナマエは膝を抱えてうずくまっていた。

「ナマエさん?」

 反応はない。泣いているような不規則な呼吸は、次第に過呼吸へと変わっていった。

「………失礼」

 沖矢はナマエの顔を上げさせて、その口元を包み込むように手で覆った。汗で張り付いた前髪の隙間から、うつろな視線が覗いている。沖矢を認識しているかどうかは、定かではない。
 もがくナマエを押さえつけ、暫くそうしていると、やがて呼吸は落ち着いた。

「ナマエさん?」

 返事はない。…どうやら眠ってしまったようだった。沖矢は溜め息を吐き、暫くしてからその場を離れた。



 翌朝。ナマエがキッチンに顔を出すと、ちょうどできあがった朝食を片手に、沖矢が振り向いた。

「おはようございます、ナマエさん」
「…おはようございます」
「朝食を作ってみたんですが、食べますか?」

 昨晩のことには二人とも触れない。そもそも、ナマエが覚えているのかどうかも沖矢には分からなかった。

「………それじゃ、いただきます」

 テーブルの上に並んだのは、少し焦げ目がつき、ぼそぼそになったスクランブルエッグ、同じく少し焦げ付いたソーセージ、そしてゆですぎた温野菜に、トーストとコーヒーだった。

「飲み物は?」
「…コーヒー、少しだけください」

 まだ完全には目の覚め切らない様子で、ナマエは沖矢にマグカップを差し出した。言われた通り、その中に少しだけコーヒーを注ぐと、ナマエはそこへ自分でミルクを足してカフェオレを作った。

「どうですか?」
「どうって…」
「朝食の味です。あまりうまく作れなくて申し訳ありません…何か意見を聞かせて頂ければ、と思って」

 食べないことには意見もない。ナマエは眠い目をこすりながら席に着き、食事を口に運んだ。

「作ってもらえるだけでもありがたいのに…」
「まあまあ。今後のためと思って、正直に言ってみてください。参考にしたいので」
「………んー」

 ナマエはぼんやりとしたまま、むぐむぐと口を動かした。沖矢は微笑を浮かべたままそれを見守っている。

「スクランブルエッグは、油を熱した後、もっと弱火で加熱するといいかも…牛乳をまぜたらもっとふわふわになるし…その横でソーセージを焼けば、焦げることもないかと」
「なるほど…」

 ナマエは振り返り、台所のコンロの上を確認した。フライパンのほかに鍋が出ている。

「温野菜は、鍋でゆでなくても…レンジでチンすれば…。」
「なるほど。とても参考になりました」
「あ…トーストは完璧だと思います」
「それはどうも」

 和やかな朝の会話は、和やかなまま終わった。結局どちらも昨晩のことに触れることなく。



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