自暴自棄の酩酊
テーブルの上にはロックグラスとウイスキー。これは赤井のために。そして、ナマエのためにあたたかいココア。ほんの少しウイスキーを垂らしたのは咎められなかった。
こんな話題、せめて胃をくちくしないことには始められない。
イーサン本堂
宮野明美
ピスコ
アイリッシュ
キュラソー
浅井成実
松田陣平
伊達渉
ファイルに赤井が目を通している間、ナマエは目を閉じ、音楽を聴いていた。この世界でも元の世界でも変わらない、クラシック音楽。そしてシャーロック・ホームズでも読めば、元の世界との違いなんて分からない。精神を落ち着けるためによくやる組み合わせ。
「データではなく、紙で寄越したのは、俺が信用ならないからか?」
ぱら、ぱら、と一定の速度で紙をめくる音。
ファイルには、生存者リストの他に、各人の詳細なデータも記載されている。出生地、生育地、学歴、職歴、ステイタス、”救済”された経緯、その後の活躍。なにひとつ欠落のないデータを、いま、赤井に見せている。それだけでも信頼の証と思ってほしいところだ。
「いいえ、と答えたいところですが。まあ、結局、そうなるんでしょうね。心の底ではそれを不安に思ってる。あなたが長官やコナン君に見せてしまわないとも限りませんから。一冊きりのファイルとしてしか保管できませんね、こんなもの。怖くて。」
「こちらのリストは?」
「ああ、それは、……最初のリストが黒の組織・あるいはこちら側の人間――コナン君や、安室さんに関わりのある人間のもので」
言いつつ、ナマエは、赤井の手からファイルを取り上げた。
「これは、それ以外の人間のリストです。私が記憶だけを頼りに
――あるいは、記憶を頼りにこの世界を予測することで
――助け、あるいは関わることができた人間の。黒の組織とは関わりありません。コナン君は一応関わった人間ですが、多々ある事故の関係者としか思っていないでしょう。一応、財力や、コナン君への恩の大きさなど、利益がありそうな人間はピックアップしてあります」
伊藤末彦
コンドウ
ノアズ・アーク
アラン・スミシー
この四人を筆頭に、ずらりと並ぶ人名。
赤井は、ひょいと肩をすくめた。
「先日の君の言い分では、さぞかし多くの人間を失ったのだろうと思ったことだが。失敗から学んだのか、それ以降の人間は全て救ったとしか思えない量だな」
「……はは」
思わず漏れた皮肉気な笑み。
「こんなの、ほんの一割にも満たないですよ。この一年に満たない期間で、どれだけ多くの人間が死んだか分かりませんか?」
「……?」
「ああそうか、そこまでは分かりませんよね。言ったってこれだけは理解してもらえないだろうな。まあ、言うつもりもありませんが」
ナマエは続けて笑った。この世界に、この一年、一体何度春が訪れたか、それだけは恐らくナマエ以外の人間には知覚できないだろう。証明できるようなデータを集めても、なぜか必ずシステムの不具合で消失、あるいは信頼性の欠けたデータにしかならなくなる。そして、ループし続ける季節の中で、どれほど多くの事件が起こり、どれほどの人が死んだのかは、闇に葬り去られ、人々の記憶から抜け落ちてゆく。
そんなナマエの物言いに、赤井は眉を顰めた。
「そこまで言って止めるのは卑怯だと思わないか」
「卑怯?あなたにだけは言われたくない台詞ですね。あなたは公明正大な人間ですか?平気で嘘をつくのはお互い様でしょう」
「…………」
フン、と赤井は鼻を鳴らした。
再びナマエの手からファイルが抜き取られ、また、紙をめくる音が響く。今度はさっきよりややゆっくりと。
「それにしても、君が幼少期の頃に準備していなければ不可能な事案もあるようだが、一体いつごろから君は計画を練っていたんだ?」
「物心ついたころには。……まあ、運が私に味方したとしか思えないような都合のいい展開がいくつもあったというのも否定できません。だからこそ私はこの世界を現実だと思えないんですけどね。あまりにも、私に都合がよすぎる。」
「たとえば?」
「……死を逃れた人間が、あまりにも私に忠実すぎます。二、三人救った時点で、そのあとは、その彼らがほとんどすべての事案を片付けている。私は時機を指示するだけ。実際のところ、私は、彼らと会って話したことはほとんどないのに。」
「キュラソーの件の際も、彼らは見事に連携して動いていたな」
「ええまあ。ノアズ・アークが加わってからは、処理能力も飛躍的に上昇しましたし」
「天才少年の作った人工知能、か?」
「詳しくはどうぞファイルをご覧になってください。言語化できるほど私はこの現実を受け入れていないので」
「……イーサン本堂の事案の際、それからこの萩原研二の事案の際、君はいくつだ?なぜこんなことが可能だった?」
「だから、それも、私に都合のいいことがいくつも起こったんですよ。まるで私がもう一人いたとしか思えない……あるいは夢かと思いましたが。それか、私は時空を飛び越える力でもあるのかもしれない……だからこそ、ここは夢です、私にとっては」
「分かるように説明する気はないのか?」
「そもそも私が理解できていません」
「……分かった。それで、君は今後どんな夢をみるんだ?」
赤井の言葉は抽象的で、そして、ナマエも、説明する言葉を持ち合わせていなかった。
一体どんな意味があるのだろう。こんなことをして。
「……なぜ笑う」
「おかしいので」
「酔っているのか」
「そうですね、もしかしたら、生まれた時から。私はずっとこの世界に酩酊している。ふらついて、現実も分からず、理解不能なことばかり考えて発言する酔っぱらいと、なにも変わらない」
「俺は少なくとも、君にもう少し現実的な回答を期待していた」
「おや、それは、残念ですね」
ふふ、とナマエは笑った。