ドレスを脱がさないで2
「ナマエちゃん!?先に帰ったんじゃ、…それに昴さんまで!一体どうしてここに?」
「すみません、一人だけ先に帰されたのが嫌だったみたいで、いつまでも着替えず拗ねていたので…つい連れてきてしまいました。私は付き添いで」
「なーる。…置いてけぼりにされて拗ねるなんてあんたも意外と可愛いとこあんのねー。それより昴さんめちゃくちゃ素敵ですぅ!」
蘭の驚愕の声にしれっと適当なことを抜かした沖矢に怒るべきか、それを真に受けて額をつついてきた園子に怒るべきか、ナマエは割と真剣に悩んだ。
「それはどうもありがとうございます。…それより、博士や灰原さんはどこに?」
「ああ、そういえばガキんちょと一緒にどこか行っちゃったわね」
「そんな…先に帰るから気にしないでって言ってたけど…まだ帰ってないなんて。何かあったんじゃ」
「それじゃあ、私が探してきますよ。蘭さんたちはどうぞここで待っていてください。…ナマエさん、お手をどうぞ?」
「いやーん私も昴さんにエスコートされたーい!」
…結局どっちにも怒れなかったが。
*
「…で?助かったけど、何であなたがここに居るわけ?しかもナマエさんまで」
昴の運転する車の中で。後部座席に座った灰原は、腕を組んでぎろりと沖矢を睨み付けた。ドレスは少し裂けていて、その肩には沖矢の上着が掛けられている。よく分からないが銃を持った犯人との争いに巻き込まれたらしい。犯人が捕まったと安心している中、事情聴取中の部屋に突っ込んできたとか何とか。
「それはもちろん、姫をお守りするのは騎士の役目と相場が決まっていますから。…でも、今回は王子様が無事救出してくれたみたいですね?」
気障すぎる発言に、助手席のコナンは呆れた顔をし、ナマエも似たような表情を浮かべた。灰原はもはや半眼になっている。王子って誰だコナンか。
「あのねぇ…そんなんで騙されるわけないでしょう?何でこんな都合よく…」
「というのは冗談で。…ナマエさんがいつまでも休もうとしないので」
「…ナマエさんが?」
「なぜか着替えたくないの一点張りで。博士たちが帰ってくるまで寝ないと言うのですが、そういうわけにも行きませんでしたから。迎えに行った方が早いかとね」
「……なるほどね」
なぜか灰原は納得の表情を浮かべている。ナマエは解せぬ、と思いながら思わずぼやいた。
「よくもまぁすらすらと…」
あんなにあっさりファスナー下ろしたくせに。あまつさえ上げたくせに。
しかし灰原はどうやらナマエが沖矢には絶対着替えを手伝わせないと確信しているようだった。それを逆手にとる沖矢も沖矢だ。コナンといい沖矢といい、姿を偽っている奴らはまるで息をするように都合のいい言葉を並び立てて人を信じさせる。
「ま、そういう訳なら納得してあげる。…どうしてあなたまで正装しているのかは聞かないでおいてあげるわ」
「それは有難い」
ぴりりと山椒のような緊張感の走る沖矢と灰原の会話に、工藤兄妹は同時に溜め息を吐くのだった。
*
「…寝ていていいって言ったのに」
阿笠宅で着替えを手伝ってもらい、ついでに風呂まで借りたナマエは、工藤邸の玄関で当然のように自分を出迎えた沖矢に少し呆れた顔をした。風呂まで入ったのだから阿笠邸に泊まっていったってよかったのだ。…むしろそうするのが自然だった。
「君が帰ってくるような気がしたので」
「…そうですか。流石ホームズは、人を騙すのも推理するのもうまいようで」
「怪しまれないための方便は探偵の必須条件ですからね。僕はホームズではありませんが」
「…………ああ。ホームズじゃなくてナイトでしたっけ、お姫様の。」
かなり疲れていたが、ここまで来るといっそ一服したくなるもので。ナマエは沖矢にココアをいれてもらい、沖矢と共にリビングに腰を落ち着けた。
「君の忠実な僕でもありますよ、王?」
「王。キングと来ましたか。…そういえばそんな話もしましたっけね」
あたたかいココアを一口すすり、ふっと息をはく。
「…怒っているんですか?」
「別に。ただ私はいつからあんなかわいらしいキャラ設定になったのかと思っただけですよ」
パーティーから先に帰されて拗ねるようなかわいらしいキャラに、と多少の嫌味を込める。しかし沖矢は少し口の端を持ち上げて笑っただけだった。
「君は十分かわいらしいと思いますが」
「……沖矢昴のキャラ設定ももう訳が分からないですね」
「キャラだなんて。一体何のことだか」
嘯く沖矢に、ナマエは本日何度目か分からない溜め息を吐いて会話を諦めた。
ココアは粘度と熱のある液体としか感じられないが、味蕾以外のナマエの器官は正常にココアの鎮静作用を受け止めてくれたらしい。ようやく弛緩してきたことを実感しながら、ぼんやりと今日のことを思い出す。ドレスのこと、事件のこと、偽りのこと、そして最後にこの家に来てしまったこと。
――ここへ来てしまった自分も自分だが、一体この人はどうしてナマエを迎え入れてくれたのだろう。
物語を知っていても、人の頭の中までは分からない。それはナマエにとって僥倖であるような気もした。