これが罰だというのなら

「…ん」

 漏れ聞こえたさやかな吐息に、様子を見に来ていたジョディは耳を澄ませた。

「ナマエ、意識が戻ったの?」

 揺するのは厳禁だと医師にきつく言い含められているので、耳元で声をかけるしかない。すると彼女の呼吸の調子が明らかに変わった。ぱっと顔を明るくして赤井の方を見、

「ドクターを呼んでくるわ!」

 ジョディは慌ただしく病室を出て行った。


 瞼を震わせている子どもを、赤井はじっと見つめた。
 眠っている姿は本当にただの少女だった。起きている時は、ある程度整った容貌と、豊かな体つきのせいでいくつも年上に見えていたが。化粧も、大人びて見せるための表情も、年齢につりあわないきらびやかな装飾品も、全て取り去った彼女は、本来の年齢通りの子どもに見えた。

「 mad dog,」

 もう組織は無いのに、その名を呼ぶ必要も理由もないのに、そう呼んだのがなぜか。赤井は自分でも分からなかった。

「お前は、目が覚めない方が幸せだったかもしれんな」

 ぱちり、と、目が開いた。あどけない黒い瞳がぼんやりと赤井を捉えた。
 さあ、彼女は何と言って俺を罵るだろうか――――?



「……………だあれ?」



 ガツン、と、強い衝撃を受けたように脳天が揺さぶられた。
 ナマエの言葉は赤井の胸を抉った。他のどんな台詞よりも強烈に。

「ん、……あれ、わたし、」

 シーツを捲ろうとして肩の傷が痛んだらしい。彼女は顔を顰めた。

「…まだ動くな」

「………ここ、どこ…?」

「病院だ。組織はもう潰滅した。…記憶が混濁しているのか?」

「びょういん…?」

「最後に目を閉じる前の記憶は分かるか」

「さい、ご…?……………おばあちゃんのおうちに、行くところ……おばあちゃんは?」

 子どもじみた言葉に、眩暈がしそうなのをこらえながら、赤井は立っていた。どくどくと心臓がうるさかった。

「……。…ここには、いない」

「……わたし、どうして病院にいるの?おとうさんとおかあさんもいるの?」

「落ち着いてから全て話そう」

 彼女の両親や祖母の記録はない。赤井は深く息を吐いた。煙草が吸いたくなったが、病室は禁煙。だが、ジョディと医師が来るまで彼女を一人にしておくわけにもいかない。
 …予想していなかったわけではない。頭部に重傷を負っている以上、記憶混濁や意識障害などは想定の範囲内だ。意識が回復しただけでも重畳というもの。

「あの、…あなたは、お医者さん……」

「じゃ、ない。今医師が来る。横になっていろ」

 赤井はごく普通に返答したつもりだったが、少女はびくりと肩を震わせて押し黙ってしまった。…子どもに好かれる面でないことは重々承知だが、今まで散々もっと酷い仕打ちもしてきた彼女に、たかがこれだけのことで怯えられるのは、多少、こたえた。





「お名前は?」
「………ミョウジナマエ」
「年齢は?」
「じゅうにさい…」
「今が何年何月何日か言える?」
「えっと……20XX年X月X日…?」
「おうちはどこ?」
「○○駅のそば…」
「○○駅?それはどこの県にあるの?」
「とうきょう…山手線、です…」
「家族は何人?」
「おとうさんとおかあさん…おばあちゃんは、隣の駅のところです」
「お父さんとお母さんの電話番号は言えるかな?おばあちゃんのも」
「はい…」





「ダメね。○○駅なんて存在しないし、電話番号も全部デタラメ。専門家の見立てでは、12歳の年齢で組織に徹底的に洗脳を受けたか、あるいは記憶が飛ぶのと同時に何か他の記憶が植え付けられたか、ですって。」

「…そうか」

「こんなんじゃ事情聴取もできないわね。…もちろんいちばん大変なのは彼女でしょうけど」

 ジョディの溜め息を横目に、赤井は煙草を吹かした。ここは病院の屋上だ。

「身元も保護者も分からない以上は、FBIで保護した方が早いんだけど…負わせた怪我の賠償のこともあるし」

「………」

「あ、シュウを責めてるわけじゃないのよ?あの場面ではああするのが最善だったし、それは審査でも認められたんだから。彼女だってシュウの利き腕を奪ったんだしね」

 あの暗闇の中、結局誰が赤井秀一に銃弾を撃ち込んだのか、赤井は語ろうとしなかった。しかし、あの後回収された各々の銃の残弾数から、ナマエであるということになった。FBIの調書にもそう記述されている。灰原がジンの弾だと思ったのも無理はない。ナマエが暗闇の中自分とジンの位置を教えるために赤井に撃ち込み、赤井はその弾道の通りに撃ち返したのだ。その時に赤井の左肘を掠めた弾が、赤井の左腕の機能を奪ったのだった。

「上の連中にはだいぶあれこれ言われたがな。撃たれたことも含めて」

 暗視スコープは、装着しないまでも装備はしていた。いきなりの停電に一瞬目がくらんだことは確かだったが、対処しきれないアクシデントではなかったはずだ。通常の赤井秀一ならば。

「それはまあ…日本での捜査権も無いままあれこれしてた事実があるし…あなたほどの狙撃手を失うのは大きな痛手だもの。ま、その推理力があればこれからも引っ張りだこでしょうけどね。“死んでた”分、きっちり働いてもらうわよ」

 何も狙撃だけが赤井の持ち味というわけでもなかったが、上層部には酷く嘆かれた。ジェームズは今までの通り捜査官として私のもとで働いていてくれ、と言ってくれたが、赤井は、もう自分が元のようには動けないだろうことを予感していた。

 ……組織を潰滅させるためだけに走り続けて、そのために何でもした。守るべき少女を見つけて、少年と共闘して、因縁ある男とも共闘にこぎつけて、
 最後の最後、ぎりぎりのところで、守るべき少女を守ったのは、赤井ではなかった。
 赤井は彼女を何と位置付けてよいか分からなかった。

 宮野志保のことを姫と呼んだ。自分はその騎士でいたかった。
 少年のことを、敬意をこめてボウヤと呼んだ。自分はその共犯者だった。
 降谷零は、敵に回したくない男だった。組織壊滅作戦ではその通り敵ではなく味方として共に戦った。

 では、彼女は――――?ナマエという少女は?名字すら知らないあの少女は、一体自分の何だったのか、そして自分は彼女の何だったのか。
 彼女の言った通り、彼女は犬で、自分はその飼い主か?それとも組織を潰滅するために利用していた駒で、自分はそのマスターか?あるいは、あるいは。
 彼女は、弾丸だった。誰の銃にも装填できた。最後にそれを撃ったのは彼女自身だったというだけのこと。

「シュウ?タバコ、落ちるわよ」

 ジョディの声に、赤井は現実に引き戻された。煙草がすっかり短くなって、指に火元が触れていた。熱い、と感じた。まだこの体は感覚があるらしい。

「……ジェームズに伝えろ」

「え?」

「俺が関わった全ての案件に片を付けたら―――退職届を出す。」

「えっ?ちょっと、何言ってるのよシュウ!」

 指に火傷を負ってしまった、畜生、と毒づきかけて、
 ああもう、銃を撃つこともないのだから構わないのか、
 と、急に虚しくなった。

 そして、赤井は煙草の殻を灰皿にねじ込んだ。



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