仕事も一段落して太陽が空の中心に到着するかしないかの所謂お昼時。




「おーい!」





女性の軽い挨拶の声が聞こえた。
職業柄、悲しくも交友関係の薄い自分達にかけられているものではないとそれを池袋の日常として流そうとした田中トム。
しかし隣にいた部下の平和島静雄がそちらを振り向いておう、と返事をした所で目を丸くする羽目になった。





「久しぶり。わ、まだバーテン服なの?いい加減変えればいいのに」


「いいだろ。別に」


「まま待って頭割れる割れる」




ビジネススーツを纏った女性は、薄化粧ながらも明らかなキャリアウーマンと言った所だ。静雄に向けられる言葉にぎこちなさは全く見受けられず、ごく自然に話している。対する静雄は彼女のからかいの様な言葉に、短い返事と共に掌を頭に乗せていた。

この時トムは冷や汗を流したが、力加減をしているのかはたまた通ずる仲なのか、お互いに終止笑顔で会話を続けているのだから驚きだ。





「(弟以外で静雄が笑うなんて珍しいな…)」


「あ、トムさん。こいつ高校の頃の同級生で」


「神村伊織です。いつも静雄がお世話になっております」


「お前は俺の母ちゃんか」





伊織と名乗った女性は礼儀正しく頭を下げ、しっかり者という印象と静雄と友人であるせいか寛大な雰囲気を持ち合わせていた。
中々見ることのない静雄の柔らかな表情を物珍しげに眺めたのち、トムも自己紹介を始める。





「俺は田中トム。トムで構わねぇよ」

「はい、早速ですがトムさん。静雄が迷惑かけていませんか?もう池袋を歩く度に自販機や標識を見ていて」

「だから、お前は俺の母親か」

「だって高校三年間通して校舎を破損しなかった日だってなかったじゃない」

「う、……」

「いや、俺に直接的な被害は出てねぇから大丈夫だ」

「そうですか…。ほんっとコイツをよろしく頼みますね」



静雄の肩をバシバシ叩く当たり本当に気心の知れた仲なようで、静雄も少し照れ臭そうにしているだけだった。





「じゃあ、失礼します」

「まあまあ。せっかく会ったんだ。静雄と昼飯でも一緒に行けばどうだ?」



話の内容からしばらく会っていないように見える二人。(何よりトム自身が知らなかったのだから)
たまには、むさ苦しい男二人より同窓生の女性と食事も悪くないだろう。

しかし、伊織は申し訳なさそうに眉を下げる。





「すいません。お気持ちは嬉しいんですが、これから仕事があるので」


「そっか……邪魔しちまったな」

「こちらこそトムさん達のお仕事を中断させてしまって…またの機会にでも」

「じゃあな」

「静雄仕事ちゃんとしてよね。」



それでは。
トムに対して再度丁寧に頭を下げて立ち去っていく伊織の背中を見届けてからトムはホッとして口を開いた。



「しかしまぁ、あれだな。正直安心したわ。静雄にも女友達がいたなんて」


「伊織は女っつーか男ッスよ」


「ああそうじゃなくて。お前にもまともな友達いてよかったなってことだよ」


「あいつ変わってますって」


「でも彼女以外、男女問わず周りに普通な人間いないだろ」



静雄が毛嫌いする人物名を敢えて出さずに伊織の平凡さと彼女と友人であることの幸運さを伝える。



「普通…アイツがですか?」



ただ、返事が予想していたものと少し違う。目の前の静雄はキョトンとした様子をしながら言葉を続ける。




「聞いたら死ぬほど喜びますよ」


「そんなに変わってるのか。服装からして一流企業に勤めてるみたいだし……まさか無職とか言わないでくれよ」


「いや、職には就いてます」



先刻の用事と言うのも就活か、という推測は静雄によってすぐに断ち切られる。




「ただ……」


「ただ?」


「俺も深く聞いちゃいないんですけど『私の勤め先はアンダーグラウンド』って言われたことがありました。そんな会社ありましたっけ?」


「…もしかしてイメージカラーは黒とか言わなかったか?」


「よくわかったッスね。しかもそれ以上言わないんですよ」


「だろうな……つーかそうだろうなー」




先程と違うキョトン顔の静雄の肩に手を置き、同時に哀れみの視線を送った。




「何と言うか…前言撤回だ」


「わかってもらえれば嬉しいっす」



自分達の取り立て業だって法律ギリギリのグレーゾーンだというのに相手は真っ黒ときた。これはこれで災難な男だと、やはりトムは静雄を哀れに思ったのだった。


















♀♂


「彼女、来たわよ」

「はいはーい。ありがとね」



機械的な音を鳴らすインターホンの液晶画面を覗き、波江が来訪を告げると、臨也はノートパソコンをぱちんと閉じて抱えたまま玄関に向かう。
その様子を波江は戻った自分のデスクから怪訝そうに見る。

折原臨也は基本的に来客を自ら入口まで行って出迎える精神など持ち合わせていない。
第一に情報屋だからという理由が最もで、パソコンのメールを使って契約や取引先と連絡を取り合うので余程の馴染みかお得意様でない限りまず直接会うことは少ない。何より多数の恨みを買う職業だ。人前に出ないことが定石である。

それどころか、いつも楽しく遊んでいる少女という名の玩具でさえ、自分が助手を勤めるようになってからは出迎えを頼まれるのだ。

だからこそ臨也の行動が理解出来なかった。


いらっしゃい、と臨也の嫌に明るい声とともに二人分のスリッパの音が廊下からやって来た。

直ぐさまキッチンにて沸騰した湯にティーバックながら高級感溢れる茶葉をポットへ突っ込む。
茶葉が踊るのをやめた所でティーバックを引き上げ、二つのカップに注ぐ。砂糖とミルクも盆に乗せて彼らが座っているソファに向かった。




「どうぞ」


「矢霧さん、いつも紅茶ありがとうごさいます」


「いいえ」




興味の無い事なので波江は一つ返事を撤するが、臨也の客はニッコリと笑みを返した。いつも傍で貼り付けの笑顔を見ているのでその真偽くらいは判断できる。
臨也の前にも紅茶を(少々乱暴に)置いて自分は持ち場へ帰る。

臨也の珍しい接待への関心は、心から愛して止まない弟のそれとは比べものにならないくらいに薄く、またこれからの予定はお互い仕事関係の事だから、さして日々の日常と掛け離れる事ではない。

悠々と決められた時間内に決められた仕事量をこなすつもりだった。


途切れ途切れに聞こえた会話を耳に挟むまでは。

















♂♀



「はいこれ。この前の礼金」


「そんな、直接じゃなくてよかったのに」


「お手をわずらわせたくなかったので」


「四木さんも粋な使いを寄越してくれたよ」


「四木さんが決めたわけじゃないわ。私が申し出たの」





にこやかな臨也に対して堅固な表情を崩さず女性は話を続ける。
ただ、会話に出てきた人物に波江は聞き覚えがあった。




「そーなの?」


「四木さんに迷惑をかけたくなから。来週には大事な仕事もあるしね」


「あぁ知ってるよ。確か目出井組の人達と横浜で」


「そこからは企業秘密…て言っても無駄なのよね」


「あはは。君はよく分かってるよ俺の事を」


「本心でなくとも口先だけで軽々しく言ってのける情報屋なら私は知ってるんだけど」




堂々と皮肉を言い放った彼女は紅茶を一口含んで臨也を軽く睨みつける。ただ、嫌悪や威嚇を含んだものでないらしくその証拠に、様子を観察している波江に背を向ける黒い肩が小刻みに震えていた。



「本当に君は俺の予想の斜め上を言ってくれる。だから興味深い」
「高校の頃から全く変わってないのは貴方ぐらいよ」


「シズちゃんだって相変わらずだろう?」


「静雄は静雄なりに解決策を探していると思う。臨也は大人になってから、ありとあらゆる手段の枠がぶっ飛んだみたいに見える」




少量になった紅茶に今更砂糖を足した女性はスプーンでガリガリとカップの底を引っかく。溶けきらなかった砂糖がそのまま残っているにも関わらず口に運んだ。

味を予想したらしい臨也の眉間には皺が一瞬寄ったが、すぐに苦笑し、次の皮肉を紡ぎだす。





「…平々凡々を夢見ていた女子高生が粟楠会に入り、四木さんの部下になるなんて流石の俺でも想像出来なかったけど」


「……平凡でないことは重々承知しているつもりよ。でも私にとってはこれが日常なの。私が日常だと思えば、例え二次元の世界に行ってもそれは可能なんだから」


「遊馬崎みたいで気色悪いよ」


「京平に言い付けてやる」
「なんとでも。そこで粟楠会との関係は終わるから」

「昔っから性根腐ってるよね」


「それはそうと、時間は大丈夫かい?これからまた仕事があるんじゃないの」


「や…ばっ、遅れたら殺される!」


「いや、今の君が言うと洒落にならないから」


「はいはい。臨也のつまらない言い草はまた今度ね」


「ばいばーい…………伊織」

















♂♀


「彼女、変わってるだろ?」



扉の閉まる音がした途端、背中が反転して臨也がデスクワークをする波江へ向く。



「そう、ね。貴方の玩具かと思っていたからその見解に間違いはないわ」



楽しそうな問い掛けとは正反対の冷たい返事に臨也は何の反応も示さず、代わりに波江の横に積み上げられている書類を見た。





「その割に仕事は片付いていないみたいだけど」

「…あなた達が物騒な話をするからよ」

「おや失敬。じゃあこれからは独り言だと思って聞いてくれ。」





臨也は手をひらひらと振りながらソファから立ち上がり、波江のそれよりひとまわり大きい自分の仕事机に寄り掛かる。まるでお伽話を語る母親のように優しく、同級生だった神村伊織について話し出した。




「伊織は日常に憧れているんだよ。高二の頃俺達に会った事態が間違いだったと思うんだけど。ある日、彼女の世界はぐるりと変化した」


あの時伊織は誰かから普通だと言われることは有り得ないとようやく理解した。それでも彼女は"日常"に憧れ、愛しつづけた。
そしてたどり着いた結論は。








「自分の"非日常"を"日常"にしてしまう事だったのさ」


「……どういう意味?」


「いわゆる産地偽装。中身は一切そのままで貼付けられているネームプレートのみを交換するみたいな。言ったろう?彼女は誰にも普通と思われないと悟ったんだ。だから自分が日常だと思ったものを日常にしてしまおうと思い付いた」


「ただの自己中な価値観じゃない」


「それだけならよかったんだけどね……問題はその後さ」







波江の指はキーボードの上を走らせ、今まで遅れていた仕事を定時前に終わらせようと視線は液晶画面に釘付けだ。それでも声は臨也の元へ響く。





「後に何があったの?」


「彼女の世界はそこで終わらない。外へ外へ、更に侵略を進めて遂に矛先が……俺らに向いた」






一瞬にして臨也の笑いと声に余裕が消えた。思わず波江が臨也を見ると、臨也の表情は固く口の端が僅かばかりあがっている。




焦燥?………いや、違う。





「理解出来ないよね。これは体験者にしかわからない。まるで俺らの日常が無理矢理伊織の日常に取り込まれるような、くそったれな気分でさ…正直苦手なんだよ。伊織の行動が」



明らかな嫌悪の眼差しだった。
目の前に平和島静雄がいるとでも言いたげな視線。
しかし、ここまで来て波江にはひとつの疑問が浮かび上がる。





「嫌なら何で彼女と接触を続けるのよ。貴方ならどんな方法でも使うでしょうに」


「そうなんだけどさ、粟楠会の人間が非日常を何としても日常と言い張るなんて滑稽だろ。あれが日常な訳が無い。可笑しくて可笑しく堪らないんだ」


「…………そう」





話題が人間愛に移りそうになった所で波江は無理に話題を打ち切った。同じ台詞を何回も聞いてやるほど波江は他人に情を寄せていない。
情を一心に捧げるは愛する弟のみ。聞いた内容を一掃して彼女は今日も仕事を続ける。










第三者から見た未来





(それって、ただの怖いもの見たさじゃない)(なんか言った?)(別に…職務怠慢な上司に嫌気がさしただけよ)
(それって、いやまさかな…)(トムさんどうしました?)(伊織ちゃん大事にしとけよ)








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