はっと目が覚めて、見慣れた天井が視界に飛び込んできたことに心の底から安堵した。
夢の中でもこれは夢だって薄々分かってたはずなのに、心臓はいまだに嫌な音を立てている。
時計を確認するとすっかり昼近くで、高く昇っていた太陽がカーテンの隙間から光を注ぐ。
やべー会社行かねーとと思ったけれど、今日は校了明けの日曜で休み。



「あ、木佐さん。起きました?」

「………雪名?」

「お邪魔してます。今日は休みだって聞いてたんで、合鍵で上がらせてもらいました。木佐さん疲れてるんじゃないかなーと思って、食料買い込んで朝ごはん作っておきましたから」

「そっか。ありがと」

「大丈夫ですか?顔色悪いみたいっスけど」

「あー……ちょっとな」

「俺でよかったら話、聞きます。木佐さん溜め込むタイプですし、吐き出した方が楽になるってよく言いません?」



ベットの端に座って心配そうに俺を覗き込んでくる雪名と顔を合わせらんなくて、思わず俯いた。
ここで例え大丈夫と俺が言ったとしても、コイツは信じないだろう。
俺の感情に対して雪名はいつだって敏感だ。



「仕事たて込んでるってのもあるんだけど」

「はい」

「……お前と、別れる夢見た」

「え?」



深夜に仕事から帰ってきてマジで疲れて倒れるように眠り込んだ夜、夢を見た。世に言う悪夢というヤツだ。
もちろん、悪夢なんて30年生きてきた人生の中で山のように見てきたし、特に忙しい時期には珍しいことじゃない。
けど、今回ばっかりはその内容が内容だったのだ。
ヤバい。やっぱへこむ。



その悪夢とは、雪名が奥さんらしい人と子供と手を繋いで幸せそうに笑いながら歩いてるのを偶然見掛けて、その光景を眺める夢。
更に悪かったのは、俺は悲しいとか寂しいより、良かったと心底思ってたことだ。
雪名が普通の幸せを掴めて良かった。
ノーマルだったお前をこっちに引っ張り込んだのは間違いなく俺で、出逢わなければアイツはどっかで彼女を作って結婚して子供が産まれて、なんていう世間一般的な幸せを手にしていたかもしれないから。俺には家族を作ってやることも、まして結婚することも出来ない。好きだからこそ、幸せになって欲しいって、そう思ってた。それが精一杯の強がりだったとしても。
夢の中、雪名の幸せを喜べる俺は自分が少しだけ誇らしげだったのだ。



現実のようでそうじゃない不可思議な空間で、俺は俺に問い掛ける。



『雪名のことを思うんなら、別れた方がいいんじゃないのか?』



こんな夢を見たのは、きっと少なからず俺に不安があるからで。
雪名の気持ちを信じてないわけじゃない。好きだと言ってくれる気持ちに嘘はないと思う。
でも、この先、来年、再来年、別れない保証なんかどこにもなくて、時間が流れれば人も気持ちも変わってく。
もちろん変わらないものもあるんだろうけど、自分たちがそうであると信じられるほど自信もない。
俺は弱いからいつだって不安で、雪名の心の変化を恐がってる。
何度こんな風に同じことを繰り返しても、雪名に好きだと言われても、時間は確かにあったはずの気持ちを不安定に揺らしていく。



「お前は幸せになってて、それを見て俺は嬉しくてさ。俺と付き合ってんの実際どーなのかなとか、そう考えてたら別れた方がいいかもとか思って」

「俺に飽きたんですか?」

「そーいうんじゃなくて」

「だったら別れなくてもいいじゃないですか。俺は木佐さんの手を離すつもりはないし、腕の中から逃がすつもりもありません」

「今はそれでいいかもしんねーけど、あと何年かしても同じことが言えるとは限んないんだよ」

「どういう意味ですか」

「例えばあと5年一緒にいたとして、5年後のお前は女の子と普通の恋愛して結婚して家族を持ちたいって思うかもしれねーだろ。だったら別れるのは早い方がいい」

「何でそんなことが言えるんですか!俺は今みたいに木佐さんと一緒にいたいって思ってる未来は考えてくれないんですか!」



雪名は怒りともどかしさを宿した瞳で俺を射抜く。
俺だって信じたいさ。
お前との未来を考えたい。
雪名と二人で何気ない日常を繰り返していきたい。
けど、雪名の世界はこれからどんどん広がってって、そのときにお前が俺を見なくなったら、どーすりゃいいんだよ。
始まりがあるように、終わりは必ずある。
それがどこにあるのかは誰にも分からない。
恐いのは、雪名が好きすぎるから。
恐いのは、1日1日ますます雪名を好きになっていく自分。



「未来は誰にも分からないんだよ。絶対なんて、ありえない」

「前に木佐さんを甘やかして俺だけ見てくれるようにするって言いましたよね?俺は本気です」

「お前は良くても、俺が無理なんだよ。雪名に別れを告げられたとき、甘やかされて雪名から離れられなくなった俺はどーしようもない。みっともねーだろ、そんなの。だからその前に。お互い傷は浅い方がいいに決まってる。そしたら次に好きなヤツがすぐに出来て忘れられるんだよ、きっと」

「木佐さん!!」

「だから、もう、いいかなって」



簡単に不安に飲み込まれる弱い自分が嫌だ。
傷付くのが嫌で逃げようとする俺はズルい。
結局、別れた方がいいかもって思うのが雪名のためなのか自分のためなのか。
結局は自分が可愛いだけじゃねーのか。
どーなんだろ。



「木佐さんは全然分かってない!そんな不安は誰にでもあって、俺も木佐さんに飽きられたらどーしようっていつも思ってますよ。好きなら不安になるのは当然でしょ」

「………」

「でも、別れたくないし傍にいたいし俺を見ていて欲しいから頑張るんです。未来なんて確かに分かんねーし、絶対なんてありえない。けど、俺自身がその証明になります」

「………え」

「5年後、10年後、20年後、その先もずっと俺が誰よりも木佐さんの隣にいて、好きなのは木佐さんだって言い続けます。俺が証明してみます」

「……ゆき、な」

「木佐さんが不安になったら言ってください。俺がどれだけ木佐さんのこと好きか教えますから。その代わり、木佐さんも俺のこと好きって教えてください。そーやって、一緒に生きていきましょう」

「でも、やっぱさ、俺はお前には普通の幸せが合うと思うん……」

「俺の幸せは俺が決めます。少なくとも今は、木佐さんといることが俺の幸せなんです」

「………つーか、あの、雪名」

「そう考えてくれるのは俺を大切に思ってくれてるからだってことも分かってます。だけど、木佐さんは大事なことを忘れてる」

「いや、雪名は若いからそー言えるかもだけど」

「俺は木佐さんと比べたらまだまだガキで、その証拠に相手の幸せだけを願うなんて無理です。それに俺は欲張りなんで、自分も木佐さんも幸せならそれでいいし、そうあるべきだと思ってます」



俺はお前の自信が羨ましい。
雪名はいつだって、俺の不安とか弱さとかを正面から受け止める。
そーやって、どんどん雪名から離れられなくしてくんだ。



「……どーしてお前は、そこまで」

「木佐さんが好きだからですよ。俺と生きてください、木佐さん」

「…………」

「木佐さん」

「………後悔したって、知らねーからな」

「後悔なんてしません。木佐さんを手離す方がスゲー後悔しますから」



俺は雪名に引き留められてばっかりで、その手を振り払うことなんて出来ない。
呼吸が出来ないくらい好きで、心臓を鷲掴みされるくらい苦しくて、自分の全部がもってかれる。



「木佐さん」



お前に名前を呼ばれると。
お前に触れられてると。
お前の目に俺が映ってると。
たまに、無性に泣きたくなるんだ。



「好きです、木佐さん」



顔は好みのド真ん中で、一目惚れから始まった恋だけれど。
笑った顔が好き。
照れた顔が好き。
声が好き。
手が好き。
髪が好き。
雰囲気が好き。
雪名の全部が好き。



「メシ、食いましょうか」

「あ、冷めちまったよな。ごめん、雪名」

「いいっスよ。温めればいいだけですから」

「それもだけど、その、夢見たからって変なこと言い出してさ」

「俺、思うんですけど、俺と木佐さんは足したらきっとちょうどいいんですよ。自信なさすぎの木佐さんと、前向きなとこが長所な俺の二人で。それってスゲー相性良いってことですよね」

「なんだそれ」

「それに木佐さんが弱さ見せてくれたりするのって、俺だけ特別だと思うとマジで嬉しいです」



じゃれあうようなキスをした後、雪名に促されて顔を洗いに洗面所へ向かった。
リビングに戻って来る頃には、温かい朝飯と雪名の笑顔が待っててくれるに違いない。
こーやって呆れるくらいに同じことを繰り返して、ケンカしたり笑ったりしながら、こんな毎日が続けばいいと、思う。



不安は完全に消え去るわけもなくて、たぶんずっと俺の中で燻り続ける。宙に浮かんだ状態のそれは膨れすぎたらきっとまた暴走するだろう。
雪名が好きだから。失いたくないから。
9歳も年上で男同士で仕事が忙しくてなかなか会えなくて。不安に結び付く要素はいくらだってある。
雪名といる限りこの不安に付きまとわれるのかもしれない。
それでも、それが雪名といるってことの証になるんなら。
お前が大丈夫だって。好きだって。嬉しいって笑ってくれるんなら。
俺の精一杯力の限りを尽くして、出来るだけ受け止めていきたい。
こんなこと言ったら、雪名はどんな顔するかな。



今の僕は
きっととても幸せ