「今日、どこか行こうか?」

 毎度毎度、言わずにはいられないこの一言。
 そのたびに自分の声音が、なんとまぁ説得力のないものなんだろうと呆れてしまう。

「木佐さん、今日仕事お休みなんですか?」
「うん、一応」
 台所に立つ雪名の背中をぼんやりと眺めながら、木佐は首を縦に振る。
 朝、寝間着姿のままでいても平気なくらいには温かくなった今日この頃。春が近づいているのだろう。素足でパタパタと台所に入ると、雪名が見慣れない食材を使っていた。
「それ、なに?」
「ああ、ふきのとうです。バイト先の店長からもらい物で」
 雪名は言って、手元にあった黄緑色の蕾を渡してきた。
 おっ、と両手で受け取って、
「ふきのとうなんて見たことなかったな。本当にこういう造形してるんだ」
「みたいですね。俺もさすがにどう調理したらいいかは分からないんで、とりあえず定番の天ぷらにしてみたいと思います」
 朝から天ぷら油を鍋に満たしていたのは、このためだったのか。
 コンロに設置された鍋を見ながら納得していると、
「ところで木佐さん」
「うん?」
「別に休日だからって、無理して俺に付き合わなくてもいいですよー」
 話を戻された。
 負の方向に。
「いや、でも、いつもろくに構えないのに――――」
「と、いいますか」
「・・・・・・はい?」
「そうやって木佐さんがグルグルしてると、あぁ俺のこと好きでいてくれるんだなって嬉しくなる癖が付いちゃって、自分がずいぶんと性格悪くなるんでやめてください」
 冗談めかした饒舌で、今日もなんなくかわされてしまった。
 ふきのとうの小さな蕾を包み込んで、木佐はそっと唇を噛んだ。

 雪名が王子様である所以のひとつとして。
 こいつは本当に、俺を大切にするのがうまいな、と思う。
 木佐が疲れて帰ってきていることも分かっていて、無下に断ったら傷つくということも分かっていて、だから棘を残さず断る方法も心得ていて、
 いつも木佐がその言葉に助けられているのだ、ということは、木佐本人が一番分かっている。
「ふきのとうって、頂き物なんだよな? どうして貰ったわけ?」
「どうしてといいますか、店長曰く『スーパーで見かけて調子に乗って買いすぎたら地獄を見た』ということなので」
 なんだ、その不吉な理由。
 暗澹とした顔で箸を受け取り、一口食べようとした形で動きを止めた。
「・・・・・・あのさ、雪名。これノルマとかあり?」
「ん? いえ、ないですけど・・・・・・。木佐さん、ふきのとう嫌いでした?」
「嫌いっていうか、俺の舌が正常ってだけだよ。つーか、あぁなるほど。お前ふきのとう食べたことないんだ」
 苦笑して、木佐はふきのとうの天ぷらを一つつまんだ。
 びちゃびちゃとこれでもかと言うほどそばつゆに浸していたら、
「げほっ」
 前方で先に天ぷらを口にした雪名が沈没した。
 あぁ、やっぱり口に合わなかったか、と十字架を切るジェスチャーをする。と、雪名はふらふらと身を起こして、
「何ですかこれ、にっが・・・・・・」
「あ、生きてた。だから言っただろ? 俺の舌は正常だって」
 何とか自分も一個食べて、木佐は苦笑する。
「ふきのとうって葉っぱのところだけ食べればほんのり渋みが利いててうまいんだけど、こんなふうに丸々一個食べようとすると劇薬かってくらいに苦いんだよな。特に蕾とか、しっかり抉らないとやばい」
「木佐さん、どうして何も言わなかったんですか?」
「いや、だっていくら抉っても苦いもんは苦いし、俺は元々あんまり好きじゃないし・・・・・・。もしかしたら俺が子供舌なだけ、っていう可能性も否めなかったから、なんとなく口に出せなくて」
「木佐さんでアウトなら俺も思いっ切りアウトですって。あーあ、店長が『地獄を見た』って言ってたの、こういうことか!」
 口元を押さえながら水を求めて台所に向かう雪名を見やり、
「・・・・・・二人とも口に合わないんだったら、この大量の天ぷらどうしよ・・・・・・」
 皿にこんもりと盛りつけられた天ぷらを一瞥して、木佐はふっと嘆息した。

 しばらくして雪名が二人分のコップ片手に戻ってきた。
 王子様は何とか息を吹き返したようで、
「ごめんなさい木佐さん、これもったいないけど俺パスです」
「えー、俺もパスしていいかな。でもこんなに食材無駄にしたら、もったいないお化けとか出そう」
 とりあえず他の味噌汁や煮物なんかをもぐもぐと消費していたら、

「『この味はパス』と君が言ったから、今日という日は天ぷら記念日」
「・・・・・・おっ、少女漫画コーナー担当の本気?」
「まさか。これじゃあ悪夢でしょう」
 雪名の苦笑に、つられて木佐は頬を緩める。
 雪名ほどキラキラ思考には走っていないが、自分も少女漫画編集なのである。元ネタはすぐに見当が付いた。
「学生時代に流行ったな、俵万智」
「そうですね、女の子とかしょっちゅう本を貸し合ってました」

 ――――『この味がいいね』と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日――――
 日本の歌人、俵万智の短歌「サラダ記念日」である。

「でもアレって、元々は『唐揚げ記念日』なんだってよ。本当は、カレー味の唐揚げを作ったときにできた歌だったんだって」
「へぇ、でもどうしてサラダに?」
「唐揚げイコール恋の歌、っていうのは違和感バリバリだからじゃないか? サラダは何となく爽やかなイメージあるし。それと、七月七日にしなかったのも故意なんだって。七月七日は、恋の物語として定番すぎるから」
「あぁ、七夕ですね」
 じゃあ、と雪名は笑って、
「『天ぷら記念日』で、あながち間違ってないですね」
「そうだな」
 少なくとも、サラダよりかは唐揚げに近い。
 二人してふきのとうの天ぷらを避けながら食事を進めていると、
「・・・・・・木佐さん」
「うん?」
「ね?」
「はい?」
 脈絡のない笑顔にきょとんとすると、雪名は輝かんばかりの瞳で、
「だから俺は、たとえ外出できなくても木佐さんといれるだけで楽しいんですよ」
「・・・・・・補足になってないぞー」
 訳が分からない上に、意図も分からない。
 ただひたすら格好いい。
 ――――あぁ、心臓が暴れてるんだよバカ。
 それが唯一コイツの性悪なところだよな、と思いながら追加説明を求めると、

「俺にとっては、毎日が『木佐さん記念日』ってことです」

「・・・・・・・・・」
「っていうかそもそも、木佐さんは俺が行きたいところ我慢してるのかって心配してくれてるのかもしれませんけど、『今いちばん行きたいところを言ってごらん』って言われたら、俺は木佐さんのところって答えるくらいですし」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「って、これも俵万智の引用ですけどね。って、木佐さん?」
 凍り付いていた木佐は、いきなりガッと箸でふきのとうを二、三個わしづかみし、勢いよく口の中に放り込んだ。
「えっ、ちょっ、木佐さん!? 何やって――――」
「水、摂ってくる」
 口いっぱいに充満した苦い味に涙目になって、木佐は食卓を逃げ出した。
 水なら木佐さんの分も持ってきましたよ、という声を背後から聞いたが、そんなことじゃないんだよバカ。

 朱を散らした顔を見られたくないために駆け込んだんだから、頼むから呼び止めないでほしい。
 緊急避難所として逃げ込んだ台所。
 白い喉を反らしてコップに注いだ水を飲み干し、木佐は独りでに呟いた。

「お前がそんなこと言うもんだから、今日も俺は『雪名記念日』だよ」

 心拍数が足りないんだっての、ようするに。