side yukina
東京に出てきて暫らく経つけれど、どうしても慣れないものがある。

人ごみの中にいると、息が苦しい。

こんなにも大勢の人がいるのに、俺が俺だと気が付く人がいるのだろうか。





俺が苦手とするスクランブル交差点、人を除けながら向こう側へと歩く。

大学生の時に働いていたアルバイト先が、必ずここを通らなければならなかった。

この交差点を渡るのが嫌で何度バイトを辞めようと思ったか数えきれない、追い打ちを掛けられるように大学でも教授に罵倒され自信を失っていた。

全てを投げ出して何度故郷に帰ろうと思ったか…

そんな時に俺は木佐さんと出逢った。

木佐さんを好きになって、今まで悩んでいたことがちっぽけに思えてしまった、相変わらず人の波は苦手で逃げ出したくなるときもあるけれど。

すれ違うひと、ひと、ひと、皆何処へ行って、何処に帰るのだろう。





「あれ?」


向こう側から歩いてくる木佐さんを発見、隣には若い男の子がいる、恐らく会社の後輩かな。

二人はにこやかに笑いながら話をしている。

俺は木佐さんの傍を通るように軌道を修正して歩く、すれ違うまであと少し。

あ、木佐さんが俺に気付いた、隣の人と話したまま、人差し指を口唇に当て、「黙ってて」の合図。

すれ違いざまに差し出された てのひら 俺はその手に触れた。


「頑張れ」


木佐さんの声。

暖かい木佐さんの てのひら が俺から離れて行った。





―――あぁ、この人と巡り合えてよかった。



やさしいてのひら





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

Side kisa
俺を抱き締める大きな手。

雪名と てのひら を合わせ、大きさ比べをした。

まるで大人の手と、子供の手みたいだ。


「木佐さんの手、可愛いっスね」


今日は仕事がお互いオフの日で、ふたりで昼飯を食べた後テレビを観ている。

雪名はこうやって、俺を後ろから抱き締めながらのんびりと過す時間が好きらしい。


「で、考えてくれました?」

「あ…あれ、ね」

「嫌ですか?」

「…じゃないけど」


雪名がどうしても俺を実家に連れて行きたいと言う。

とても嬉しいけれど…

たまたまを装って雪名が掛けた電話で、母親とは話をした事はある。明るい元気な声で挨拶をしてくれた、とても感じの良い人だった。

一緒に暮らし始めてからも俺たちの仲は順調で、ふたりでなら、このままゆっくりと年月を重ねて行けると思うのだ。


「重く考えないで、お袋にお世話になってる友人だって紹介するだけだから」

「俺を合わせるだけで、自分が納得するって言いたいんだろ?」


雪名の気持ちも分からなくはないけど…


「俺の方はごめん、お前と同じく大学からずっと一人暮らしだけど、完全放任つーか、放置で暫く逢ってないし、今更揉めたくないし…」

「だから気持ち、ですよ。むしろ我が儘言ってるのは俺の方なんですから…木佐さんは何も気にしないでください」


雪名の大きな手。

その てのひら が俺の心を優しく包み込む。


「好き…」

「木佐さん…」


大切なものを扱うかのように、雪名の てのひら が動く。

こんなに優しいキスを俺に与えてくれるのは雪名しかいない。




やさしい てのひら に包まれながら俺は、雪名と家族になることを夢見る、決して儚くはない夢を。




俺の夢はもうすぐそこに来ている。



やさしいてのひら