耳を塞いでしまいたくなるほどの雑音に、僕はただ我慢して唇を噛み締めるだけ。普段は心地好く聞こえるそれが今となっては雑音にしか聞こえない。五月蝿い、ヘッドホンをしてしまいたい。その雑音を遮断して聞こえなくなってしまいたい。だけどそんな僕の願いは届くはずもなく、今日もグラウンドから雑音が聞こえる。


「輝くん!」
「あ、狩屋くん」

昼休み、賑やかなこの教室のドアの方から僕を呼ぶ声がする。透き通るような凛とした声は、五月蝿すぎるほどの教室に溶け込むことはなくよく聞こえる。
声がする方へ向けば、別のクラスの狩屋くんがお弁当を片手に手招きをする。こっちへこいということだろう。僕は鞄を漁り、黄色いハンカチに包まれたお弁当を持って教室から出ていった。朝練のときにみたはずの狩屋くんの顔が、たった数時間の間なのに懐かしく感じた。


「でさ、俺のとこ次英語なんだよ」
「うわあ…尚更眠くなるね」
「輝くん、俺の代わりに英語受けてよ」
「え〜?狩屋くんの頼みでもそれは遠慮したいな」

弁当箱を開けて食べる支度をし始める。今日は卵焼きが入ってる。
彼の冗談を笑いながら断れば、狩屋くんは決まって面白くなさそうに膨れっ面になるのだ。可愛いな、とは思っても口には出さない。照れ屋な狩屋くんのことだから「馬鹿」だの「アホ」だのぐちぐち言うに違いない。それでも僕は笑うのをやめない。だってそれが照れ隠しだとわかっているから。
本当に狩屋くんはかわいらしかった。勿論顔もそうなんだけどそうじゃなくて、行動や反応がいちいち初で、少し弄るだけで顔を真っ赤にしてしまう。言葉はそれこそ乱暴なんだけど、それが本音じゃないと気づいてからは彼を可愛いと思うようになってしまっていた。前に口が滑って「かわいい」と言ってしまったときは「輝くんのほうがかわいい!」と否定されてしまったものだ。自分を低位置から見てしまう癖のある狩屋くんは、正直好きではないけれど。

「あ、そういえば」

狩屋くんはウインナーを口に運んでいると、とっさに思い付いたらしい。開けた口をそのままに、視線は僕を見てぽつりと呟いた。僕は先ほどの卵焼きを口にいれながら頭にはてなを浮かべる。

「さっき天馬くんがさ」

ざわり。狩屋くんの声が一気に雑音へと変化する。さっきその口で僕の名を呼んでいたのに、同じ口でほかの人の名を口にする。それが嫌で仕方なくて、不愉快だ。
口の中はもう卵焼きの味はしない。
僕の心情に気づかないらしい狩屋くんは、構わず天馬くんの話をする。狩屋くんが天馬くんにそういう気持ちを抱いてないのはわかってる。だけど胸がモヤモヤして気持ちが悪い。これがよく言う嫉妬というやつなんだろう。
この前は「天馬くん」じゃなく「霧野先輩」の話だった。そのときも今と同じく不愉快で、彼の発する言葉全てが雑音に聞こえてしかたがなかった。練習のときに石に躓いていたとかこの間駅で見たとかそんなことどうでもいい。知りたくない。これ以上彼の口から他の人のことなんて聞きたくもない。嫉妬で狂ってしまいそうで、そんな彼に酷いことをしてしまいそうで。
黙って狩屋くんをみる僕の箸を持つ手は気づけば止まっていて、息をするのも忘れていたくらいだ。意図的に息を吸い込めば、ひゅっと喉から音がした。

「って、輝くん?」
「…」
「ひーかーるーくん!」
「え、あ なに」
「もう!話聞いてないだろ!」
「そんなことないよ」

相槌もしない僕を不思議に思ったのだろう。狩屋くんの呼び掛けに薄く反応してまた笑う。
狩屋くんはどう思うだろうか、他のひとのことを話す君の声が雑音に聞こえます、だなんて。優しい狩屋くんのことだからきっと哀しい目をするだろう。情けなく眉をたれて、目を大きくするんだろう。狩屋くんがそんな反応をすると予想して、それでも話そうと考える僕は酷いやつだ。

「どうだか。じゃあ俺の言ったこと復唱してみろよ」
「…ごめん」
「………」

実は聞いてませんでした。聞く気もさらさらありませんでした。
謝る僕に、驚いて口を開ける狩屋くんはなにか言いたそうだ。だけどなにか言うこともなく、その口は閉ざされた。
君がなにも言わないのなら僕から言おうか。狩屋くんで遊ぶ僕は、口の端がつり上がっていることだろう。

「狩屋くん」
「…なんだよ」
「僕の名前呼んでみてよ」
「……なんで?」

わからない顔をした狩屋くんに僕は静かに視線で促す。呼んでくれたら、君に話してあげるよ。
鋭い目は悩んだ色をみせたけれど、すぐに細められた。狩屋くんはこう見えて結構わかりやすい。

「輝くん」
「うん」
「輝くん、おしえて」
「なにを」
「輝くんがなにに悩んでいるのか」
「……気づいてたの?」
「まさか気づかれてないとでも思った?」

けど、僕も結構わかりやすいみたいだ。狩屋くんは淡々とした口調で話してくれた。僕が時々苦しそうな顔をしていること、時が止まったみたいに狩屋くんを見たまま動かなくなるときがあるということ。僕自身でも気づいてないことが無意識に顔に出ていてびっくりした。

「僕はね、嫉妬しているんだ」
「嫉妬?」
「狩屋くんが僕以外の人のことを話すと辛くなる。聞きたくないんだ」
「え…」
「だから、だからね」

「僕の前では、他の人のことなんて話さないでよ」

流石に雑音に聞こえて五月蝿く聞こえる、なんて言えるはずもないけど。
さあ、狩屋くんはどう答えるんだろうか。僕の一方的な感情に否定でもするんだろうか。
急に黙り込んでしまった狩屋くんを見れば、色のいい肌色が一瞬にして真っ赤に染まった。急のことで僕も驚いて声がでない。狩屋くんはあ、とかえ、とか吃ってうまく喋れないみたいだ。気持ち悪いとか思わないでいてくれたんだろうか。

「それって、それ…」
「…狩屋くん?」
「どうしよう…うれしい」

輝くん。
真っ赤な顔で照れる狩屋くんに胸が高鳴った。たぶん、僕が見た中で一番綺麗な笑顔だ。
狩屋くんの「うれしい」って、それはだめだ。僕が誤解してしまうじゃないか。僕は狩屋くんが好きなのに、狩屋くんも僕を好きだと勘違いしてしまうじゃないか。

「すき」

その言葉はご飯と一緒に飲み込んだ。ご飯は冷めきっていたけど、僕の頬はあつかった。
狩屋くんはと見れば、苺を摘まんで口に放り投げていた。その頬は苺みたいに真っ赤だった。

今度は、もう雑音は聞こえないだろう。
そう思いヘッドホンを取った。