吉緑←マサ
※嘔吐表現有



寝起きのぼやける視界の中で揺れる緑のそれ。見覚えのあるそれに安堵して、眠たい目を擦ると「おはよう」と声をかけられた。俺もまたいつもより低い声で「おはようございます」と返せば、視界が徐々にはっきりしてきてにこりと笑ったリュウジさんが見えた。
その優しい笑顔に胸が高まったのはいつものこと。だけど、いつも見慣れているはずのリュウジさんの笑顔に踊らされる俺は一体どうしたことだろう。飽きることがない。そう考えたほうが早い気がした。
男のくせしてそんな綺麗なんて詐欺だ、なんて考えたときもあったけど、俺の学校にも似たような先輩がいるから黙っておいた。

「あ、そこに着替え置いてあるから」
「はい」

リュウジさんが指した方向を見れば、綺麗に畳まれた制服が置いてあった。これではまるで本当に母親みたいじゃないか。そういいかけて、リュウジさんに苦笑されそうで唇を噛んだ。
結局は自己防衛に過ぎない。俺は自分がかわいいのだ。母親と決めつけてしまっては、リュウジさんはあの人と結婚しているようなものじゃないのか。そんなの俺が悲しいだけじゃないか。一方的な片思いなんて。

欠伸をしながらカッターシャツを手に取ると、まだ少し温かい。そういえばこれから暖かくなっていくんだろうなと、どうでもいいことを思いながら袖を通す。暖かいのは別に構わないのだが、暑いのは勘弁してほしかった。去年の暑さを思い出すと嫌悪感が駆け巡る。
ちら、とリュウジさんを見れば、忙しそうに部屋をいったり来たりしていた。明日は会議があるんだよね、昨日の晩リュウジさんがそう言っていたのを思い出した。だけど時計はもうすぐ7時を指そうとしているにも関わらず、リュウジさんはまだパジャマのままだった。寝坊でもしたんだろうか。頭が回らない状態ではそう思うしかなかった。


「狩屋、朝食の用意出来てるから着替え終わったらリビングにおいで!」
「……え、あ…はい」
「ん?どうした」

リュウジさんがこちらを向いた瞬間に、見えてしまった。パジャマから覗く首筋の赤いそれに。できれば見たくなかった。そのときばかりは、俺に話しかけずに着替えてこればいいのにとさえ思った。
リュウジさんは気づいていないのだろう。相変わらず黒い瞳を俺に向けている。年のわりには幼く見える顔立ちに、散らばるいつくもの痕。それはきっと、あの人がつけたものだろう。そう思ったら途端に気持ち悪くなって、その場を後にしてトイレへ駆け込んだ。リュウジさんがなにか叫んでた気がするけど、今はそれどころじゃない。きもちわるい。胸のモヤモヤと腹から込み上げてくるものが重なって、気づけば涙を流していた。


「げほっ、ハァッ…はっ」

腹の中のものが全部吐き出されて、胃液だけが便器の中へ落ちていく。口の中に残った胃酸の味がして顔をしかめる。水の流れた音は俺の声をかきけして吐瀉物と一緒に流れた。朝食食べたあとならもっと酷かったんだろうか、ぼんやりした頭で考えたけどわからない。腹が空っぽになってしまったけど、こんな状態で朝食を食べる気にもなれない。
近くの壁に持たれて息を整える。
先ほどの嘔吐はなんだったんだろうか。こんなこと初めてだ。

さっきは…さっきはアレを見て…つけたのがヒロトさんだろうなって思ったら気持ち悪くなって…それは それはつまり。

「拒絶…」

多分、目の前の出来事に頭が拒絶して吐き気をもよおしたんだろう。今思えば、あんなにはっきりと見せつけられたことはなかった。
わかっていたはずなのに、リュウジさんはヒロトさんのだって。だけどどこかでそれを否定する自分がいた。リュウジさんはいつか俺に振り向いてくれる日がくると信じていた。そんなことあるはずもなくて、俺は自己防衛故にしていたことが逆に俺自身を傷付けてしまっていた。

「バカだろ、おれ…」

小さく呟いて、また涙が零れた。この想いも一緒に流れてくれたら楽なのに。