先輩基山と後輩緑川♀
風丸、吹雪も♀




「あの人かっこいい」

たまたま廊下ですれ違った男子生徒をみて呟いたのがそれ。どれ?と、誰を指しているのかわからない吹雪に私は「あの人」と言って指を指す。人を指で指すのはいけないことだと聞いた、けれどこのときばかりは仕方ない。
私が指した「あの人」に吹雪と風丸は、げっと声を上げた。
風丸は男らしいからわかるけど、吹雪まで言うことないじゃない。女の子がそんなはしたない。だけど私も人のことを言えた義理じゃないから言いはしなかった。

綺麗な赤い髪は光が反射して余計に目映くみえる。風に流れるその髪は靡いてサラサラしていて、私なら憧れてしまう。私の髪はくせっ毛だから、ああいう髪質が羨ましいのだ。
目は吸い込まれそうな翠色。私と同じ髪色だけれど、あの人のみどりはなにか違う。肌は白すぎるほどで、その人の髪色と瞳の色が余計に目立って見えた。
そうして凝視するほどに彼を見ていると、こちらの視線に気づいたのかやわらかく笑って笑顔を向けてくれたのだ。あまりに綺麗で顔が熱くなっていくのがわかる。そうして一拍置いてから、頭でも下げておけばよかったかなと後悔したのだった。


「ねえ緑川ちゃん。あの人知らないの?」
「吹雪知ってるの?」
「知ってるもなにも…生徒会長じゃないか」
「ええっ」

生徒会長、そういえばそんな人いたような気がする。一目見たら忘れることのなさそうな人だけれど、私は覚えてなかったらしい。朝礼とかは、残念ながら私は寝惚けていてほとんど記憶にないくらいだ。前に立つ長ったらしい校長先生の話なんか右から左に流れて、酷いときは子守唄にさえ聞こえる。
この前の朝礼は、寝坊して行けなかった。だけど朝ごはんの食パンについた苺ジャムの味だけは鮮明に思い出すことができる。

「あの人は止めたほうがいいぞ、緑川」
「どうして?」
「女の人の噂が絶えないんだって」

聞くところによると、噂かなにかは知らないが一週間ごとに彼女が変わっていたり何股もして女と遊んでる、らしい。
顔がいいと根も葉も無い噂が飛び交うもんだなと一人思った。そういうのは私は信じていないから別にどうだってよかった。どうせ先輩を妬む人がそんな噂を広めたんだろう。生徒会長で顔もいいなんて、妬まない人がいないはずはない。
「ふうん。」私はそれだけ呟いて興味無さげに切り捨てた。だって言ったら言ったで、お節介な二人が食いついてくると思ったから。

だが名前はちゃんと聞いておいた。どうやら基山ヒロトというらしい。
その名前にも私は覚えがなかった。こんなにも覚えが悪かっただろうか。




あれから授業中であれなんであれ、暇さえあれば基山先輩を思うようになっていた。もとより授業なんか退屈でほとんど仮眠していたのだけれど。
何回か廊下ですれ違っては視線を送るし、朝礼も自然と目が冴えていた。これが無意識の内にやっていることなのだから恐いものだ。
これでは本当に恋する乙女なんじゃないか。がさつな自分には乙女だなんて似合わないだろうと思っていたが実際はそんなに違和感ない。むず痒い気がするが。
あのときはただ「かっこいい」。そんな憧れじみたことでしか思っていなかったのに、私はどうなってしまったのだろう。あのときと同じ笑顔で、名前なんて呼ばれたらと想像すると嬉し恥ずかしで顔を覆ってしまいたくなる。いつの間に先輩にこんなに惹かれていたのだろうか。



「……は、なんで私が?」
「ごめん!いやー急に部活から連絡があってさ」

そう言いながら申し訳なさそうに頭を掻く風丸。私の手には一冊の本。その本をパラパラと捲ると、最後に紙が挟まれてあって日付が記されていた。日付は今日になっている。

「なんでさっさと返しておかないのよ…」
「忙しくてさ、まあ緑川は部活ないし…ね?」

つまりは暇だろと言いたい風丸の頭に、軽く拳骨を食らわして溜め息をはく。しょうがないかと呟けば、調子よく「さすが私の友達!」といって抱きつかれた。こういうところは嫌いじゃない。
じゃあよろしく。風丸はそう言うだけ言ってさっさと廊下を走っていってしまった。廊下は走るなとあれほど言われているのに。

どうしてこんな日に限って吹雪が休みなんだろ。あいつ絶対仮病でしょ。
ぐちぐち文句を言いながら向かう先は図書室。わたしは数えるほどしか行ったことないけれど、内装が綺麗で落ち着きがあった。最近は行っていないが変わっていないだろう。室内いっぱいに広がる紙の香りが懐かしく感じる。


図書室と表記されたドアを開けて踏み入る。すこし変わったようにも思えたが、改装したのだろう。相変わらず落ち着きがある。
本の香りに癒されて さて、と本を返しにいく。その際に気になる本があったから今度借りてみることにする。

「誰もいないなあ…」

放課後だからか人は全くいなかった。それもそのほうがいいだろう、ゆっくりできる。
色とりどりに分かれた本を手で触れながらだんだん奥に進んでいく。

「…あっ!これ新しく出たやつ!」

するりと指を通してその本をゆっくりと開けてページを捲る。それは恋愛のれの字もない、普通の女子では手に取らないであろう本に私は手を伸ばしていた。
表紙はことわざ辞典とゴシック体で綴られてある。これと似たようなものを持っているが、これは改良版みたいなもの。前の辞典には載っていないことだって書かれてあるのだろう。前から欲しいとは思っていたものだ。
それにしても新刊をこんなに奥に閉まっておくなんて、誰かが返す場所を間違えたのだろうか。私はそんな些細な、どうでもいいことに疑問を抱いた。

「…どうしてこんな場所に」
「ねえ」
「…へっ!?」

一人悩んでいると、突然背後から声がかけられた。さっきまで一人だったのにいつの間に。どこかで聞いたことのある声だな、そう思いながら後ろを振り返る。視界に赤が映った。

「えっ あ 貴方は」
「こんにちは。初めまして、だね」

そこには私が追い続けてきた(すこし大袈裟かもしれない)基山先輩が立っていた。こんなに近くで、しかも自分に話しかけてきてくれるなんて。
自分の都合のいい夢でもみているんだろうか。咄嗟に頬をつねったらやっぱり痛かった。これは夢じゃない。
そんなことをしていたら、目の前にある翠がこちらを見据えていてどきりとした。自分の頬をつねって、馬鹿な子だと思われたんだろうか。

「あ の」
「君、この本好きなの?」
「えっ」

心地よいテノールが耳に入ってついうっとりしてしまう。けれど、私の心臓は落ち着きを知らずバクバクと五月蝿いくらいに音を立てる。先輩に聞こえてやしないだろうか、顔は変じゃないか。今更ながらに動揺してきて、私が今、なにを喋っているのかすらわからなくなってきた。テンパりすぎにもほどがある。恥ずかしい。
そして先輩に指摘されて持っていた本に気づいた。
しまった、これことわざ辞典じゃん!恋愛小説ならまだしもことわざ辞典ってなに!女子が持っているような本じゃないでしょ!タイミング悪かったかもしれない…。

幻滅されたであろうことに泣きそうになったそんなとき、頭に優しく手が置かれた。当然私より大きい手にまた鼓動が速くなる。

「ことわざ好きなんだね」
「あ、は はい」
「奥が深いよね 俺も好きだよ」
「えっ…!」

先輩もことわざがすき。先輩と私が同じものをすき。それだけで嬉しくて舞い上がってしまった。どうしよう他の女子に見つかって殺されるかもしれない。
無理に話を合わせてくれたんだろうかとは思ったが、どうでもよくなってしまった。先輩と話せるだけで それでいい。


それからずっと話してて、気づけば空が暗かった。
家まで送るよ。そう言う先輩に私は慌てて首を横に振ったが、今思えばチャンスを逃したかもしれない。今後悔したって、チャンスは戻ってこなかった。
部活が終わった風丸を迎えにいけば、なににやついてんだと指摘された。さっき起こったことは内緒にしておこう。あとがうるさいけれど。

鞄の中に入ったことわざ辞典を思い浮かべ、この辞典を見ながら基山先輩のことを想像するんだろうなと思えばまた口角が上がったみたいで。今回は風丸に感謝した。