「なぁ、今日行ってもいいだろ?」
「あぁ、来るといい」

当たり前のように繰り広げられる二人の会話を聞いて、タマキはこっそりと息を吐き出した。
あの優しい眼差しも品の良い笑顔も、男らしい指も大きな背中も。
自分を夢中にさせて仕方がないあの唇も自分一人のものではないと頭では分かっているけれど。
やはり目の前でこうも見せ付けられるとさすがに切なくなってしまう。
胸が張り裂けそうなほど苦しくなる。
だけど、一度あの甘さを知ってしまえばもう抜け出せそうになかった。


ヒカルという恋人がいるキヨタカと、あらぬ関係になったのは本当に些細なことがきっかけだった。
仕事終わりに飲まないかと誘われ、二人でバンプアップへと向かった。
仕事の話からちょっとした昔話など、他愛もない会話を楽しんでいた。
楽しくなれば酒は自然と進んでしまい、タマキは少し飲み過ぎてしまった。
かろうじて一人で立つタマキの腕を取ってキヨタカが歩く。
タクシーに押し込められたと思ったらキヨタカも一緒に乗り込んでいて、口を開く前に目的地を告げられてタクシーはゆっくりとそこへ向かって走り出した。
自分の家に帰らなければ、そうは思うものの走行中の車が酔った身体に眠気を誘う。
さらにキヨタカの大きな手が優しく髪を撫でるものだから、起きようという意識とは裏腹にことりと眠りにおちてしまった。



タマキが目を覚ますと、そこは見たことのないベッドルームだった。
軽い頭痛がして呻き声を上げると、上から優しい声が降ってきた。

「大丈夫か?」
「た、いちょ・・・?」

風呂上がりなのか肩にタオルを掛けたキヨタカがミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。

「飲ませ過ぎてしまったな」
「いえ、俺の方こそすみません」

状況を理解したタマキがしゅんとうなだれると、キヨタカが優しく髪に触れた。
見上げた顔はいつもと同じなのに、だけどどこかが違って見えて。
パチパチと瞬きを繰り返すと、キヨタカはフッと笑ってみせた。

「タマキは可愛いな」

それはいつも言われる言葉なはずなのに、いつもと違う意味合いに聞こえる。
眼鏡の奥にある黒い瞳から視線を逸らせずにいると、髪に触れていた手がゆっくりと頬に下りてきた。
そのまま顎を滑り、薄く開きっぱなしだった唇を親指がなぞった。
言葉にされないと気付けないほどタマキも子供ではない。
しかし同僚の恋人の姿がふと頭を過ぎった。

「タマキ」

そんな思考を遮るようにキヨタカの声が聞こえる。
初めて聞く色気のある声に、酔った頭がどんどん思考力を失っていく。
ここでヒカルの名前を出せば、この一瞬はなかったことになるだろう。
今まで通り、ただの上司と部下。
その関係も悪くなかった。
だけどいつも優しくて頼りがいがあり、なんでも完璧にこなしてしまうキヨタカに知らず知らず憧れ以上のものを抱いてしまっていたのかもしれない。
開きかけた口をつぐみ、キヨタカを見つめる。
それを了承とみなしたのか、ゆっくりと整った顔が近付いてきた。



それからヒカルと約束がない夜二人で過ごすことが増えた。
アダムとイヴが食べたと言われる禁断の果実はこんな甘さだったんじゃないかと思う。
いけないとわかっているのに、伸ばす手を止めることが出来ない。
愛の言葉を囁くキヨタカはいつも真剣な眼差しで、自分一人だけに向けられているんじゃないかと勘違いしそうになってしまう。



「じゃあ後で行くわ」
「あぁ、もちろん泊まっていくだろう?」
「・・・おう」

照れ隠しなのか素っ気なく返事したヒカルに、カゲミツが見せ付けるなよと冷やかす。
今の状態に満足している。
けれど、自分一人だけを見てくれればどんなにいいだろうと考えてしまう。
甘い香りに誘われて手を伸ばした禁断の果実は、その芳醇さとは程遠く苦い。
気を緩めれば嫌な自分が出てきてしまいそうで、タマキはギュッと拳を握り締めた。

(恋ってなあに?)
甘いかおり、苦い味

by確かに恋だった様(恋ってなあに?5題)

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