▽09/05 20:30
人がせっかく勇気を出して素直になろうとしたらこの有様だ。
鼻がツンとしてじわりと視界が滲む。
薄く開いたドアをバレないように静かに閉めた。
込み上げてくる涙を拭う気にもなれない。
ワゴン車にも家にも帰りたくなくてバンプアップの屋上に向かった。
ヒカルに家でもあんな調子なのかと聞かれたのはつい一時間ほど前のことだった。
一体何のことだと首を傾げるとヒカルがはぁと大きくため息をついた。
「家でもみんなといるときと同じ態度なのか?」
「あぁ」
てっきりみんなそうだと思って何てことないように答えると、ヒカルがあー、と天を仰いだ。
「オミは何も言わねぇの?」
「何も言わねぇ」
俺の答えにヒカルが複雑な表情を浮かべる。
腕を組んでじっと俺を見る姿は俺より年上に見えた。
「カゲミツ、お前オミと付き合ってるんだよな?」
「は?なんだよ、いきなり」
そう言って話を濁そうとしたがヒカルはそうはさせてくれなかった。
「お前がオミのこと好きならもっと態度で見せてやれよ」
お前はオミに甘え過ぎだと付け加えられても意味がわからない。
俺はこれっぽっちもオミに甘えた記憶はない。
「オミは何があっても自分のことを好きだとか思ってるだろ」
「え?」
「たまにはカゲミツが態度で見せないとオミだって不安になるぞ」
今まで考えたこともなかった。
オミがJ部隊に入ってからずっと一緒にいた。
いくら鬱陶しがってもオミは俺が好きだと言い続けた。
だからオミが俺に興味をなくす、とか、俺以外を好きななる、なんて考えたこともなかった。
呆然としているとヒカルがフッと笑った。
「アイツさっきミーティングルームにいたぞ」
そう言って俺の手にある資料を取り上げた。
小さくありがとうと告げて俺はワゴン車を後にした。
ミーティングルームに向かう途中、付き合い始めた頃からの記憶を思い出していた。
そう言えば好きだとか言ったことないかもしんねぇ。
言葉にするのは恥ずかしいが実際俺はオミが好きだ。
一緒にいて楽しいし満たされる。
いつも照れが勝って素直に伝えられないが、今日は伝えよう。
そう意気込んで扉を開けて、固まった。
ソファに座るヒサヤに身を屈めて同じ目線に合わせるオミ。
二人の距離が近い。
部屋はしんと静まり返っていた。
屋上でさっきの光景を思い出してまたツンと鼻が痛くなる。
あれはどう見てもキスしていた。
オミが自分以外に、なんて思ったけど相手はヒサヤだ。
二人が過ごした時間も密度も俺なんかと比べものにならない。
俺が素直にならないからオミが心変わりしてしまっただけだ。
そう思うと心臓がきゅっと締め付けられた。
三角座りをしてぼんやりとシンジュクを眺める。
今夜は家にもワゴン車にも帰りたくない。
一人で過ごしたかった。
「カゲミツ、こんなところにいたのか」
何時間くらい経ったのかわからないが屋上の扉が開かれオミが入ってきた。
安堵したように息を吐き出すオミが愛しい。
なんて今更もう遅いんだけど。
俺のこと好きでもないのにそんな顔しないでくれよ。
「ヒカルに聞いたんだけど俺に話があるの?」
俺ずっとミーティングルームにいたんだけどとオミはいつもと変わらない表情で言う。
ヒサヤとキス、してたくせに何言ってんだこの野郎。
「別に何でもねぇ」
「気になるじゃん、教えてよ」
オミは隣に座り俺の肩に腕を回した。
ねぇねぇと急かすその手をぱちんと振り払った。
「機嫌悪いの?」
「別に」
ただもう構って欲しくなくて冷たい言葉を返す。
眉を寄せてそんな悲しそうにするオミにちくりと心を痛める。
今までそんなこと感じなかったのにいざ別れるかもしれないと急に申し訳なさが込み上げてきた。
「カゲミツ、ずっとここにいたの?」
「・・・」
確かめるように絡められた指を反射的に振りほどいてしまった。
「カゲミツ、今のはさすがに俺でも傷付くよ」
「・・・・・・俺のことなんてもう何とも思ってないくせに、よく言えるな」
漸く出た言葉は絞り出すような声で言った瞬間涙がぽろり、またぽろりと落ちてコンクリートに染みを作った。
そんな顔見られたくなくて自分の腕の中に顔を埋める。
オミが戸惑った声を上げているがもうどうだってよかった。
今、この瞬間に終わったんだから。
「カゲミツ何言ってるんだい?」
「触んな、」
涙声になって、格好悪い。
体を揺さ振るオミに片手を振り回して応戦する。
顔は俯けたままだから当たっていないみたいだけど。
「カゲミツ」
優しい声で名前を呼ばれてふわりと体を抱き締められた。
オミのせいで大好きになった香水の香りに包まれて、安心してしまう。
「俺がカゲミツのことどうでもいいなんて思う訳ないでしょ」
子供を諭すような口調で優しく頭を撫でられる。
首筋にちゅっちゅっと唇を落としていく。
「だって、さっきミーティングルームで、」
「ミーティングルームで?」
「ヒサヤとキス、してたじゃねぇか」
「誰が?」
「お前が」
「俺が?」
心底意外そうな声を聞いて顔を上げた。
目を丸くしている表情は嘘には見えない。
「それ本当に俺なの?」
「ずっといたんだろ」
それにお前のこと見間違う訳ねぇしと言うとオミが嬉しそうに笑った。
「確かにミーティングルームにヒサヤもいたけどそんなことする訳ないじゃん」
「でも俺は見たぞ」
「俺はカゲミツがミーティングルームに来たのを知らないんだけど」
確かに部屋には入っていない。
しかしあの体制は間違いなくキスする体制だった。
オミをヒサヤに見立てて、あのときの光景を再現する。
「ヒサヤが座っててお前が目線を合わせて」
俺があのときオミがしたように顔を近付ける。
唇まであと5センチというところでオミがあ!と声を上げた。
「やっぱりカゲミツの勘違いだよ」
「んな訳」
「あるよ、再現してあげる」
オミはそう言うと俺と場所を入れ替わった。
整った顔に覗き込まれて少し顔が熱くなる。
顔が近付いてきたと思ったら途中で止まり、代わりに手が近付いてきた。
頬のあたりを指が掠めて、取れたよとオミが笑った。
「・・・どういうことだ?」
「ヒサヤの顔にまつげがついてたから取っただけだよ」
オミはそう言うと顔を近付けて俺の唇に自分の唇を押し当てた。
「俺がこんなことするのはカゲミツだけだよ」
「ッ・・・!」
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
勝手に勘違いして泣いて、すげぇ格好悪いじゃん。
でもオミは嬉しそうにぎゅーっと後ろから俺の体を抱き締めてくる。
「俺がヒサヤとキスしてると思うと嫌だった?」
「・・・当たり前だろ」
今度は恥ずかしくて腕の中に顔を埋める。
オミが嬉しそうに可愛いなぁという声が背中越しに聞こえる。
ぐりぐりと背中に顔を押し付けてきて愛されてる、なんて自惚れてみたり。
「オミ、」
「ん?」
「・・・好き、だ」
意を決して伝えたのにオミからは何の反応もない。
不満げに後ろを向くと、顔を真っ赤にして固まるオミと目が合った。
「カゲミツ、今なんて言った?」
「え、あッ」
体を反転させられてそのまま地面に押し倒される。
辺りは暗くなったとはいえ、ここは屋上だ。
必死でオミを押し返すと腕を引っ張り起こされ、そのままオミの胸に抱き止められた。
「あー、もう幸せ」
「オミ、苦しいって」
それでもぎゅうぎゅうと力を込めてオミが抱き締めてくるので肩を押すと、漸く力が弱まった。
「カゲミツ、愛してる」
そのままどちらともなく合わさった唇は今までで一番幸せなキスだった。
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