万物流転 | ナノ
35.つきかげ3
マートルが卵を開けろと言ったのでロンが卵の留め金を外した。やはり、卵から漏れ出てきたのは三十丁より、もっと多くの鋸楽器が奏でているような――ニックに誘われて赴いた絶命日パーティで聴いた時のようなあの耳障りな――耳を劈く音としか考えられなかった。

その音が浴室中に響いた。慌てて卵を閉じて、このうんざりするような卵の泣き声が外の廊下へ漏れ出してはいないだろうかとひやひやしながら、出入り口付近に立つセドリックを見遣ると、耳を抑えていた彼が振り向いて、親指を立てて口パクで『大丈夫だ、頑張れ』と言ってくれた。

宙を漂うマートルだけが、この場に不釣り合いな程に可笑しそうに唇を歪めて、その光景を眺めていた。こんなに楽しげな表情のマートルを、僕らは見たことがなかった。卵を抱えたロンが恨めしそうな視線で彼女を見るも、きゃらきゃらとした甲高い声を上げて笑うばかりで、彼の睨みは効果今ひとつと言ったところだろうか。

「おい、マートル!真剣にやってくれよ!」
「そうだよ!僕ら、切羽詰まってるんだ。お願いだよ!」

ロンの怒りを抑えながら僕がお願いの言葉を再度言うと、にたりと一度深く笑んでからプツッと顎のにきびを潰した彼女は「仕方ないわねぇ…ハリーがそう言うなら」と言って次の指示を出した。

彼女は卵は水の中で試すことだわねと言ったが、今度の言葉は本当だろうか。念押しするようにロンが低い声で彼女に聞くと、いつものにたにたした笑みになった彼女は「それを知りたいなら、やってみれば?」と言った。

その顔は、まるで僕らに命令するのが楽しくてたまらないといった彼女の心情をそのままに再現していた。ロンは今にも彼女に卵を投げ付けそうな険悪な表情をしていたが、内心げんなりとしている僕が彼の肩をとんとんと叩いて宥めると、彼もやっと一息ついた。

僕らはトプンと卵を湯につけた。そして、卵を真ん中にして僕らは向かい合う。ロンが卵の留め金を外すと、今度はあの鋸楽器の音は聞こえず、その替わりに美しい声の旋律が浴室を満たした。

もっと、もっと、声を聴きたい。「ほら、あんたたちも顔を沈めるのよ」とマートルは言う。僕とロンは一度頷いてから、肺いっぱいに息を吸って湯の中に潜った。

それは不思議で、とても美しい声のコーラスだった。湯の中に潜ると、その声はより一層鮮明に僕らの耳に届いた。

――探しにおいで声をたよりに。地上じゃ歌は歌えない――われらが捕らえしもの――大切なもの――一時間のその後はもはや望みはありえない――もはや二度とは戻らない――

ザブンッと僕とロンは浮上した。二人とも泡だらけになって、お互いに顔を見合わせてほぼ同時に「聴こえた!?」と言った。

僕は卵から流れた歌声を頭の中で急速にリピート再生しながら、ぐるぐる考えた。ロンが「僕、もう一回聴いてみる!」とまた彼は潜った。ロンは三回ほど潜って、歌詞の全部を羊皮紙にまとめてくれた。目から入ってくる情報に、混乱してしまいそうだ。隣りのロンはそのお手製の歌詞カードとにらめっこをしながら、ウンウン唸っている。

僕は目を閉じることにした。そうすることで、あの不思議な調べの、歌詞を頭に思い浮かべて、その中にある点と点をか細く頼りない線を引いて繋げていく。マートルが茶々を入れてくる声も、僕の耳にはもう届かない。僕は全ての点と線が繋がって、悲鳴のような声を上げた。

「ねぇセドリック!僕たちが奪われる大切なものって…もしかして!」

20131215
20131225
title by MH+
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