緊急警報





 部屋の前に立ってパソコンを強く抱き、深呼吸をする。偉い人と話をするのはとても緊張するから、気持ちを落ち着かせてからでないとうまくいかない。それがたとえ、同年代の人であったとしてもだ。
 覚悟を決めてノックをするとすぐに返事があった。息を吸い込み、名前を名乗ってから思い切って用件を告げる。
「お疲れ様です。面談に参りました。本日はよろしくお願いします」
「入って」
 命令に従って室内に入る。私の気配を感じ取ると、二人はこちらを振り返った。所長代理の方が彼の前の椅子を示し、私に更なる命を下した。
「座って」
「失礼します」
「今日は面談ってことだけど、普通に話してくれればいいから。変にかしこまられるとやりにくいし」
 偉い人の「まぁ気を楽にしてよ」とか「今夜は無礼講ってことで!」は基本的に信じていない。私は自分でもわかるほどに顔を強張らせたままではい、と言ったが、所長代理は元から人の顔をそんなに見ない方なので気にならなかったようだ。
 所長代理は一言で言うとすごい人だ。私はうまく説明できないけれど、とにかく頭が良くて私と同い年とは思えないほどに色々な功績があるという。隣に立つヒューマノイドのオルトさん何も喋らず、じっとこちらを見ているのが怖い。そういう命令なのだろうか?も所長代理が作ったと聞いている。そんな人と面談なんて、何を話していいのかわからなかった。
「面談の前に、お詫びというか……」
 言いにくそうに所長代理が切り出した。私は首を傾げたが、やはり彼はこちらを見ていなかった。
「例の事件……僕たち兄弟が引き起こしたことですので……」
「あ……そのことでしたら、全然……私は直接何か被害を被ったわけでもないですから」
 私がここに勤め始めてようやく一か月経った頃だったか、S.T.Y.X.で大規模な事件が起きたと聞いている。こういう表現になるのも仕方ない、私はその日、たまたま休みでそれを目の当たりにしたわけではないのだから。もう二か月ほど前の出来事だし、事件以降は強制的に休みを命じられていたため勤務を再開した時にはほとんど元の状態に戻っており、本当に事件が起きたのかすら私には疑わしいほどだった。
「こちらこそ、ゆっくり休めた上に休業補償までいただいてしまって」
「それは当然のことだから。で、今日はそのお詫びと、君の業績についてと、新しい仕事について話したくて」
 本題に入ったことで私は背筋を伸ばした。それにしても、私のような下っ端にまでお詫びするなんて、まさか所長代理は職員全員に対応しているのだろうか。ちょっと変な人だと思ったこともあるけど、割とちゃんとした人なんだなぁ。それとも、学校が休みなのかしばらく研究所にいる予定との噂だから、もしかして暇を持て余しているのかもしれない。
「この前出してもらった自己評価シートなんだけど、これ、何?」
 傍らのパソコンを操作し、所長代理は大きめのサブディスプレイに私が入力した情報を表示した。これは職員全員が自分の業績を振り返るための評価用シートであり、先週締切だったものだ。
「ご質問の意図がよく……何、とは?」
「あー、ごめん、言い直しますわ。自己評価全部Eってどういうことかおうかがいしたく」
「……どういうこと、と言われても……」
 自己評価は自分の仕事ぶりを自分で判定して入力するものだ。自分で五段階中最低だと思ったからそうしただけなのだが。
「どうしてこの評価にしたのか説明してくれる? 適当に書いた?」
「ち、違います……ええと、私は……まだ勤め始めて短いですし、先輩方のように一人で何かをすることもできませんし、重要な仕事を任せられているわけでもありません。特別秀でた何かがあるわけでもなくて、いてもいなくても誰にも影響は与えないから、評価はEです。変でしょうか」
「ふーん……じゃあ君の言い分だと、新人は全員E評価じゃないとおかしいよね。入ったばっかりでAとかつけてきてる子は全員Eにした方がいいってこと? 思い上がってるって指導が必要?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
「言っていることが矛盾しているのでは?」
 厳しい言葉に、私は俯いて自分のノートパソコンをぎゅっと抱え込んだ。そうなのかもしれない。けれど、私は本当にそう思っている。自分以外はみんな優秀で、すごいところが絶対に一つはあって、それだけで確実にD評価以上に値する。でも私は、本当に何もない。謙遜しているわけでも何でもなく。
「兄さん、言い方が怖いよ」
 沈黙を破ったのはヒューマノイドのオルトさんだった。あまり会話したことがないが、私は入所してしばらくの間は彼を本当に人間だと思っていた。
 彼は私の目の前にしゃがみ込み、俯く私と視線を合わせた。
「お姉さん、大丈夫?」
 大きな瞳に見つめられて、私は何度か頷いた。
「あのね、兄さんが言いたいのは、もっと君に自信を持ってほしいってことなんだ」
 それはさすがに良く捉えすぎではないだろうか私は恐る恐る顔を上げて、もう一度所長代理を見た。今日初めて、一瞬だけ視線が合う。
「自信、と言われても……ただ毎日普通に働いてるだけで……」
 蚊の鳴くような私の声に、所長代理が呆れたような声を出した。
「君の言う普通って? 毎日誰よりも早く出社して誰よりも遅くまで働いて一つのミスもなく迅速に作業すること?」
「仰る通りです」
 新人は誰よりも勤勉に働き、一刻も早く戦力にならなければいけない。それに加えて、誰かに迷惑をかけるようなミスがあっては絶対にいけないし、とにかく早く対応することが必要となる。今更社会人としての基礎を説かれるなんて、私が至らないばかりに申し訳ないことだ。この二人はただでさえ忙しいはずなのに。
 私の言葉に所長代理は息を吐いた。
「なんか控えめで謙虚なタイプのリドル氏みたい……オルト、よろしく」
「はーい。お姉さんの成果を説明するね」
 指示された彼は、サブディスプレイの資料を切り替えた。どうやら、私に関する報告書のようだ。
「お姉さんが入所してから担当した業務をまとめた報告書だよ。まず、先月のセキュリティデータのチェックについて。実はいくつかダミーデータが用意されていて、大抵の人はそれに引っ掛かるんだけど……」
 オルトさんは私が行った全ての業務について、数値を交えて詳細に説明してくれた。どうやら私は入社以来、適性や正確性を見るためあらゆる業務にしかけられているというダミーデータに引っ掛かったことが一度もなく、大抵の業務において人より1.5倍のスピードでこなしているらしかった。けれども、私が担当しているのは機械では判断できない部分の書類やデータのチェックであったり、上司の補佐のための資料準備やスケジュール調整であったり、来客への対応であったりと専門性の低い誰でもできるような仕事だ。できて当たり前だと思う。
「ご説明ありがとうございました。それで、私はどうしたらいいのでしょうか」
 そう、それがわかったところで結局、というところはある。所長代理が説明を代わった。
「まず、君の自己評価はEだけど上司評価も最終評価もAになりますので。次回以降はちゃんと自分の実力にあった評価を考えてつけて」
「そうは仰いますが、私が担当しているのは誰でもできる仕事ですよ。そんなのでA評価をいただくなんて」
「そんなの関係ないよ。誰でもできる仕事だからって軽く捉えてミスする人も少なくないのに、君はそうじゃない。要は、君の勤勉性や正確性を買ってるってことと捉えていただけると」
「なんだか申し訳ないですが……」
 偉い人が言うのならそうなのだろうどこか納得いかないが、最終的には頷くしかない。
「それと、新しい仕事だけど。これからはオルトについてもらうから」
「承知しました。具体的には何を?」
「ごめん、説明もオルトから聞いてもらえる? もう時間なくて」
 所長代理はパソコンに向き直り、早くも次の業務に取り掛かっているようだ。たぶん、私がなかなか納得せずにグダグダと中身のない話をしてしまったがために時間が押してしまったのだろう。
 とりあえずこれからはオルトさんが上司なのか私は彼と共に所長代理の部屋を出た。
「これからご指導をよろしくお願いいたします」
 私が頭を下げると、オルトさんは少し困ったような顔になった。口許が隠れているから全部は見えないけれど、目元だけで感情がわかるほどに表情豊かだから意思疎通は難しくなさそうだ。この部分だけで言えば、所長代理の方が感情が乏しいように見えなくもない。
 オルトさんは私を誘導し、二人用の面談室に入った。机を挟んで一対一で向き合って座る。傍らには二人でも資料を閲覧しやすいようなサブディスプレイが備え付けられている。ここの研究所内は、どの部屋でもたいていそうなっていた。
 私はメモを取ろうとノートパソコンを準備してから背筋をピンと伸ばした。
「今後の業務について教えていただけますでしょうか。僭越ながら、私はささやかなものではありますが他にも業務を抱えております。続けることが難しいようでしたら引き継ぎを行うことも検討しなければならないのですが」
 先んじて切り出すと、オルトさんは意を決したようにこちらを見据えた。
「あのね、お姉さん」
「申し訳ありませんが、職場でそのような呼称はちょっと……特に今後は上司と部下になるわけですから」
「僕と友達になってほしいんだ」
「……友達……ですか……」
 今までのどの仕事よりも難しい注文が来た。ここは職場で、上司と部下なのにも拘らず、友達上下関係と友達関係は両立するか否か。しなくはない。学生時代なら大いにあり得るが、職場でも条件は同じだろうか? そうだ、職場恋愛とかもあるくらいだから上下関係があっても親密な関係を築くことはできるはず。このミッションは完遂可能だ。
「かしこまりました。プロジェクトの目的と期間、条件についての検討や確認が必要ですね。名称も考えなければいけません。まず、一般的に『友達になる』と宣言して互いが了承した場合に友人関係が成立することもあると聞きます。このプロジェクトに時間がない場合はその方法をとりたいと考えますが、いかがでしょうか。こちらを仮にA案として、友人関係の実態に関わらず肩書きがプロジェクト完遂の条件となるなら最も合理的な案だと考えます」
 パソコンで簡易的に資料を作成し、サブディスプレイに投影する。オルトさんはフリーズしてしまっていた。お気に召さなかったのだろうか私はそう考え、次の案を出してもう一度反応を待つことにした。
「同じ条件の下でB案を提案します。こちらは第三者の承認を得る方法です。A案では当事者同士が友人だと宣言しましたが、B案ではその宣言を当事者以外にしていただきます。例えば、所長代理などに『私たちは友人に見えるか』などの質問を投げかけ、合意が取れればこのプロジェクトは」
「ごめんね、そうじゃないんだ……」
 オルトさんは非常に言い出しにくい様子で切り出した。上司が真面目な話をしようとしている私は手を止めて彼に向き直った。
「うーん……何から話したらいいかな」
 オルトさんは少しだけ悩んだ素振りを見せてから、すぐに次の言葉を発した。
「さっき兄さんが話した事件のことがきっかけで、僕の性質が少し変わったんだ。わかりやすく言うと、もっと色々なことを経験したいし、色々な世界を見てみたいし、色々な人と関わってみたい。今までよりもそんな気持ちが強くなっていったんだ」
 結構プライベートな話だな、と思いながら私はその話に頷いた。
「他のことはともかく、人間をもっと知りたいって思った時に女の子のデータを集めることは外せないでしょ? けどね、男子校に通ってるから女の子のデータが手に入らなくて……だから、お姉さんなら年も近いし、もし仲良くできたらもっと色々なことがわかるかもって思って友達になりたいって言ったんだ。お姉さんはS.T.Y.X.の職員だから兄さんも仕事って言い方をしたんだけど、本当はそういう意味なんだ。今まで通りの仕事をしてもらって、空いた時間とかに僕と過ごして君のことを教えてほしい」
 伝わったかな? と小首を傾げてこちらを見た上司は、上司というにはあまりに可愛らしい仕草だった。概要を理解した私は、ますます難しいことになったと思い、眉を寄せるしかなかった。
「仰ってることは理解しました。けど……そういうことだったら私はお力になれないと思います」
「どうして?」
「お話していてご理解いただいたかもしれないですが、私、少し人とズレているでしょう。それに……実は私、友達いないんです。だから、普通の女性としてのサンプルにはならないかと」
 そう、何を隠そう、私には友達が一人もいない。先ほど、所長代理を変だと思ったことがあると考えたばかりだが、私も決して人のことを言えない程度にはおかしな人間だという自覚はある。
「そんなの関係ないよ。お互いに異性の友達がいない同士ってところは一緒なんだし、あらためてよろしくね」
 むしろ友達関係を築くという点においては同性の友人がいる彼の方が上だろう。私と友達になることで彼に有益な何かが発生するとは、とてもではないが思えなかった。しかし全然引いてくれる様子はない。
「わ、わかりました……では、友達になるということで、まずはオルトさんのことをもっと教えていただければ」
 私が真面目に言うと、オルトさんはにっこりと笑った。
「うん、何でも教えるよ。何が聞きたい?」
「こういう時って一般的には何を訊くものなんでしょうか」
「一般的にじゃなくて、お姉さんが知りたいことを訊くものなんじゃないかなぁ」
 そう言われても困ってしまう。非情かもしれないが、特にないというのが現実的な答えだ。だってほとんど関わり合いのなかった人がいきなり友達になろうと言ってきたところで、興味を持てという方が難しい。
「ええと……じゃあ、誕生日とか……あっ……ご、ごめん、ごめんなさい。誕生日訊くとか気分悪かったですよね」
「そんなことないよ」
 私はなんて配慮が足りないんだろう。オルトさんについては噂程度でしか知らないけど、所長代理の弟さんをオリジナルモデルとしたヒューマノイドだったはず。そうでなくとも機械の人に対して誕生日なんて愚問にもほどがある。
「こういうところがダメなんですよね、私……本当にごめんなさい。友達やめたくなりましたよね」
「平気だよ。でもお姉さんが気になるなら誕生日の話はやめるね。僕からも質問していいかな?」
「大丈夫です。何でもどうぞ」
 そう言ったが最後それからオルトさんは私の家族構成や生い立ち、趣味、経歴などを延々三時間も質問し続けた。

「お姉さん! 今日のランチはどうする?」
 友達作戦を開始した翌日から一か月以上は経っただろうか。彼は学校と研究所を往ったり来たりしており、暇を見つけては私の元を訪れるようになっていた。上司にも既に情報共有がされているらしく、彼が登場した時には最優先で対応するようにと言われている。
 私はパソコンの画面から一瞬だけ視線を逸らしてオルトさんを見た。今日もニコニコしている。私とは大違いだ。
「お疲れ様です。この仕事が一段落ついてからと考えていましたが……」
 チラリと上司に視線を送ると、すぐに出ていくように身振り手振りで伝えられる。突然、いち新人からVIPのような扱いになってしまい困惑するが、徐々にそれにも慣れつつあった。私は立ち上がり、彼と共に静かに執務室を出た。
「ランチは何でも結構です。第三食堂が空いているはずなのでよければそちらへ」
「了解! 今日のお仕事はどう?」
「主に監視カメラの障害チェックを行いました。エラーが検出された三件ともに同じ規格の機体だったため、交換申請も済ませています」
「もちろん知ってるよ。あとは新人さんの勤怠モニタリングもしてたでしょ? ばっちり見てたよ」
「そうですか……」
 業務中の私については私自身よりオルトさんの方が詳しいくらいだ。それなのに、毎回私に報告を求めてくる。なぜ知っていることを聞きたがるのか、何の意味があるのか私にはよくわからない。
 第三食堂に人はまばらだった。ここは執務室から離れている上に、いわゆる中食を好む人のための場所なので回転も非常に早い。温かいメニューが提供される第一食堂は人気スポットだが、私がそちらに行ったことは数えるほどしかなかった。
 自販機でよく買っているチョコレートクリームの入った菓子パンを購入し、壁沿いのカウンター席に腰かける。
「お姉さんがそのパンを購入するのは二日と二十三時間四十六分ぶりだね。好きなの?」
 オルトさんは隣に座り、パンをちぎっては口に放る私を興味深そうに眺めていた。
「カロリー的にちょうどいいので選んでいるだけです。好き嫌いは特にありません」
「本当かなぁ。気付いてないだけで、本当はお姉さん、このパンが好きなんだよ」
「どうしてですか?」
「だって売れ残っていると心拍数が上がるんだもん」
「……ではもう食べないことにします」
 もちろん、自分で自分の好みくらいわかっている。けれど私は他人に自分の情報を無駄に開示したくないし、好物を把握されるのも好きではない。
「もしかして言わない方がよかった? ごめんなさい。たまに学園のみんなからも怒られるんだ。正しいことでも言わない方がいいことがあるんだって」
 オルトさんは申し訳なさそうにそう言った。その表情といったら見事なもので、本当に彼が機械なのかと見紛うほどだ。
「気にしていません」
「じゃあまた同じパンがあったら買う?」
「どっちでもいいです」
 オルトさんはいつも無邪気だ。悪いと思ったらすぐに謝ってくれる。今のように彼に一切の非がない時でさえそうだ。彼と接していると、心が純粋すぎて、自分が極悪非道な人間に思えてくる。
 私は食事の手を止めて、重い口を開いた。
「……私、いつも態度悪いですよね。そうしたいわけじゃないのに、いっつもこうなっちゃう」
「何か原因があるの?」
「人を信じていないから……ですかね」
「それはどうして?」
「……私は人から好かれないから」
 オルトさんは私の言葉の理解に少し時間がかかるようだった。
「人から好かれない……それが直接信頼の有無に直結はしないから……人から好かれないということと信頼しないということの間に、何らかの事象が発生したことになるよね。それとも、事象の発生が人から好かれないという結果を導き出したことになるのかな。人から好かれないと感じた最初のきっかけは何かある?」
 機械特有の論点に私は少々感心した。ここで人間相手に対話をしていたならば、たいていの場合は「好かれてないなんて、そんなことないよ」というところから話が始まる。
「ありますが、特に言うほどのことじゃないです。わかってもらいたいとも思わないし」
「でも僕は友達のことをわかりたいと思ってるよ」
「そっか……ありがとうございます。オルトさんはいつも親切ですし、他にもっと適したお友達を作った方がいいんじゃないですかね」
「僕はお姉さんと友達になりたいんだってば! すぐひねくれるんだから……なんだかたまに兄さんを相手にしてるみたいな気になるよ」
 ちょっとだけ怒ったような言い方に心が和む。ずいぶん久しぶりの感情だった。
「所長代理でもそういうことがあるんですか? いつも冷静で、厳格な方という印象がありますけど」
「厳格? 兄さんが? うーん、もしかしたらそう見えるのかもしれないけど、本当は全然そんなことないんだよ。兄さんは優しくて温かくて、僕、大好きなんだ」
「……意外ですね」
「あ、もちろんお姉さんのことも大好きだよ」
「ありがとうございます。オルトさんは奇特な方ですね」
 私がそう言うと、オルトさんは思いついたように提案をくれた。
「もっとお姉さんと仲良くなりたいし、敬語をやめてみるっていうのはどうかな? 僕との距離が近付くと思わない?」
「必要ありますか? 敬語でも親密な関係を築いている人はたくさんいます」
「そうだね。でも僕はお姉さんと対等に話してみたいんだ。だめかな?」
 意外に食い下がってくる。私は少し考えた末に頷いた。
「善処します。すぐには難しいと思いますので。少し予行演習をさせていただいてもよろしいですか?」
「いいよ! どんなふうにお話しできるか楽しみだなぁ」
「まずは普段考えていることを述べさせていただきます」
 どういうノリで話せばいいのかと頭の中でイメージしてみる。ドラマや映画を思い浮かべているが、ああいうのはたいてい大袈裟に作られているものだから三割減くらいがちょうどいいだろう。フィクション通りだと気安すぎる気がする。
 よし、とイメージを固めて口を開く。こういう時は、目を見て微笑むのが一般的だったはず。きっと一瞬なら大丈夫なはずだ。
「オルトくん、いつも色々ありがとう。うまく言えないけど、本当は話しかけてくれるの、すごく嬉しいんだ。もしよければ、また食事に付き合ってくれる?」
 普段使っていない表情筋を目一杯使い、にっこりと微笑んでみる。うまく笑えている自信はないが、オルトさんなら大丈夫なような気がした。
 しかし。
 いきなりの派手な警告音と共にオルトさんは無感情な瞳に切り替わり、すっと立ち上がった。
「深刻なエラーが発生しました。緊急帰還致します」
「えぇっ……そんな……」
 私の反応も意に介さず、彼はものすごい早さでいなくなってしまった。第三食堂に残っていたメンバーがざわざわと噂し合い、明らかにこっちを見ている。
「うわ……緊急帰還だって」
「いつかああなると思ってたわ」
「まぁ、あのアイスドールだしなぁ。たまに笑った時の破壊力といったら……」
「心臓に悪いよな」
「こう、全身の血液が沸騰する感じ? マジで心拍数上がるもん」
 私は人から好かれない知っていたはずなのに。どうして機械とはいえ、私よりもよっぽど人間らしいオルトさんを例外だと思ってしまったのだろう。「誰にも笑いかけないでほしいんだ」と過去に何度も色んな人から言われてきたのに。私の笑顔は人を不幸に陥れるほどに不快なものなのに。彼が親切だからといって油断してしまった。
 仮にも責任者の身内に対してとんでもない暴挙を働いてしまったということで、私の気持ちはどん底だった。今度こそもう二度と誰にも一生笑いかけないことにする。オルトさんとの友達関係もきっと今日で解消だろう。悪影響を与えてしまったとはいえ、せめて最後にお礼だけでも言えたことを幸運に思うべきなのかもしれない。

 翌日になり、私は久しぶりに所長代理の部屋に呼び出されていた。ノックをして入室した私を見て、呼び出した張本人が顔を引きつらせている。
「な……なに、それ……どこから持ってきたの?」
「技術部主任にお借りしました。もっと早くこうするべきでした」
「そ、そう……」
 私は昨日の反省を踏まえ、技術部主任に掛け合ってフルフェイスのヘルメットを拝借していた。これで私は誰にも顔を見られない。ということは仮に笑ってしまうような場面があったとしても問題ないはずだ。
「昨日は大変申し訳ありませんでした。本来でしたら昨日中に自分からおうかがいするべきでしたが、気が回らず」
 頭を下げるとヘルメットが傾いた。うまくバランスをとるのが難しい。
「い、いや、そんなことはいいんだけど、何があったか教えてくれる? オルトもよく理解できてないみたいだし」
「オルトさんはなんとおっしゃっていますか?」
「君と話してたら急に調子が悪くなったって」
「……それが全てです。お話しすることはありません」
 ヘルメットのせいで視界が悪い。私は慎重に踵を返して、部屋を出ようとした。
「待って!」
 しかしその声に呼び止められてしまう。昨日まで私の唯一の友人だった彼だ。
「もう帰っちゃうの? いつもみたいにお話ししようよ」
 私の腕をぎゅっと掴む彼の力はあまりに強い。振りほどこうにもビクともしなかった。
 諦めて振り返り、オルトさんの姿を見る。見た目には大きな変化はないように思える。いつものキラキラの瞳に見つめられて、なんだか泣きそうになった。
「オルトさん……昨日は申し訳ありませんでした」
「気にしてないよ。というより、僕も何が起きたかわかってないんだ。もしわかるなら教えてくれるかな?」
 純粋に問われてしまえば無下に断ることはできない。私は諦めて口を開き、極悪非道の誹りを受ける覚悟を決めた。
「私のせいです。お話しした通り、私は人から好かれないんです。昔から私が笑いかけると、皆さん……特に男性は体調を崩されることが多くて、女性はそれを見て不快になってしまう……きっとあまりに醜いんでしょうね。わかっていたはずなのに……」
「え……そ、それって……絶対違う意味……」
 所長代理が何事かを言いかけたが、私はそれを遮るように声を張った。
「お気遣いは結構です。そんなことが続いてからはもう誰にも関わらないようにしようと思って一人でいることが増えました。アイスドールなんて陰口を叩かれていることも知っています。でも、オルトさんの優しさが嬉しくて……油断してしまいました」
「無自覚ってこわ……」
 再び所長代理が呟いた。その通りだと私は深く頷く。
「仰る通りですね、私はもっと自分が醜いということに対して自覚的になるべきでした。反省しています」
「い、いやそういうことじゃないんだけど」
「オルトさんのことも結局傷つけてしまったし、もうお友達でいることはできません。少しの間でも仲良くしてくれて嬉しかったです。今までありがとうございました。オルトさん、さようなら」
「お姉さんは綺麗だよ」
 気遣った言葉に私の胸が痛んだ。昨日酷いことをしてしまったのにどうしてこんなに優しくしてくれるのだろうか。
「お姉さんの頭蓋骨の形は一般的に美しいとされる黄金比と一致しているんだ。少なくともこの研究所の中でその比率を持つ女性はお姉さんしかいないよ」
「そんなこと言われても……」
「昨日お姉さんの笑顔を見て、うまく言えないけどすごく温かい気持ちになったんだ。それでどうしてか急に温度調節ができなくなって……でも原因がわからないから、きっとまたどこかの場面で同じことになっちゃう。だからどうしてああなったのか、お姉さんに一緒に解明してほしいんだ。僕たち、友達でしょ?」
 キラキラの瞳に見つめられてのお願いに、私は非常に弱かった。
「……まだお友達でいてくれるんですか?」
「当たり前だよ!」
 私は今までこうした事態が起きる度に自分から関係を断ち切り、誰かと深い仲になることを諦めてしまっていた。でも昨日、オルトさんが立ち去った後に今までにないほどの寂しさを感じたし、彼を失うのをつらいと思った。その気持ちに蓋をして見なかったことにして、今まではそれでよかったはずなのに。
「また同じことになるかもしれないんですよね」
「うん、でもそれでいいんだよ。エラーを解消するためなんだから」
「わかりました。実は私もオルトさんといるといつも楽しくてとってもドキドキするんです。それこそ普段誰とも話さないからエラーでも起きたんじゃないかってくらい……私のこの変化についても一緒に解明してくれませんか?」
「わかった、早速今から解析しよう」
 オルトさんが私の手を引き、所長代理の部屋の奥へと引き込んだ。彼に関する研究データがたくさんあるのだそうだ。
 しかし私はヘルメットによる限定的な視界のせいで前後左右の間隔を完全に見失っており、歩き始めた途端にうっかり壁にぶつかってしまった。その拍子にヘルメットが転がり落ちる。
「大丈夫?」
 振り返ったオルトさんと目が合う。
「いたた……すみません、視界が悪くて。私、本当にだめですね」
 恥ずかしさと気まずさで照れ笑いすると、オルトさんから再びあのけたたましい警告音が聞こえてきた。心臓に悪すぎて思わず息を呑んでしまう。
「あぁっ、また……! 申し訳ありません、所長代理。昨日と同じ状態です。一体どうして……きっとこれは深刻なエラーです。早く謎を解明しないと」
 落ち込みそうになるが、そんな場合ではない。私は彼の友達になったのだ。自分が原因ならが、この現象を解明する責任がある。
 そんな私たちを見て、所長代理は呆れたように息を吐いた。
「謎でも何でもない……ただの恋じゃん」






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