汝を愛せよ



 私なんかが竈門君の連絡先をもらってしまった。アラサー女のこの私が、フレッシュな男子大学生の連絡先を。
まだ始業まで時間はあるし、と、もらった連絡先を登録するために早速メールアドレスを打ち込む。だけど、どうもおかしい。何か違和感がある。何だろう、と思いながら「登録完了」ボタンを押して、ようやく気付いた。
「今時、メールって……なんかもっと、ラインとかじゃないの……?」
 先日の夕方のニュースを思い出す。目を疑ったが、今時の若い子にはもうすでにラインすら古く、SNSのメッセージ機能でやり取りするのが主流らしいのだ。何でも、話題が途切れてしまった時とかに、投稿された内容をきっかけとして連絡を再開したり用事を切り出したりするらしいのだ。だからもしかしたら、それからさらに時代は進んで今時はむしろ再びメールが主流の時代が来ているのかもしれない。若い子の流行は移り変わりが激しいから。
 そんなことを考えながらコーヒーでも買おうと自販機に立ち寄る。私はこの自販機と連動するアプリで地道にポイントを貯めていた。何ポイントか貯まると一本無料でもらえるのだ。長年使っているスマホはアプリの起動すら遅く、まだかなぁと思いながら待っていたところ、足音が聞こえてきた。誰かが自販機を使うのだな、と思って顔を上げると、そこにいたのは人事部課長の「鬼の鬼舞辻」。別に何もしていないのに、ヤバい、と思いながら脇に避ける。アプリの起動を待つふりをして早く立ち去ってくれるのを待った。
「……何をしている」
 えっ、嘘! 私? 私に話しかけてる!? 何で!? パワハラされるの!?
 辺りを見回してみても誰もいない。やはり私に話しかけている。個人的に話すのなんて入社面接の時以来だから、無駄に緊張してしまう。
「あ、あの、ちょっと」
「何をしている」
 アプリの起動を待ってるんです、なんて言えない。ポイントを貯めるのが悪いことだとは思わないけど、何故か途端に恥ずかしくなってくる。しかし鬼舞辻課長は私をじっと見ていた。そんなに挙動不審だっただろうか。
「……この自販機で飲み物を買うと、アプリでポイントが貯まるんですよ。それで、今アプリを起動させてて」
「ふん」
 観念して言うと、鬼舞辻課長は嘲笑して自販機に向き直った。せっかく答えたのに何でこんな態度? 酷いよ。
 そんなことは勿論言えずに、私は平伏する勢いで言葉を発した。
「鬼舞辻課長はゆっくり選んでくださいね。私なんかいつでもいいんで」
「……なんだと? もう一度言ってみろ」
「ぅえっ!?」
 しまった、何か地雷踏んだ? 嘘、パワハラされちゃうじゃん。先週も会議で「私が言うことはすべて正しい」とか言ってたらしいじゃん。もう終わった、退職だ。せっかく転職してから今までうまくやれてたのに。あんなに高倍率の試験をかいくぐって入れたのに。
「もう一度言ってみろ」
「え、あの、す、すみません。許してください。何か私、気に障ることを」
「今、『私なんか』と言ったな?」
「あ、言いましたかね……」
 何でそこに引っ掛かってるの!? 私はじりじりと近寄ってくる鬼舞辻課長にたじろぎながら、気が付けば壁に追いやられていた。壁をドン、と叩かれる。マジか、憧れの壁ドン初体験はまさかの鬼舞辻課長か。
「貴様は我が人事部を愚弄しているのか?」
「ええっ!? 何でそうなるんですか!?」
 まさかの発言に私は思わず大声を上げた。
「貴様は常日頃から『私なんか』、『私ごとき』、『もうアラサーだから』と馬鹿の一つ覚えのようにグチグチと。慰めの言葉でも欲しているのか?」
 その言葉にグッと詰まる。そんなつもりは毛頭ない……と、果たしていえるだろうか。確かにそういった弱音や自虐の言葉を吐けば、大抵は「そんなことないよ」などの甘い言葉が返ってくる。正直に言おう、私はその甘い言葉に浸ることで微かな自尊心を満たしていた。鬼舞辻課長の言葉を面と向かって否定することはできない。
「我が人事部の目が節穴だとでも言いたいのか? 私は絶対に正しい。無能は決して雇わない。理解したら、自分を卑下するのを今すぐ止めろ。それともクビになりたいか?」
 そう言って私をひと睨みすると、鬼舞辻課長はコーヒーを買って立ち去った。
 あれが、鬼舞辻課長のパワハラ……! 噂のパワハラを初体験した私はへなへなとその場に座り込み、バクバクと鳴る胸に手を当てた。
 怖かった。鬼舞辻課長、なんて言ってた? 冷静に思い返してみる。「無能は雇わない」、「卑下するのをやめろ」。……あれ?
「鬼舞辻課長、結構いい人じゃない……?」
 いやそんなわけないよ。最後の一言なんか、もろにパワハラだし。だけどあそこまで自尊心の塊みたいな人に言い切られてしまえば、不思議と逆らう気持ちになんてなれない。
言われてみれば、確かに私は甘えていたと思う。自分で自分を諦めるふりをして、誰かが「そんなことないよ」と救い上げてくれるのを期待していた。そう考えると、今までの言動が恥ずかしくなってくる。
「よし!」
 私は勢いこんで自販機のボタンを押した。そこでハッとあることに気付く。
「あぁっ! 買っちゃった! ポイントが……」
 
 昼休みにも飲み物を買うついでに試してみたが、やはりアプリは起動してくれなかった。本格的にスマホの調子が悪いらしい。そろそろ買い替えようかな、と思いながらコンビニで買ってきたパスタを自席で一人食す。スマホをいじりながら他愛のないニュースをインプットする。今週の占いは、タップしようとしたけれどなんとなくやめてしまった。
「名前さん、回覧返します」
「あ……ありがとう、我妻くん」
 ビルの臨時休館案内の回覧を返しに来た我妻くんから不自然に目を逸らす。まさか、竈門君から何か聞いていたりして。
 そんな私の思いも知らず、我妻くんは私の机の上の缶コーヒーに注目して口を開いた。
「その缶コーヒー、今人気のやつですよね。パッケージが二十八種類あるとかで」
「そうなんだ。さすが営業だね、話題に事欠かないというか」
 何も知らない様子の我妻くんにホッとしながら言葉を返す。我妻くんはヘラッと笑った。
「いやぁ、それほどでも。俺、そこの自販機でポイント貯めてるんで、よく色んな柄が出るなぁって思ってて」
「私も貯めてるよ。でも、スマホが調子悪くてアプリがなかなか起動できなくて、二ポイントも損しちゃったよ」
「調子、悪いんですか? 買い換えた方がいいかもですねぇ」
「だよね」
 私がため息を吐くと、我妻くんは少しの沈黙の後に言った。
「スマホといえば、炭治郎なんですけど」
「か、竈門君? 何かな?」
 なぜスマホと言えば竈門君なのだろうか。本当は彼から何か聞いていて、切り出し方を探っていたのでは? 私は疑心暗鬼になって我妻くんを警戒する。
「あいつ、未だにガラケーなんですよね。スマホ買えって言ってるんですけど」
「ガラケー……そっか……」
 だから彼はラインでなくメールアドレスを教えてきたのだとようやく理解する。
「だから、もし名前さんがスマホ買い換えるなら、もし良ければ炭治郎も連れて行ってやってくださいよ。花火大会、一緒だったって聞いたし、仲良いんですよね?」
 私はぎょっとして我妻くんを見る。その表情からは何も読み取ることができない。
どっち? どっちだ。彼は何か知っているのか? 聞いているのか? 私を試しているのか? 愚弄しているのか? 混乱して、全然関係ない鬼舞辻課長の台詞までもが頭の中を横切る。
「私なんかが誘ったって……」
 私がそう呟くと、偶然なのだろうか、通りかかった鬼舞辻課長が私を睨んだ。内心悲鳴を上げながら、慌てて撤回する。
「そうだね、この私が誘ってみるよ!」
「炭治郎、きっと喜びますよ。あーあ、いいなぁ炭治郎は。名前さんと花火大会もデートも行けてさ」
 つい鬼舞辻課長を恐れて我妻くんに宣言してしまった。これでもし私が誘わなかったとしても、きっと我妻くんが「名前さん、炭治郎とスマホ買いに行きたがってたぞ」とか本人に言ってくれるなどの余計なおせっかいを焼いてくれるのだろう。そもそも、我妻くんはどこまで知っているのだろうか。
「我妻くんは……花火大会のこと、他に何か聞いた?」
 ドキドキしながら一言ずつ絞り出すように問う。数秒の後、
「さぁ?」
と我妻くんが意味深に微笑んで踵を返した。
 何、あの態度は? 知ってるの、どうなの? アラサー女が大学生に、なんてイタいやつだと思ってる?
――クビになりたいか?
 脳内で鬼舞辻課長が私を脅す。私は慌てて首を振った。アラサー女とか、もう自分で言わない!
 たぶん我妻くんは知っていたとしても言いふらすタイプじゃないと信じて、早速、今週末の予定を訊ねるメールを竈門君に打った。すぐに返信があり、「日曜は剣道部の用事がありますが、土曜なら大丈夫です」と、礼儀正しい文章が画面に躍る。返信を打とうとしたちょうどその時、義勇君からラインが入ったことをスマホが告げた。「土曜日、出かけないか」との素っ気ないラインは、この前のお詫びのつもりだろうか。
 これ、どうしよう。私はスマホを机に置いて、椅子にもたれて天井を見上げた。
「名前さん、どうしたんですか?」
 倉庫の鍵を借りに来た蜜璃ちゃんがニコニコしながら問う。その可愛らしさを眺めながら私は脳内で白旗を上げた。ちょっともう、一人じゃ限界かな。
「あのさ、今夜、時間ある?」
 相談したいんだけど、と自然に口から零した私に、蜜璃ちゃんは笑顔で頷いた。



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