『花は逞しく』



―彼女の涙を見たのは、それが初めてだった。





教室の花瓶の水を取り替えて、周りに付いた水滴をハンカチで拭き取る。一輪でも大きな存在感を放つその花を見つめて私は今日も制服のタイを結びなおした。

白く独特な香りを教室中に広げるユリの花。温かな日を十分に浴びて、凛と自分を持ち、堂々としている姿は彼女に似ていて。一輪で咲く花は、いつでも私の憧れだった。


長い髪の毛を風になびかせ彼女が廊下を歩いて行く。それを遠目で見つめるだけ。
そう、たったそれだけ。

「お、おはようございます」
「ごきげんよう」


優雅に紡がれた言葉は白く、どこまでも透き通っているようで。彼女がクラスメイトだなんて夢のまた夢を見ているような気分にさえ陥ることがある。
教師からも一目置かれる彼女のことを誰もが皆、羨ましいと思っていた。憧れていた。誇りに思っていた。ただ、その想い一つ一つが彼女の重圧になることも考えずに、口に出しては褒め称えた。

 「……羨ましい」

 ぽつり、口を出たのはそんな言葉だった。

 「なら、変わってみる?」

 そんな提案を持ちかけられた私は何も言葉が出てこない口をひたすらぱくぱく動かすことしか出来ずにいた。

 「私にはあなたの方がよっぽど羨ましいわ」
 「え……?」
 「尊敬の眼差しも、憧れを抱く感情も、誇らしげにする教師たちも全部いらない。」
 「……」
 「でも、あなたにはあげない。」

 きっとすぐに押しつぶされてしまうだけだから、と彼女は言った。
 冷たい目では無かった。自分に言い聞かせるように、悲しそうな微笑みを浮かべて。

 押しつぶされても尚、綺麗な状態を保てるのは押し花だけよ。人間はそうじゃない。


 「私は大丈夫だけれど」

 すました顔は颯爽と私の真横を通り過ぎた。髪の毛から香る、彼女の匂いが辺りを包む。



 “―私は、花。”


 その言葉に音は無かったけれど、確かに唇はそう伝えていた。



 完璧なんてもの、ない。
 私は人間であり、不完全だ。


 そして彼女もまた人間なのだ。







 ひらり。
 彼女の目から、花びらが落ちた。







 ( どこまでも白く 花は逞しく 少女は美しく )