短編集 | ナノ
1
≪唯希、今日俺んちに来て≫
「…」
≪唯希?≫
「……うん、行くよ」
携帯のディスプレイには“通話時間 10秒”と記されていた。珍しくあっちから電話が掛かってきたと思ったらそんなこと。だがそのそんなこと、がこの俺には重要だ。俺は大学を出て一度家に帰ってから風呂に入り、着替えて携帯と財布とハルの家の合鍵を持って家を出る。
ガチャ、と手馴れたように1人暮らしの家に使うには豪華すぎる扉を開けて玄関で靴を脱ぐときに見慣れたあのスニーカーを確認してからハルがいるであろう部屋は素通りしてリビングへ向かった。
「ハルー、入るよー」
勿論一声掛けるが返事は返ってこない。ハルが返事をしないのはいつものことだからもう慣れた。
「ぁあんっ、春哉ぁっ、そこ、イイ…ッ」
聴き慣れたこの声に、もう1人傷ついて隠れて泣くなんて真似ももうしない。
何回目、なんてどころじゃない。もう何十回もハルは浮気してる。俺がハルの浮気を咎める真似も、もうしない。アイツは同じ言葉を毎回繰り返して俺を抱いたその腕で他の男を抱くんだ。
俺は黒光りするソファに腰掛けテレビをつける。ボリュームを大音量にして。コンポもつけてこれもまたボリュームはMAXに。ハルに抱かれてる男の声なんて聞きたくない。
これだけうるさいんだ。ハルも俺が来たことぐらい分かってる筈。分かってる筈なのに部屋から出てこようとはしない。そしてまた「ごめん、もうしない。愛してる」って繰り返す。嘘吐け。その言葉を言う度、お前は後輩のあの男の子を抱くくせに。最近じゃあハルは俺と付き合ってるんじゃなくあの後輩の子と付き合ってるんじゃないだろうかって思えるようになってきた。いや、もうむしろそうだな。俺とハルの関係が浮気だったり。
ガチャ、
「あ、唯希、来てたんだ」
「唯希先輩、お邪魔してます」
どいつもこいつもわざとらしい。情事後を知らせる首元の赤い印を隠す事無く上半身裸で下はジーパンだけのハルは俺が座るソファの反対側に後輩の子と一緒に座る。後輩の子は後輩の子で顔を桃色にほんのり染めてハルの服を着てた。見せつけてんのかクソヤローどもめ。
「…じゃ、俺もう帰る」
「は?」
俺は立ち上がって、テレビも、もう必要ないからコンポも電源を消す。
金髪の肩に届く長い髪に、無駄のない筋肉。ハルは憎たらしい程美形だ。それこそ大学でイケメンといえば?と聞かれれば誰もがハルと答えるくらいに。そんなハルがアホ面晒して俺の左の手首を掴んだ。
「なんで帰んの。来たばっかじゃん」
「うん、来たばっか。でも帰る」
「なんで」
「ハルには関係ない」
パシ、と俺は荒くハルの手を振り解いた。不機嫌そうなハルの前に、俺はテーブルの上にハルの家の合鍵を投げ捨てた。お揃いでつけた鈴のキーホルダーが虚しくリンと鳴った。
「ばいばい」
俺は笑ってハルの家を出て行った。追いかけてきてくれる、なんて希望ももう捨てた。ハルはそんな真似しない。来るもの拒まず去るもの追わず、な奴だ。
もう、我慢できなかったんだ。情事後のアイツと、他の男の姿を見るなんて。悪びれもなく俺の前で笑えるハルに腹が立つ。ハルのことが、世界で一番大好きな自分に最も腹が立つけど。
ガチャン、無機質に虚しく閉まる玄関の扉を背に、これで終わりなんだ。と泣いてる自分がいた。
end.
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