雪子は花の絵を描くのが好きだ。幼いころサクラソウの伝説を聞いてから、花一つ一つの持つ魅力の虜になった。美術部員
やイラストレーターを目指している人には遠く及ばないけれど、少しずつクロッキー帳に書き溜めていた。その絵をカレンやみよ
は可愛い、センスが良いと褒めてくれるがそう大した物ではないのはよく分かっている。
 きょうも中庭の一番端のベンチで、咲いたばかりのちいさな白い花を描いていた。草むらにそっと咲き、初夏の日差しを受け
て輝く姿を丁寧に写し取っているうちに、意識は花と帳面のみに収縮していく。
 ふっ、と影が差し視界が曇ったので、驚いて顔を上げると、黒い雲がわいて雨の訪れを告げていた。あわてて道具を仕舞おう
とすると、肘が何かに当たった。
「…紺野先輩?」
 いつの間にか、雪子が座っているベンチの端で紺野が眠っていた。
 あまりに急な出現に鼓動が跳ね上がる。描くことに集中しすぎてみよを完全に意識の外に出してしまい、怒られたことは
何度もあるが、まさか紺野を無視してしまうとはと己の癖に青ざめた。
 長躯を投げ出すように腰掛けた紺野は、眼鏡も外さず、すうすうと穏やかな寝息を立てている。以前にも早朝の生徒会室で
こんなふうに眠っている紺野を見たなと思い、つい笑みがこぼれる。普段は気を張っている紺野の無防備な顔がもっと見たくて、
雪子は立ち上がり正面から男の顔を覗き込む。
 タイミングを見計らったかのように、ぽつりと大粒の雨が今野の頬に落ちた。
「冷た…あ、あれ」
 ずれた眼鏡で寝ぼけた頭でも、至近距離に迫った愛しい後輩の顔が真っ赤に染まる様子が紺野にははっきり分かった。
 逃げようとする雪子の腰を寸での差で捕まえ、引き寄せる。
「紺野先輩!寝ぼけてるんでしょう、離してください」
「ん、ここは?」
「中庭です!」
 耳まで真っ赤にして、目をそらしながら雪子は叫ぶ。しかしそれを構うことない男の腕は緩まず、薄い夏服の生地越しに体温が触れ合う。
「雪子さん」
 向かい合うように紺野の膝上にとらわれた哀れな小鹿が、これ以上ない甘い表情と声で名前を呼ばれ羞恥の限界に達しそうになった時、
ぼとぼとと大粒の雨が天から落ちてきた。
「うわ、これはいけない」
 ざあざあと容赦なく降り注ぐ雨に、意識がはっきりしたのだろう、先ほどの甘ったるい表情はどこへやら、と言った様子で男は立ち上がる。
クロッキー帳と筆箱を抱き込むようにした雪子の手を引き紺野は校舎まで走った。
 寝ぼけた紺野は危険だ、と雪子が身に染みて感じた夏の午後だった。


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