不二山誕生日

 その騒動の発端は、夏休みの終わりに新名から届いたメールだった。
 宿題の助けを請う友人とメールを交わしていた最中に受信したので、なんだろうと深雪は不思議に思った。彼
は宿題を写される側のはずだ。
 件名は、嵐さんの誕生日について。プレゼントについてまだ悩んでいる途中だった深雪はすぐに返信をした。
 今年は柔道部後輩一同ということで贈り物を準備するので、深雪さんが考えているものと被らないかどうかの
確認をしたい、との内容に後輩の気遣いを感じ嬉しくなる。具体的な内容となるとメールではまどろっこしくな
り、電話で相談することになった。
「深雪サン!」
「新名君、メールありがとう」
 いーえドウイタシマシテ、と悪戯っぽく答える後輩にクスリと笑う。
「えーと、俺ら的には、嵐さんのスポーツバッグボロボロだから新しいのあげよっかな、って感じなんスけど」
「あ、私もバッグにしようかなとちょっと思ってた」
 あっちゃー、と言う声が聞こえる。しかし、バッグで本決まりと言うわけではなかったので、深雪は慌ててフ
ォローをする。
「ううん、いいのよ。皆でお金集めて買うんでしょう。それなりのものが買えるからそっちのほうが良いのかも」
「まあ一応、結構良い物選ぶつもりッスけど…」
「他のもの何か考えるよ、でも結構難しいなぁ」
「そうっすよねぇ…、嵐さんあんま物欲無いっつーか、実用主義っスからね」
 新しいトレーニングウェア等スポーツ用品や、やわらかなぬいぐるみやクッション。去年と一昨年にあげたも
の以上の案は中々出てこない。
「ムズい…、やっぱ嵐さんは手ごわい!」
「そうねぇ」
 暫く唸り、なんとなく夏休みの出来事をお互い面白おかしく話していると、不意に新名の脳内に少しの悪意を
織り交ぜた案が浮かぶ。
 合宿での雰囲気からすると、間違いなく上級生二人はお付き合いをしている。いや本人らはお付き合いをして
いる意識は無くとも、相思相愛でそれが通じ合っていることは確かだった。
「深雪さんだったらモノじゃなくてもいいんじゃね」
「へ、どういうこと?ああ、お弁当とかかぁ…」
「いや、チガウチガウ、や、それもあるけど」
 新名が面白がっているらしい雰囲気が伝わってくる。しかし誕生日まで二週間を切りそうな今、アドバイスは
欲しかった。
「あのさ、たまには思いっきりいちゃいちゃしてみたら?」
「えっ?」
「柔道部夫婦っても、アンタら実はそんなに一緒に居ないし?フツーに付き合ってるみたいに朝から!晩まで!
べたべたしてみたらどーかなって」
 そんな事を言われても、と自室で一人真っ赤になる。
「それ、あの、プレゼントになるの?嵐くん嫌がりそう…」
「そこで、私達そんなんじゃないのよーって否定しないんだ?」
 誘導尋問に嵌ったこと気付き、黙り込んでしまう。面と向かって話していたら、たぶん逃げていた。
「そんなん嵐さんも喜ぶに決まってんじゃん!なんなら俺プロデュースってことで切り込んでみる?」
「う…ぅ」
 変な方向に回り始めた話に戸惑う気持ちと、正直ちょっと計画に魅かれる心が入り乱れる。
「迷ってるねー、迷ってるなら俺、嵐さんにメールしちゃうよ?」
 そこで深雪は返事をしなかった、成り行きに任せようとあきらめたのだ。
 その後新名が何をどう言い含めたのかは知らないが、嵐は計画に了解したらしい。新学期が始まってすぐ、三
年生二人はバースデイ計画表とやらを手渡された。
 柔道部一年二年プロデュースと銘打たれたそれは、読み進めるうちに深雪が頭から湯気を出すような内容だっ
た。所々にミッションとやらが書いてあり、それをクリアすべし!とポップに大書きしてあった。
「ちょっと、これ…。皆ホントにこんなことしてるの?」
「何言ってんですかセンパイ、フツーですって!」
 一年の後輩マネージャーが思い切り肯定すると、新名だけではなく他の部員も首を縦に振る。
「嵐さん、どうッスか」
「よくわかんねーけど、やれっつーんならやる」
「嵐くん!」
 朴念仁ぶりに涙が出そうになる深雪を慰めるものは誰もいなかった。

 朝、深雪はかなり早めに目を覚ました。部屋のカレンダーに斜線を引いていったので、今日が間違いなく九月
八日だということがすぐに分かり、顔を抑えて頭を振った。しかし今更足掻いても仕様が無いし、お弁当を嵐の
分まで作り、彼が迎えに来るまでに用意を整えなければならない。
 今までも何回か彼や柔道部のために弁当を作ったことがあったので、前日に作り置いた分を上手く利用し、そ
れでも実質彼にあげる唯一のモノになるので、きれいにボリュームたっぷり好物多めを心がける。
 テーブルの上に置いていた携帯電話が震え、嵐からのメール着信を伝えた。朝早いので、家のチャイムを鳴ら
すのはどうかと思った、との文面が彼らしい。
「はよ」
「おはよ」
 深雪の家の前で自転車を停め、背を伸ばして立っている彼に深々と頭を下げる。
「えと、お誕生日、おめでとう。それと今日はよろしくおねがいします」
「…そんなに緊張すっか?」
 ほんの少し拗ねたように見上げてくる嵐に、少し慌ててしまう。
「や、そ、そんなんじゃなくて、う…」
「嫌なら別に止めてもいいんだぞ」
 意地悪な顔をして笑う彼が憎らしい。しかし深雪だってまんざらではないのだ、覚悟を決めて自分から嵐の手
を握る。
「もう、意地悪言わないで!」
 そういって目線を合わせると、嵐は少し吹き出した後強く手を握り返してくれた。
 自転車の荷台に横座りし、青年腰に手を回す。規則正しい呼吸と、よく鍛えられた筋肉の動きがじかに伝わっ
てくるのが心地よかった。

 朝一緒に登校すること、それが何の得になるのか嵐には分からなかったが実際やってみると結構良い物だと思
った。朝一番の彼女を見れること。すがり付いてくる腕の感触。誕生日であろうが何だろうが普段となんら変わ
らないはずの朝の景色がやけにきれいに見えた。

 何時もは歩く道を自転車で通ると存外早く学校に着き、深雪は少しがっかりしてしまった。人が少ないからと
部室の前まで自転車で乗りつける。
「ありがと」
「おう。さ、朝練だ朝練」
 部室の鍵を開け、窓を開けて換気する。ジョギングは人がそろってからやる約束なので、ストレッチを行うこ
とになる。
「ねえ嵐くん、今日は私がやってあげる」
「お、おう」
 母親を相手に練習したストレッチ介助法を試す。二人でストレッチをすること、これもミッションの一つだっ
た。
「ヘタだと思うから、やだったら言ってね?」
 ぐったり寝てもらい、じっくりと首や足をやわらげる。

 何時もは一人でやってほんの少し背中を押してもらう程度なのだが、今日は深雪が体の動きを支配している。
真剣に勉強してきたらしく、心地よく筋肉が伸びるのを感じるのだがそれ以上に触れ合う体が嬉しかった。
 一生懸命なあまり、彼女は太股や胸が触れるのを全く気にしていない。
「痛くなあい?」
「大丈夫だ」
 実際は性的な方面であまり大丈夫ではない。
「よし、おわりっ!はぁ…」
 意外と疲れるねえ、と言う深雪に手を伸ばして抱き締めようとした時、外からがやがやと他の部員の声が聞こ
えた。
「はよざいまーす」
「ざーっす」
 おはよう!と明るく返事をして、本格的な部活の始まりのために準備を始めた彼女を捕まえられず、嵐の手は
空を切った。

「ちゃんと守ってくださいよぉ」
「まさか反故にはしないっスよね」
 ニタニタしながら見送る後輩に、深雪は溜息をつく。運がいいのか悪いのか丁度隣同士の席だからと、授業中
に手を繋ぐ、なんて無茶な命令を出された。誰も見張ってないのだから無視してもいいのだけれど、嵐の性格上
律儀に仕掛けてくるだろう。
 じりじりと過ぎる授業に、深雪は泣きそうになる。一時限は氷室の数学だから、特に何も出来ないはず、何か
あるなら二時限か三時限だ。そう思っても何時繋ぐか等全く相談していないので、気が抜けずふわふわしてしま
う。
 結局、三時限目にはかなり精神力を消耗してしまい、早起きもあいまって眠気が深雪を襲った。

 こくり、こくりと船をこぐ彼女は珍しい。普段はとても真面目で居眠りなどしないから、このまま放っておけ
ば寝顔が拝めると思い嵐は伸ばしかけていた手を引っ込めた。
 やがて、すう、と眠ってしまった顔は想像以上に可愛かった。肘をついてその上に顔を乗せ、穏やかな呼吸を
繰り返している。
 二人の席は後ろの方で、更に今はそれほど差し迫った授業ではないから教師も気付かないだろう。しばらく、
その様子を楽しむことにした。

 授業終了の鐘で、深雪は目を覚ました。
「へっ?授業は?」
「さっき終わったぞ」
 笑いながら言う嵐と、ばちりと目が合う。
「お前の寝顔、イイな」
「へ、ふぇ、や、やだぁ…」
 頬が熱くなる。そんなの見ないで欲しい。
「次、大迫先生の現国だから漢字テストだろ」
「うー、もうやだぁ、絶対頭入らない!」
 いやいやするように頭を振る。恥ずかしすぎる。頭の熱を冷まさないと、授業どころではない。
 こらぁ、おまえら授業始まってるぞぉ!と威勢のいい声が廊下で聞こえる。
「ああもう先生来ちゃった、再テストになった嵐君のせいだからね!」
 そう言っても、フッと笑われただけだった。

 結局、手をつないだのはお弁当を食べ終わった後の五時限目だった。二時間視聴覚室を使い映画を見る特別授
業で、普段は友人らと一緒に座るところを二人で後ろの方の席に座り、寄り添う。
 映画館でもしたことがないのに、手をしっかりと握ってもたれかかってくる深雪に驚きながらも、やわらかな
体温に幸福を感じる。
 ドキュメンタリ映画はそれなりに面白く、生徒達は大体起きている。その中で、二人恋人のような振る舞いを
することに、さすがの嵐も少し照れた。指を組み合わせるようにぎゅうっと握ってくる手や、ことりと肩に落と
されるちいさな頭、そこから伝わる呼吸や鼓動に意識が向いてしまう。
「あらしくん、ごめんなさい、ねむいの…」
「うん」
「えいが、かんそうぶん…」
「うん、分かった」
 恐らく感想を書けといわれるだろうから、それに対する適当な文章を考えておけばいい。大体の趣旨が分かっ
たところで、寝息につられるように嵐も眠ってしまった。

 授業さえ終わってしまえば、何時もどおりだった。部活をやっている限りは夫婦並みなのだ。
「手ェ繋ぎました?」
「おう」
「…、やっぱ嵐さんには勝てねー」
 少しは照れると思ったのだろう、がっかりしながら新名は深雪へと矛先を変えた。
「いつどんな風に?」
「新名君のばか!」
 ぼんと赤くなる深雪に、驚いたように新名は目を丸くした。
「何があったんスか?へ?」
「教えない!」
 あの後目を覚まし、同じように後ろの方でいちゃついていたカップルの様子を見た深雪は死ぬほど恥ずかしく
なったのだ。あんな事、私もしてるんだ!恥ずかしい恥ずかしい!と硬直していると、深雪が目覚めた事に気づ
いた嵐が、まぶたに口づけたのだ。
「ちょっと腫れてる。お前、今日よく寝るな」
 恐らく握られている手が使えないから、それだけの理由でそうしたのだろう。
 理由は分かっていても、頭が真っ白になった。

 バッグやプロテインなど結構なプレゼントを部活の終わりに後輩から手渡された。正直あまり誕生日にこだわ
りの無い嵐は驚き、それでも素直に好意を受け取った。
「ありがとな、すげぇ嬉しい」
 素直に笑うと、後輩達も笑顔になった。一人で禁欲的に鍛錬する方が良いかもしれないと思った時期もあった
が、こうしていると部活を率いてきて良かったと心から思えた。
「帰りも一緒ッすよー」
「分かってる」
 最後まで念押しを忘れない後輩たちと別れ、普段は通学に使わない自転車の前で、少し逡巡する。
 深雪の家までは約十分、少し、短い。
「歩いて帰るぞ」
「へ、自転車は?」
 きょとんとする彼女の手を握り、ゆっくりと歩き出す。え、ええ、と言いながらも握り返してくれる手のひら
が嬉しい。
 柔道部は下校時刻ぎりぎりまで活動する為、すでに日は落ちてしまっていて、生徒もまばらにしか居ない。海
のにおいが強くなりざあと言う波の音が聞こえるようになると、周囲は既に無人で、街灯の光がアスファルトに二
人きりの影を長く作った。
「あの、嵐くん」
 会話は途切れたが、それでも沈黙を不快に思うことなく歩いていた嵐は歩みを止める。
「なんだ」
 促しても、暫く深雪は言い出せないようだった。もうすぐ、一つカーブを曲がれば彼女の家は見えてくる。そ
の間に言い出せそうもない雰囲気に、嵐は彼女を砂浜へ引っ張る。
 少し前までは沢山の人々で賑わった浜辺も、九月に入ると人気が無くなり静かになっていた。
 ざく、ざく、と波打ち際まで歩く。

 寄せては返す波を何度も目で追った後、深雪は口を開いた。
「あのね、ホントにこれでよかったの?」
「何がだ」
 後輩達の言うとおりに一日を過ごしてみて、うれしかったのは自分だけのような気がしたのだ。学校で寝るこ
となんてほとんど無いのに二回も眠ってしまったし、どきどきして落ち着かないのとその期待が叶えられる喜び
を何度も味わった。
 お弁当だって五分もせずに平らげられてしまって、果たして本当に美味しかったのかどうかも不明のままだ。
「私ばっかり楽しくて…、何か用意したほうが良かったね…」
 そう言うと、嵐は何か考える様に眉間にしわを寄せた後、意を決したようにぎゅっと深雪を抱き締めてくれた。
「俺も凄い良かった。楽しかった」
 真っ直ぐな言葉と、押し付けられた硬い胸の感触に猛烈に照れてしまう。しかし、とても嬉しい。
「お前に一番最初におめでとうって言ってもらえたし、弁当うまかった。あと寝顔可愛かった」
「うん」
 なぜか泣きそうになる。それをごまかそうと深雪も青年の背中に手を伸ばした。
「なあ、一つだけ足んねー」
「なあに」
 耳元でねだられ、深雪は戸惑うことなくそれを叶えるため、背伸びして唇を重ねた。



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