おねえちゃんが思うほど彼女は弱くない

「コウ!」
 呼ばれて振り返ると、バイクにまたがった雪隆が手を振っていた。
「らっしゃーせえー」
 ニコニコしながらわざわざこちらへバイクを走らせてくる彼に、少しいらつく。コウのように無免ではなくき
ちんと高校二年の春休みに二輪免許を取った雪隆は、アルバイトで溜めた金をはたいて単車を買った。
「コウのSR400にはついてけないかもなあ」
 なんて言いながら迷った青年は、ホンダのVTRを買った。そしてスタリオンの店長づてにバイクを購入したか
らと言い、給油は必ずここに訪れる。
 その度に言うのだ。
「コウ、やっぱり女の子の制服着ないの?」
「満タンでよろしーっすかー」
 聞いてよー、と呼ぶ声も無視する。着るわけがない。身長と外見にコンプレックスは無く、ただ似合わない上
に趣味に合わないのが嫌なのだ。
「いや、ツナギも十分ぐっと来るんだけど、やっぱりねえ」
「そうか、雪隆君もそう思うか。桜井君用にTLサイズ用意したんだけとねえ」
 まだぐずぐずと店長と話し込んでいる。
 大体スカートなら制服で見慣れているだろうが、と思う。自分ではさっぱり分からないが、たまにバイク雑誌
からモデルを頼まれるのでそれほど悪い容姿はしていないだろうと思う。大体水着にライダースーツと言う格好
でバイク雑誌に出たコウを見て、興奮していたのはどこの誰だと心中毒づく。
「ユキ!」
「はぁい」
 店長に手を振り、給油の終わったバイクの元へ戻ってくる彼は尻尾を振る犬のようだ。
「今日は何時上がり?」
「すぐ終わる。けど今日は琉夏に飯を作るから、直で帰る」
「じゃあウエストビーチまで送るよ、待ってる」
 そのままスタンドの端までバイクを押して行き、又店長と話し出す。
 雪隆と話していると調子が狂う。弟のように、兄のように、…恋人のように変幻自在に接してくるのが計算で
はないというから恐ろしい。180センチに届こうかというコウより、少し高い身長と大分広い肩幅。それでも威
圧感が無いのは、やさしげな瞳のせいだろうか。同級の花椿がバンビと言い始めた時はみな驚いたものだったが、
暫くすると違和感無くその愛称が似合ってしまった、そんな男。
 あの気難しい琉夏も、お兄ちゃんが帰ってきたと異様に懐いている。ウエストビーチで三人雑魚寝をしたこと
も信じられないが何回もある。なにより、分け隔ての無い性格が受けているのだろう。
 正直、こんなに女の子扱いされたのは初めてだ。小学生時分から、琉夏を守るために体を張った。中学に入る
と、放っておくと行方不明になる妹をギリギリのところで守るため、バイクで駆け回った。バイクスーツにヘル
メットでかなり危険な運転をするコウが女だと気付いた奴は少ないだろう。体格と恵まれた筋力に任せて警棒を
振るえば、その辺の男には負けなかった。学校でも殆どジャージで、机に足を乗せて後ろの席でぼうっとしてい
るだけだった。なにも、楽しいことなど無かった。

 琉夏を放っておけない一心ではば学に滑り込み、入学式はかったるいからサボろうと言ったコウに妹は含み笑
いを見せた。
「お兄ちゃんが帰ってきたんだよ」
「はぁ?」
 お兄ちゃん。懐かしい響きだった。幼い頃の一時、一緒に遊んでいた男の子のことを、妹は確かそう呼んでい
た。
 通う幼稚園は違ったが、家が近いということでコウはちょくちょくその子と遊んでいた。琉夏が越してきて、
どう接したらいいかわからずに戸惑うコウの手を引いてくれたことも思い出す。
「僕がるぅちゃんのお兄ちゃんで、コウはるぅちゃんのおねえちゃんなんだよ」
 それから、琉夏はびっくりするくらい元気になりコウと少年と一緒に外を駆け回れるほどになったのだ。

 入学式当日、琉夏に促されるままに彼の家まで歩く。すると、思い出の中の少年がそのまま大きくなったよう
な青年がやんちゃな笑みを浮かべていた。
「ああ、るぅちゃんにコウかぁ。美人になったなあ、オレ何も変わってないでしょ?」
「美人?」
 言われ慣れている琉夏は動じていないが、コウは少し動揺した。
 中学まで伸ばしっぱなしでセミロングほどになっていた髪をざっくり切り、適当に収まるようにワックスで撫
で付けている。はなっからジャージはさすがに不味いかと思い、今日は制服を着ている。膝上丈のスカートなど穿き
つけないので、春だがタイツを穿いていた。はば学の制服は実際着てみるとあまり違和感は無く、基本がブ
レザーとワイシャツなので高校はずっと制服でも良いかもしれないとも思っていた。
「そーだよ、るぅちゃんは相変わらず天使みたいだし、コウは洋雑誌のモデルみたいだ」
 なんのてらいも無くそう答える雪隆に、ほんの少し照れてしまう。
「あ、コウが照れてる」
「照れてねぇよ!」
 聡い妹につつかれると余計意識してしまう。
 るぅのお兄ちゃんとお姉ちゃん。
 不意に昔の言葉が蘇る。そうやって高校生活を送れるのなら、あの頃のように毎日が光り輝くのだろう、そん
な予感がする。

 その後雪隆は、クラスメイトに誘われて柔道部立ち上げを達成し、毎日楽しそうに部活と宅配補助のバイトを
両立している。マネージャーと良い雰囲気になるかと思いきや、立ち上げメンバーの片割れである友人の方と夫
婦状態らしく何度かぶちぶちと愚痴を聞いた。
 コウも琉夏も、家から一時離れ二人暮らしを始めた為、暇な時間も無いほどアルバイトに明け暮れた。それで
も、よく三人で出かけて遊んだしウエストビーチで晩飯を食べたりと、楽しく日々が過ぎていった。
 高校一年の夏が終わるまでは発作のように問題を起こしていた琉夏も、コウと雪隆が二人でとりなすうちにど
うやら何かを乗り越えたらしく、最近では殆ど穏やかに過ごしている。
 お兄ちゃん、と人目も憚らず抱きつく様子はどこか微笑ましく、男女問わず嫉妬より羨望の目線を集めていた。
 そうなのだ、精悍で頼りがいのある雪隆は人気がある。モデルのバイト関係で仲良くなった花椿によると、ダ
ンナにしたい男ナンバーワンだということだった。
 はやく琉夏と雪隆がくっ付けば良い、最近はずっとそう思っている。

「コーウ?」
「―っ!んだよ、驚かせんな」
 考え事をしながらも高級外車の拭き上げを黙々とこなしていたコウの真後ろで、雪隆は拗ねたように立ってい
る。
「もう勤務時間とっくに終わってる」
 振り返り事務所の時計を確認すると、確かに二十分ほど過ぎていた。
「あ、ワリィ。コレ終わったら上がるから」
「うん、るぅちゃんもお腹減ったー!って待ってるよ」
 無駄に上手い物真似に吹き出してしまう。そうだ、スーパーに寄ってさっさと帰らければならない。
「つかれっしたー!」
「お疲れ様ー」
 他のバイトの返事を背に着替えて事務所を出ると、雪隆が女性に絡まれているのが見えた。適当に愛想をうっ
ているようだったが、三十代頃の派手な美女はしつこく巧みに気を惹こうとしているようだった。
「なぁやめろよ、コイツ彼女いんだ」
 ぐい、と割り込むように身を差し入れ、思い切り見下す。
「なぁに?だから何なのぉ?」
 甘えたような声で媚びる女に心底うんざりする。携帯を手早く操作して、つい先日撮った琉夏と雪隆のツーシ
ョットを女の眼前に突きつける。
「ほれ、オメェなんざお呼びじゃねぇんだよ」
「…わかったわよぉ」
 やはり、妹の非人間的な美しさは絶大な威力を発揮する。ほんの少し動揺を見せたあと、女は先程コウが磨き
上げた外車へと乗り込んだ。
「あー、あんな奴があのクルマ乗ってんのかよ勿体ねぇ」
 ま、しゃあねぇか、と雪隆のほうに向き直り帰ろうぜと声をかけた。が、彼は不機嫌そうに腕を組んでいた。
「んだよ、あの女とヤりたかったならそう言えよ」
「違う、帰るぞ」
 ヘルメットを渡した彼は、さっさとバイクにまたがりエンジンをかける。琉夏が使った後なのだろう、少しあ
ご紐を調整してメットを被る。フルフェイスではないそれにはあまり馴れない。
 そのままスーパーに寄って、手早く買い物をする。米と味噌はあったから飢え死にすることは無いだろう、と
見切りで安くなっている魚や野菜を適当に購入する。ビール、は給料日までお預けだ。
 コウの顔見知りであるパートのおばさんが幾つか特売を教えてくれ、それも物色する。
「何時見ても思うけど、買い物してるときだけ完全に主婦だよなお前」
「仕方ねぇじゃねぇか、カッコつけて腹が膨れるならそうしてぇよ」
 ぎろっ、と睨む。荷物持ちはいらないから外で待ってろ、といわれたが雪隆はついてきた。
 やはり年頃の娘二人暮らしはあまり許したくないのだろう。飛び出した琉夏を捕まえ、何とか二人暮らしに漕
ぎ着けたコウに親が望んだことは、出来るだけまともなご飯を食べることと、清潔にすること、セキュリティは
しっかりすることの三点だった。
 おかげで鍵はピッキング対策済みのものが二つ付いているし、最低限の援助ということで風呂トイレはしっか
りしたものがそっと備えられた。
「いーんだよ、飯作んの嫌いじゃねーし」
「そ」
 レジもまたコウと顔見知りのおばさんで、彼女は珍しげに雪隆を見つめた。
「あ、コイツルカの彼氏」
「アラヤダっ、コウちゃんの彼氏かと思っちゃった、かっこいいわねぇー」
 ころころ笑いながらも、おばさんはすばやい手つきでレジ清算を進めていく。
「ほぉんと、おばさんも十歳若かったらオツキアイしたいわぁ
「十歳ッスか?」
「アラヤダ!コウちゃんきびしいわねえー」
 学校やバイト先ではあまり見ない笑顔で、コウは会話をする。元々は優しく義理堅い彼女は、今の顔が素なの
だろうと思う。
「うっし、コレで二千円内なら上等上等」
 抜かりなく黒地に銀のスカル模様が入ったマイバッグに商品を詰め、雪隆を促す。
 肩にバッグを掛け、上手い具合に後部座席にコウは収まる。殆ど運転する男にはしがみ付かずに上手いこと体
重移動出来るのはさすがだと思う、
 バイクはウエストビーチの手前で海岸に降りる道に逸れ、暫く走った後停車した。
「なにしてんだオイ、魚が痛むじゃねぇか」
「何でオレがるぅちゃんの彼氏なんだ?」
 バイクのスタンドを立て、ヘルメットを脱いだ雪隆は怒っていた。二人は夜の海岸で対峙する。
「んだよ、マジになんなって。あーアレだ、ホウベン?って奴だ」
「じゃあ、コウでも良いじゃないか」
 はぁ?と心底分からないといった風にコウは目の前の青年を睨みつける。
「ルカで不満ならお前誰とも付き合えねーぞ」
「そういう意味じゃない」
 日はとっくに暮れていて、道路を照らす街灯だけが照明だ。闇は存外に深く雪隆の表情は読めない。
「今度の日曜、空いてるよな。柔道部で遊園地に行くからお前も来い」
「そういうのはルカの方が喜ぶだろ?あ、あいつバイトだったかァ」
 急にぐっと腕を掴まれる。二年前の記憶が蘇り反射的に腰を捻って彼を蹴り上げようとするが、毎日柔道で鍛
えている青年に掴まれた状態で抵抗できるわけが無かった。ここで喚けば負けだと思い、引き寄せられる身体に
力を込め顎と喉どちらを攻めようかと瞬時に判断する。喉だ。喉輪をかまして首を絞めればとりあえず逃げるこ
とは出来るだろう。
 目をぎらつかせて臨戦態勢に入るコウを雪隆は抱き締めた。
「なっ…」
「オレはコウのことが好きなのに」
「だめだ!」
 だめだ、それだけはだめだ。もし琉夏と雪隆が上手くいかなかった場合でも、他人ならまだしもコウがそこに
割り入ることはできない。それは幸せな結末ではない。背に回った腕から逃げ、後ろに跳び退る。
「なんでそんなに嫌がるんだ、俺のことが嫌いか」
「ああ、そんな事を言うオメェは嫌いだな」
 すっと気持ちが冷める。ここで激昂してはいけない、蓋をして誰も傷つかないように事を収めるのだ。
「わかった、でも日曜は来いよ。つーか、迎えに行くから」
「メンドクセェな…」
 無言でバイクのキーを回し、コウを促すこともせずに雪隆はエンジンをふかす。
「いーぜ別に、ここからなら歩いて帰れるからオメェは先行ってろ」
 首を振り、青年は去っていった。
 じゃりじゃりと砂を踏みながら、先ほどの告白を反芻する。余りにも唐突過ぎて、現実味が湧かないというの
が一番だった。
 冷静になった今、じわりと嬉しさがこみ上げてくる。
 綺麗だと褒めてくれる、話が合う、幼い頃からコウを助けくれる、一緒にいて穏やかな気持ちになれる。いく
らでも好きになる理由は浮かんでくるが、ずっとそれをねじ伏せていた。
 琉夏はずっと人間関係に悩んでいた。今は大分ましになったが、それでもやっかみと僻みが常に付きまとう。
男はまず下心を抱き、女の半数以上は嫉妬で心をゆがめる。美人過ぎる上に崩れた雰囲気があるとどうしてもそ
うなってしまうのだ。
 コウだけはそんな醜い感情とは別次元で、琉夏の傍にいてやらないといけないのだ。もう少しでその役目が要
らなくなりそうな時期に、雪隆を独占するような真似は絶対に出来ない。
「魚痛んでたら、アイツに食わせるかァ」
 気持ちを切り替えて、足早に歩き始める。
 今日は焼き魚と大根の味噌汁に飯と漬物だと献立を決める。こうやって目先のことだけを考えて、このぬるい
幸せを出来るだけ長く続けようとコウはため息を吐いた。

 女の子コウが想像しにくい方はAgyness Deyn的なイメージで読んで頂ければいいかも。



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