ビッチな天使ちゃん

 熱で朦朧とする中、つんざくような音と凄まじい衝撃を感じた。縦に横に揺さぶられどれだけ恐怖に耐えただ
ろう、いつもは守ってくれる母親は前の座席に座っているし、父親は車を運転している。
 こわい、いたい、たすけて。
 かすれる声で何度も繰り返すが、熱のせいで体は動かず、ひときわ大きな振動の後止まった車の中で震えてい
た。
 どれだけ時間が過ぎたのだろう。動くもののない車内で、どうにかしなければならないと幼いながらに感じた
琉夏は、何とか体を動かして運転席と助手席の間から顔を出した。
 そこにいつもの両親はいなかった。

「――っ!」
 がばっ、と琉夏はベッドから半身を起こした。心中に染み渡る恐怖と不安に震えが止まらず、頬に溢れる涙は
後から後から湧いてくる。
 おぞましい夢。夢ではない、かつてあった記憶。中学に上がる頃には見なくなったはずなのに、何故今更目の
前に突きつけるように鮮明に蘇るのか。
「るぅ…?」
 一緒に眠っていた雪隆が目覚めて、琉夏の様子を伺っている。
 今日はアルバイト帰りに彼が迎えに来て、ウエストビーチで晩御飯を食べた。サッカー部で青春してるく
せに、琉夏やコウとも分け隔てなく付き合うし、ノリもいい。なによりとてもやさしい。
 しかし、悪夢の原因は雪隆のせいだ。
 今日だって琉夏が甘えたらセックスもせずに一緒に眠ってくれたし、ベッドの中で琉夏が飽きるまで抱き締め
てくれた。

 壊れるような物にもう手は出さないと決めたはずだった。やさしくて大好きで守ってくれて安心できる人でも、
ちょっとしたことでただの肉塊になって琉夏を置いていってしまう。もう傷つきたくない。
 だからコウも桜井の両親も琉夏を大事にしてくれるのに、失うのがいやでその愛情を受け止められずにいる。
愛情と安心を心から欲しているのに、いざ差し出されると受け取れない。なんてワガママなんだろうと自分がい
やになる。
 足りない愛情は、失っても惜しくないまったくの他人に求めた。上っ面のあたたかさを繋いでいたら、いつの
間にか桜井琉夏はビッチだという噂が立ってあっという間に広まった。あまりに口さがない噂に激怒したコウが
噂を立てた奴等をバイクで轢いたときも、琉夏は何も感じなかった。
 誰かやってる最中にでも首を絞めて殺してくれないかといつも思っていた。もろい人間の体はほんの少しの力
で壊れてしまうから簡単に死ねるのに、琉夏は結局死ぬことが出来なかった。
 はばたき高校に入学しようと思ったのも、どうしようもないマンネリから抜け出そうと思ったからだった。自
慢ではないが、机にかじりつかずとも勉強は出来たからただの選択でしかなかった。ただ、コウまでがんばって
入学してきたのは驚いたが。
 だが、彼と出会ってしまった。
 桜井の家からウエストビーチに逃げ出しまっとうなアルバイトを始めることができた達成感で、普段は訪れな
い思い出の場所へ足が向いた。
 はばたき高校の小さな教会。どこぞの外国からそのまま移築された建物には伝説があって、お姫様がずっと王
子様を待つという物語だった。
 あの子は戻ってきてくれないのかな、そう思いながら、開かない教会のドアの前に座ってぶちぶちと草を抜く。
昨日真っ白に色を抜いた髪の毛が目の前を揺れる。
 こちらに越してきてすぐの、心の傷も癒えていなかった琉夏の手を引いて、まだぎこちない態度のコウと一緒
に遊んでくれた男の子。彼がいなければ、コウと馴染むのにも凄く時間がかかっただろうし、きっと引きこもっ
て出てこれない病んだ少女になっていたと思う。
 今も大概病んでるか、と自嘲して立ち上がり、塀に登る。高いところが好きで良く塀や屋上に登るので足取り
は迷いがなく、軽く登っていた、が。
「あぶないっ!」
「へ?」
 不意に叫び声が聞こえ、走る音が聞こえたかと思うと抱きかかえられて塀から下ろされた。
「大丈夫…ってアレ?」
「なにすんの」
 わきの下に手を入れられて、地面に下ろされる。目の前では、しなやかな印象の青年が照れ笑いを浮かべてい
た。
「ごめん、塀から落ちてたかと思って」
「別に?」
 見覚えがある、どころではなかった。今しがた思い出していた彼が、順当に歳を取ればこうなるのではないか。
 照れたように琉夏を見て、彼は言い訳を口にした。
「俺、最近こっちに戻ってきてちょっと迷っちゃったんだ」
「そ、じゃ、私と一緒だね。迷ってるの」
 にこ、と笑うと彼の顔が感心したように緩んだ。

 実にくさい思考だが、天使が降りてきたのではないかと雪隆は思った。
 真っ白な髪に、少し憂鬱な彫刻のような顔。美少女とはまさにこの子のような娘を言うんだな、と感心する。
 迷っていると言った割にはすたすたと先導して市街地まで案内してくれる彼女は、なぜか雪隆の家を知ってお
り、家まで着いてきてくれた。
「家、ここでしょ」
「うん、でもなんで知ってるんだ」
 内緒、と唇に手を当てて白いミニスカートワンピースを翻して彼女は駆けていってしまった。
 翌日、彼女が琉夏だと知り非常に驚くことになるが、コウも相変わらずですぐに馴染むことが出来た。
 そして二人が、あのサクライだ、とひそひそ噂をされる理由がわからずに暫く面食らうことになる。
 琉夏ほど綺麗なおんなのこならそりゃもてるだろうし各所からのひがみも買うだろう。コウだって女の子が無
免許で大型バイクを乗り回せば目立つだろう、とそれくらいにしか思わなかったからだ。
 二階から飛び降りる琉夏を抱きとめたり、柄の悪そうな高校の生徒から痴漢まがいのことをされていたのを助
けたり、屋上から引き摺り下ろしたりとどこか不安定な彼女から目が離せなかった。
 それでも何とか二年生に進学した、春。
 二人で出かけた芝生公園で、雪隆の母親が持たせてくれたおにぎりを二人で食べていた。
 食べ終わってすぐごろんと横になる琉夏を軽く叱りながら、自分も肘を付いて横になる。
 すると薄紅色の小さな花が咲いているのに気付いた。たしか昔、琉夏とコウが花冠の作り方を教えてくれたは
ずだった、と思い出すも上手く作れず、二本だけ花を抜いて小さな輪にして指輪を作った。
「るぅちゃん、手、出して」
「ん、なに?」
 ころりとこちらを向いた琉夏の手を取り、さすがに付き合ってもいない女の子の左手薬指は気が咎めたので、
右手の中指に簡素な指輪を嵌めてやる。
 一瞬きょとんと目を丸くした後、琉夏は真っ赤になって困ったように眉をハの字にした。表情の乏しい彼女が
ここまで崩れるのは珍しいことだ。
「え、あ、ごめん。嫌だった?」
 そのまま茎をちぎって指輪を壊そうとすると、手を振り払われる。
「嫌じゃないから、っ」
「ごめん、るぅちゃん」
 落ち着かせるように髪を撫でると、彼女は起き上がり、涙の膜が張った瞳がこちらを真っ直ぐ見つめてきた。
「どうせ誰にでもこんなことしてるんでしょ!」
「え、ええ?」
 急に怒り出した琉夏に、困惑する。
 曰く、雪隆は学校でも人気があるとかはば学のお兄さんだとか、ローズクイーンほどメジャーではないが裏で
開催されているローゼンナイツとやらの候補に挙がってるだとか、いろいろなことを喚かれた。
「全部知らないよ…」
「だから嫌!もっと警戒するとか、逆に人気を利用して遊ぶとかしてよ!」
 遂に涙が溢れた。柔らかな春の日に真っ白な髪と肌が透けて、とても綺麗だと思う。
「泣かないで」
 そっと手を伸ばすと、大人しく触れさせてくれた。しゃくりあげる彼女の頭を撫で、指で涙をぬぐってやる。
「…どこにもいかないで」
「ん?」
「置いていかないで!やなの!一緒にいて!」
 これは、告白と言う奴なのだろうか。普段の余裕を含んだ表情ではなく、まるで幼い子供の様に縋ってくる彼
女が可愛くて仕方がない。昔も、夕方に帰らないでと抱きつかれてそのままお泊りになったことがあったな、と
思い出す。
「行かない。約束するよ、るぅちゃんの傍にいる」
「ほんとに?」
「行かない、俺はるぅちゃんやコウみたいに素敵な人間じゃないけど、約束を守ることには自信があるんだ」
 約束の時間に遅れたことはないし、やると言ったことはやる。それも人気の一つだと琉夏は思う。それに、サクラ
ソウのおまじないの通りにこうして琉夏の元に帰ってきてくれた。
 圧倒的な死という恐怖ですら、彼の約束の前では無になるとさえ思えた。
「指輪、付けなおして?」
「うん」
 そっと抜かれた指輪が、左手の薬指に嵌めなおされる。その様子がスローモーションのように見えた。
 嬉しそうに指輪の花に口づける琉夏を見て、雪隆も笑う。
「今は無理だけど、誕生日に本物をあげるよ」
 今の残高と二ヶ月分のアルバイト代をどうにかしたら、それなりのリングが買えるだろう。
 その言葉に、ぱっと顔を上げた琉夏は目をきらきらさせて満面の笑みを浮かべた。彼女はいつも微笑んでいる
印象があるが、正味の笑顔は初めて見た気がすると動悸が激しくなる。
「すき。ユキが大好き」
 ぎゅうっとしがみ付く様に抱きつかれ、さらに体の熱が上がる。いつの間にか呼び方がユキ君から呼び捨てに
変わっているのにもどぎまぎする。
「うん、俺もるぅちゃんの傍にずっといるから」
 好き、だとは言えない青年に誠意を感じる。どこにも行かないが、それがイコール愛しているになるのかがま
だ分からないのだ。もしかしたらコウとのような、義理兄妹関係になるのかもしれない。でもそれでも十分に琉
夏の心は満たされた。

 それからも日常はあまり変わらず、だが満たされた感情が琉夏を変えていった。
 投げやりな雰囲気はなりを潜め、ただの面倒くさがりのサボリ魔になった。次第にビッチ扱いするものも減り、
雪隆と二人それなりに落ち着いた生活を送っていた。
 たまに見る悪夢も、強いて言うならば幸福の裏返しだ。手を伸ばせば抱き締めてくれる人がいるからこそ、そ
の夢を見ることが出来るのだ。
「ユキぃ…っ」
「うん」
 琉夏はたまに辛い夢を見るらしく、急に甘えてくることがある。まだ、その原因は知らないが、いつか必ず話
すと約束している。
 すぅっ、と胸に懐くように眠ってしまった彼女を抱き締めたまま又ベッドに横になる。
 飛び抜けた美少女で淫靡な雰囲気を持つ琉夏にしがみ付かれて、平然と眠れる雪隆のことをコウはある意味変
態だと罵る。雪隆も健全な男子高校生であるため、琉夏をおかずにすることはままあるが、実際抱きつかれると
それだけで充足してしまい興奮することはないのだ。
「おやすみ」
 今日も一つ呟いて、狭いシングルベッドで抱き合ったまま眠りに落ちた。




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