6.テスト前日。できる奴は余裕の表情。
十二月二十三日(木)

 自分は何時の間に、こんなに甘えるようになってしまったのだろう。紺野に電話をかけ、そのコール音を聞き
ながら雪絵はひとり思う。
 親子関係は悪いわけではないがさっぱりしていて、大体の精神的問題には一人で対処した。入学式の事件も、
友人や大迫には助けられたが、べったりと甘えることはなかった。
「雪絵さん?」
 嬉しそうな声が聞こえる。
「あの、玉緒さん、えっと」
 特に用事はないのだ。カレンもみよも新名もバイトのかきいれどきで、申し訳ないけれど消去法で電話した。
「どうしたの、不安になった」
 はい…、と呟くと、今日一日暇?と聞かれる。
「どっか近場に出かけよう、じっとしててもぐるぐる落ち込むだけだよ」
 それに了解すると、迎えにいくからといって電話は切れた。
 駆けつけてくれた紺野を見て、雪絵はほっとする。この人には、甘えられる。
「だめです、やっぱり緊張して…」
「うん」
 ざぁざぁと波の音が響いて、少女のこぼす弱音がそれに混じった。
 それに何も答えないで、男はただ一緒に歩く。紳士協定で縛られたつなげない手がもどかしかった。
 言うだけ言ってすっきりした雪絵は、ありがとうございますとぺこりと頭を下げた。
 特に行き先もないし、友人らの邪魔にならないようにその働き振りを見に行こう、と二人で決め、町へ繰り出
す。
 アナスタシアはまさに戦場で、店の外まで人が溢れていた。その中でも指令塔となり、指示を飛ばすみよはと
ても格好良かった。シモンもクリスマスのプレゼントを選ぶ人々で込み合い、カレンも笑顔のなかに疲れを見せ
ている。
 最後にコンビニへ向かうと、新名は外でチキンとケーキ売っていた。
「旬平くん!」
「あ、ユキ先輩!って紺野先輩も居るんスか」
 一瞬大喜びしてすぐさま笑顔を引っ込めた露骨な態度に、紺野は苦笑する。
 ここ一年雪絵を二人で取り巻いてわかったのだが、新名は見た目に反してとても真面目で雰囲気を察するのが
上手く、そして損をするタイプだ。自分と似ていると少し思う。
 それなのに、紺野に対しては歳相応の幼さで噛み付いてくる。弟が居たらこんな感じなのかと思ってしまった。
「何デートしてるんですか、ムカツクな」
「デートじゃないよ、明日への最終準備だ」
 うそだ、と睨んでくる瞳は本気だ。しかしここで噛み付き合っても仕方がないので、そっと視線を逸らす。
「もうちょっとでバイト終わるんだけど」
 夕方の五時少し過ぎだ、日勤が終わるのだろう。その言葉の裏に隠された意思を読み取ってやり、紺野は口角
を吊り上げた。着信してもいない携帯電話を開き、メールを確認する振りをする。
「丁度良かった、ちょっと姉に呼ばれたから僕は帰らないと。もう暗いから、新名君、家までおくってあげて」
「了ー解っ」
 なんて白々しい芝居。それなのに雪絵は何も気付かない。
「玉緒さん、あの、ありがとうございました」
 さっさと去ろうとするコートの袖を引かれ、上目遣いで言われる。ああ、僕は今幸せだ。
「いや、いいよ。明日、がんばろう」
 こくりと頷いた彼女は手を振ってずっと紺野を見送っている。

「さ、お姫様が風邪引いて声が出なくなる前に帰りましょうかね」
 真っ白な私服のコートに着替えた新名は、遠慮なく雪絵の手を握る。抜け駆けの目には目を、だ。
 手先で混ざる体温に、新名は結構緊張したが彼女は平然としている。これはまた、弟扱いされているなとがっ
くりした。
「旬平君と玉緒さんって、たまに凄く張り合うよね」
 基本的なところがよく似た二人は、普段は気があっているのにたまに物凄く静かに激しく争う。
 紺野先輩と呼んでいたのを無理して玉緒さんに切り替えたのも、新名は名前で呼んでるのに?とものすごく冷
たい笑顔で迫られたからだ。新名がユキ先輩と呼ぶのも、後輩の特権の主張だと熱弁された。
「二人とも、明日本番なのに凄く余裕だし、学校でも人気あるし…」
「他の奴なんて関係ねーし」
 学年首席をキープしないと相手に遅れを取るという酷な条件の下、紺野も新名も雪絵の気を引いているのだ。
わき目など振る余裕は無い。
「旬平君、疲れているのにありがとう」
 街頭がぽつりぽつりと立つ日の暮れた道で、ぎゅっと手を握り返される。二人がいるのは丁度明かりの真下で、
スポットライトが当たったようになっていた。
「ど、ドウイタシマシテ」
 いつもは殆ど合わせてくれない視線が、まっすぐにこちらへ向かっていて動揺する。
 いっしょに色々遊べるノリのいい子が好きなはずだったのに、気付けば驚くほど雪絵の事が好きになっていた。
 勉強のできる奴は沢山いるが、雪絵ほど賢く博学な人はそういないだろう。それにじっと他人の話を聞いて思
慮深く答える所や、黙って一緒にいても心地のいい雰囲気。ずっと傍にいて欲しい相手とはこういう人だろうと
新名は気付いた。
 そして紺野も、同じようなことを言っていた。
「どうしたの旬平君、行こう」
 立ち止まった新名を不審に思ったのだろう、驚くほど近いところから声がする。物思いから浮上すると、真横
から覗き込まれていた。
 紺野の存在さえなければ、キスして好きだといってしまいたい。
「ごめんごめん、俺もちょっとキンチョーしてきたかも」
「絶対嘘でしょう」
 へらへら笑う新名にむっとした様子で、雪絵はいつものように俯いた。
 空からは気の早い雪が舞い落ちてきている。

7.テスト。とりあえず頑張れ。
十二月二十四日(金曜)

 ご飯も喉を通らないほど緊張するかと思ったが、雪絵の体調は普段と変わりなく学校に登校できた。心配して
くれていたらしい大迫や友人達も笑顔で励ましてくれる。図書室に顔を出すと、心配しすぎて真っ青な顔をした
司書が手を握って大丈夫よと言ってくれた。
 そんなこんなであっという間に一日が過ぎ、そのまま天之橋邸へ向かう。
 控え室用に確保された小部屋で、カレンとなんと世界の花椿吾郎が待っていた。
「んんーー?イーーーーイじゃなァい!」
「ね、おじ様の言ってたOGと張るでしょ?」
「そうねェ、あの子はキュートだったけど、こ・の・子・はぁ、マスキュリンね!」
「そうそうそれそれそれですよ、さすがおじ様!」
 いつもの何十倍も濃縮された花椿オーラに雪絵は逃げそうになる。マスキュリン、フランス語で男らしいとい
う意味、フェミニンの反対語で女性の男性的な装いに用いられるファッション用語、と脳内辞書を引くことでなんとか冷静になる。
「カレンさん、なんで、吾郎先生がここに?」
「偶然よ、あ、前に理事長とおじ様が友達だっていうのは言ったよね」
 さーあやっちゃいましょうかとにゅっと伸びてきた腕にあっさり捕まり、叫ぶまもなく制服を剥がれた。

「イイ、イイわよバンビぃ」
「我ながら傑作だわ!」
 感極まるとくねくねするのも花椿の血筋なのだろうか。
 新名見立てのドレスは白いチョーカーつきのフリルドレスで、お値段もお手ごろの品だった。それだけでは露
出が多すぎたので、一緒に購入した同色のケープをしっかり留めていくつもりだったのだが。
 そのチョーカーと白いドレスは変わらないが、沢山のフリンジがついた木綿レースのフードつき肩掛けをかぶ
せられ、足元はひざ下まである茶色の編み上げブーツだ。肩掛けの胸元には白い毛糸で編まれた花がブーケのよ
うに咲いていた。
 それになんとウィッグを付けられ、緩やかなパーマのかかった髪が背中まで流れる。仕上げとばかりに木の枝
と草で編んだ冠をかぶせられ、雑誌に載っているような森ガールが出来上がった。
 だがケープや、ブーツからスカートの間の足を覆うオーバーニーソックスの素材や色がシックで高級であるた
め、ただナチュラルなだけではなく先程言われた、マスキュリンさもかもし出されている。
「カレンに言われたとおり、テーマは理知的な小鹿ちゃん。ね、ぴったりでしょ」
 おしゃれかどうかは分からないが、そのテーマにぴったりであることは雪絵にも分かった。ありがとうござい
ますと頭を下げると、花椿吾郎はいいのよーと言いながら跳ねる様に外へ出て行った。
 一鶴ぅー、どーこーォ、と響き渡る声をドアの外に聞きながら、まだうっとりしているカレンの頭を軽く叩く。
「カレンさん、嬉しいんだけどこれじゃ仮装じゃない?ドレスコード大丈夫なの」
「いーや大丈夫。それにもともとサンタドレスとかトナカイとかいるじゃない」
 それもそうかと納得すると、又カレンが悩みだす。
「おじ様がすっぴんのバンビにぴったりのコーディネートしちゃったから、お化粧できないねー」
「私は別に構わないけど…」
「じゃ、せめてグロスだけ、ね?」
 押し切られて、甘い香りのするそれを唇に塗られる。少し舐めると味も甘かった。
 駄目、バンビを外に出したくない!と悶えるカレンを押し切りドアを開けると、紺野と新名が待っていた。
「あれ、もう時間迫ってるの」
 虚を突かれた様に立ち尽くす二人に、雪絵も驚く。
 おとといに見たのと同じ姿の雪絵が出てくると思っていた二人は、あまりの変わりっぷりに動揺する。
「ごめん、言葉が出ない」
「う、っわー」
 イイ。信じられないほど可愛いのに、雪絵の顔立ちにあった引き締まった部分も存在していて、優秀な二人の
ボキャブラリーでも表現しきれなかった。隣に立つ男を処分して、今すぐにでも抱き締めたかった。
「仮装みたいでしょ」
 しかし彼女は冷静だ。もう少し喜ぶとか、照れるとかしてくれないとこちらが困る。
「なんで突っ立てるの、早く行かないと」
 男たちの手をとり、二人を引きずるように歩いていく。
 控え室に着くと、生徒会役員や教師も一瞬雪絵のことが誰か分からなかったようだ。ただ一人彼女の担任であ
る大迫だけが、
「おお、綺麗だなぁ村田!」
と大きな声で言った。
 まるでマイフェアレディのような展開だ。


 パーティ開始の刻限が近づき、一般生徒達が続々と入ってくる。
 紺野は運営に呼ばれて席を外している。控え室の隅で新名と雪絵は時間を待っていた。
「な、なあユキ先輩」
「なに」
 徐々に集中しているらしい彼女の返事はそっけない。
「ね、さっき言い忘れたけど、その格好凄くいい、たまんない」
「言い方が厭らしい、十点マイナス」
 ばっさりだ。思わずしゅんとしてしまうと、頭を撫でようとしたらしい彼女の手が止まった。新名がきちんと
セットしていることに気付いたのだろう。
 迷った手のひらは、ほおにおりてそこを撫でられた。
「―っ」
 心底今我慢しているのが馬鹿らしくなった。大体珍しくグロスをしているらしい唇が先程から気になっていた
のだ。開催直前の一番忙しい時間だ、誰もこっちなど見ていない。そう思って、目の前の先輩の顎に手をかけた
とき、凄まじい威圧感が新名を襲う。
 殆ど瞑想状態に入った雪絵は気付かないが、シャンデリアを背にした紺野が射殺すような視線で見下していた。
「…なに、してる」
 負けねー、そう思っても体が動かない。
「そういう卑怯なこと、雪絵さんは嫌いだとおもうよ」
 ゆったりと腕を組むその仕草はいつも通りなのに、怒りがびりびりと伝わってくる。確かにこれはフェアでは
ない、そう思って彼女から手を離し頭を下げると、ふっと威圧感が止んだ。
「さ、時間だよ。行こうか」
 一瞬にして顔に笑顔を貼り付けた男は、会場へと続くドアへ歩き出した。

 沢山の生徒が着飾り、会場を埋め尽くしている。壇上の理事長は三人の各学年代表を眺め、満足そうに微笑む。
 一年代表がそのキャラクターにあった気さくな挨拶で場を和ませ、あの震えていた少女が目はうつろながらも
ハキハキと来賓や教師に感謝を述べて、生徒会長が綺麗に〆た。
 わぁっ、と拍手が起こり、三人はそのまま歓迎されながら生徒の群れに入っていった。

「や、やっとおわった、もういや」
 ぐったりと椅子に座る雪絵には、それでも挨拶しに来る人が絶えない。クラスメイトや図書館で勉強や討論を
した生徒達が成功を祝うためとその容姿の変わりようを見ようと寄ってくるからだ。
「こんな大事なときに居ないなんて、なんて役立たずな虫除け…」
「ホント、どこいったのよあの二人は」

 みよとカレンに悪態を吐かれた二人は、人気の無い立ち入り禁止区画の部屋で向かい合っていた。
 立派なソファにゆったり足を組んで剣呑なまなざしを向ける紺野と、一人掛けの椅子に腰を落として深く腰掛
け強い瞳でぐっと見つめる新名。
先に口を開いたのは紺野だった。
「さっきのは、実質的な宣戦布告と取って良いんだね?」
「もちろん」
 敬語を省き、即答する。目の前に居るのは敵だ。
「そうか…残念だな。君の事も結構気に入ってるんだけど」
「俺も、アンタのこと尊敬してるぜ」
 元々二人には雪絵抜きの絆など無い。最初からライバルだった。
「最低限のルールは、雪絵さんを傷つけ無い事。それだけだよ」
「…お互いを社会的に追い落とすような真似も、止めてくださいね」
 やっぱり新名君は頭がいいね、と男は笑う。
 正直めちゃくちゃ怖い。でも、負けない。
「じゃ、帰りましょう。そろそろ怪しまれますよ」
「ああ」
 表面上はにこやかに、しかし部屋に入った時とは全く違う雰囲気を漂わせて二人は廊下に出る。

 丁度プレゼント交換の時間だったらしく、サンタが歩いて回っていた。
「あ…、旬平君、玉緒さん」
 何やら非常に疲れた様子の雪絵が、二人を手招いた。
「これ、良かったら貰って。今回は色々ありがとう」
 サンタに渡すなんて不確実なことはしたくなかったから、と小さな包みを渡される。
「ありがとう、凄く嬉しいよ」
「ラッキー、開けていい?」
 雪絵が頷くと、彼らは嬉しそうに箱を開ける。新名には銀色のウォレットチェーン、紺野には皮ひもで出来た
ブックマークを贈った。男性に贈り物などしたことが無かったので、相当悩んで選んだものだった。結構いい品
物なので意匠が凝っていて、チェーンにはちいさな剣が付いているし、ブックマークの紐先に付けられた銀細工
は精巧な槍の形である。

 心から喜びながらも、図らずも贈られた武器に男たちは心中穏やかではなかった。

<VS発動スチル>


テスト直前カウントダウン七題/ラルゴポット





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「見えない臓器の名前は」
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