ギプスちゃんと紺野くん

■一年、初夏

「ねえ文子ちゃん、紺野先輩って彼女とかいるのかな?」
 さらさらの髪に綺麗な目、なにより愛し愛されている事がわかる優しい雰囲気のクラスメイトが、そう文子
に尋ねる。
「ごめんね、しらないの」
 そう、知らない。生徒会に入っているとはいえ紺野は雲上人だ。なにも知らないし知ることも出来ない
 きっと、この目の前にいるクラスメイトのような娘なら、紺野に気持ちを打ち明けることも出来るだろう。取
り立てて目立つところが無いどころか何をやっても人並み以下、失敗ばかりの文子には、紺野が遠すぎる。
 だが、文子は紺野のことが好きだった。入学して直ぐ、何時ものように失敗して職員室前でプリントをぶち
まけたとき笑顔で優しく手伝ってくれ、その後、雑用係として生徒会を手伝うようになった時にも、蔑むことな
く普通に接してくれる。使えない、役立たずとののしられたり冷笑されることに慣れている文子には、その優
しさは毒のようだった。
 きっと、紺野にとっては社交辞令に過ぎない。だが飢えた子のような文子には、好意を抱かせるに十分だっ
た。だが、ねじ伏せてもなお湧き上がる紺野への恋心は自分の中だけで育てていつか殺すつもりだ。
 始まる前に終わった初恋は、じくじくと心地の良い痛みを与え続ける。

■一年、冬

 家庭の事情から、アルバイトをせざるを得なくなった文子を、みよがアナスタシアに誘ってくれた。カレン
は店長という肩書き上、個人的勧誘ができないらしかった。
「やる気が無い奴より、バンビの方が百倍役に立つよ!」
「大丈夫、少しずつ慣れたら良い」
 優しい友人らに、文子は少し泣きそうになる。学校でも沢山迷惑をかけているのに、アルバイト先でも厄介
を抱え込んでくれるなんて、と言うと、
「その謙虚さがよくない」
「もう少し自信もってイイよ!」
 なんて言って抱き締めてくれる。
 かくして、考えても見なかったケーキ屋というきらびやかな場所でのアルバイトが始まったのだ。

 姉と母に言われて、ケーキを買いに行くことなど紺野にとっては日常茶飯事だ。もう恥ずかしいという気すら
起こらない。メールを見ると、本日のご所望はアナスタシアという店のシブーストらしかった。
「いらっしゃいませぇ」
 甘い匂いの漂う店内は、程よく込んでいる。少しの順番待ちの間、何とはなしに喫茶スペースを見ると、生徒
会の後輩である丸山文子が掃除をしているの様子が見えた。他の店員とは違い、白いシャツに黒いズボンとい
う地味な格好だったので一瞬店員とは思えなかった。懸命に働く丸山は生徒会活動中と変わらず要領が悪かった。
 だが、作業は細やかでよく気が付き、雑用も良くこなしているようだ。
「あ」
 ふと紺野に気付いた彼女が振り返り、ぺこと頭を下げてふにゃっと笑い、ついでに植木鉢を倒した。見ていら
れない。

 次の日、紺野は丸山にアルバイトについて尋ねた。
「昨日は驚かせたみたいでごめん」
 いいえ、と俯いたまま首を振る彼女に、気になっていることを聞いてみた。
「あそこでアルバイトしてたんだね。ケーキ好きなの?」
「あ、いえ…。私は店内掃除と皿洗いと売り上げ集計の下計算、あと備品買いに行ったり事務所や更衣室の掃除
…くらいですから」
 要するに雑用だ。生徒会でやっていることとあまり変わりがない。
「あのさ、あのお店にバイトで入るって、あの制服を着てケーキを売りたかったんじゃないの?」
 ふるふるとまた首を振って彼女は顔も上げずに続ける。
「あんな可愛い服、似合いませんし。それに先輩もしってるように、不器用な私にはケーキなんてデリケートな
もの扱えません…」
 雇ってもらえただけで感謝しているんです、と呟いて、丸山は頭を下げゴミ袋を引きずって歩いていってしま
った。何とはなしにその姿を見つめ、暫くして窓からゴミ捨て場を眺める。ゴミ捨て場の金網ドアは立て付けが
悪くなっていて、開きづらい。丸山は必死に開けようとするが、丁度かみあいが悪いらしくびくともしない。
 ぺちゃっとゴミ捨て場の前に座って途方にくれたように俯く彼女を見ていられなくて、紺野は階段を駆け下り
た。

 ごみ捨てすらも満足にできない自分に腹が立って、涙が出てくる。冷たいコンクリートがじわりと体温を奪い、
少しだけ漂うごみ臭さにますます悲しくなる。
「丸山さん!」
 ふと、後ろから足音がして文子の好きな声が名前を呼んだ。遂に幻聴まで聞こえるようになったのか、と思
ったがそれは本物だった。
「紺野先輩?」
「ほら、ドアが開かないんだろう」
 がこがこと紺野が力の限り引くと、やっとドアが開く。ゴミ袋も運んでくれて、あまりの展開に文子は動け
ないでいた。
「先生に言って修理しないとね」
「あの、なんで…」
 王子様が唐突に現れるなんて夢はずっと前に諦めたのに、と非現実的な現状に慄く。
「なんでって、気になったからだよ」
 あまりの不器用さに、しかし精一杯頑張る姿勢に。危なっかしくて目が放せないという保護者のような気持ち
も相まって、丸山文子は紺野の心にひっかかる。

■二年、春

 校舎裏の教会で、薄ピンクの可愛らしい花をちぎりながら文子は座り込んでいる。
 同学年の女子からさんざんからかわれいじられているているのを見かね、紺野がひっそりと人気の無いここへ
と連れてきたのだ。
「嫌、っていえないの?」
「…言う資格がありません。だってあの子達が言ってることはぜんぶ本当です。わたしは、普通にすらなれない
んです」
 諦めたようなかなしいかおで文子がわらう。
「だからほかの、皆の邪魔にならないように、がんばろうって」
「君だって幸せになりたいだろう」
 紺野が手を伸ばすと、身を引いて避けられる。
「わたしは、なにもできないです。だからなにももらえません」
「がんばってるじゃないか、人が嫌がることでも、雑用でも、生徒会でも、アルバイト先でも」
 視線を合わせようとしても、俯く彼女は顔を上げない。
「でも…、結果が出ないなら…ひっく、やらないほうが…いいんじゃない?って言われるし…ひっく」
「大丈夫、無駄なことなんて無い」
 もう一度手を伸ばす。紺野の手に撫でられると、いつもがまんしている涙が止まらなくなる。
「うぅ…、私だって、わたしだって…」
「だって?」
 優しく話を聞いてくれるのが嬉しくてしょうがない。それがただの博愛であっても。
「がんばって、かわいくなりたいし、べんきょうもできるようになりたいのに、しっぱいばかりで…、うえぇぇ
…」
 言葉につまり、本格的に泣き始めた文子の背を撫でる。
「君に足りないのは、自信じゃないかな」
 真っ赤な顔で紺野を見上げた少女はきょとんとしている。
「途中までは良いのに最後で失敗することが多いようだ」
「じしんなんて、もてません…」
「大丈夫だよ、あれだけ努力してるんだから」
 文子をアナスタシアで見かけてから、ずっと目の端で彼女を気にかけてきた。けして、怠けたり手を抜いて
いるわけではないのだ。
「僕が、お墨付きをあげるよ」
「紺野先輩が?」
「そう。不安になったら、僕が認めているから大丈夫!と思えば良い」
 もの凄く強引な理論だが、良い案と思った。荒治療も使いようだ。
「こんのせんぱいのおすみつき…」
「まあ、僕じゃあんまりたよりないだろうけど」
「そんなことないです!」
 先輩にそこまで言っていただけるなんて、と彼女は笑った。困り顔でもごまかしでもなんでもない、初めて見
る素直な笑顔に紺野は胸が苦しくなった。

■二年、真夏

 彼女は化けた。紺野の読みどおり、ちょっとした勇気と自信を身につけた彼女は努力の成果を遺憾なく発揮し
た。勉強は上位、運動もまあまあ人並みまで出来るようになったし、顔を上げおびえを払拭したせいで随分可愛
らしく見えるようになった。はば学のお嫁さんなんて話まで聞こえてくる。
 何をやっても大失敗していた文子をひっそりと見守っていた輩は多いらしく、男子からも人気が出始めてい
る。
「紺野ー、おまえ文子ちゃんと仲いいんだって?」
「いや、そうでもないよ」
 彼女と学年の違う紺野クラスメイトすらこの様だ。大事に育てた芋虫がひらり飛び立ってしまったような寂寥
が襲った。




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