玉緒さん(桜井も姉妹です)

 お笑いを理解するにはある程度の知性が要る、所謂売れっ子芸人と呼ばれる人たちは皆賢いではないか。そう、
雪隆は思っていた。
 だからお笑い好きというのは別に隠すような趣味ではない。流行ってもいるし、むしろ堂々と話の糸口として
公開してもいい物だとも考えているのだが、この年上の人はそうではないらしい。
 切れ者の会長としてはばたき高校に名を知られる玉緒は、理性的でかつ優しげな雰囲気を持ち男女問わず皆か
ら慕われていた。みどりの黒髪とでも言うのだろうか、豊かな長い髪をけして振り乱すことなく模範的な優等生
として行動している。
 彼女に憧れて生徒会に入ったわけではないが、身近に居るとやはり惹かれるものを感じた。だが高嶺の花もい
いところで、雪隆は仄かな片思い程度に気持ちを押さえていたのだが。
 偶然、生徒会の定例会議の後片付けを玉緒と二人で行っている時、雪隆は携帯の着ボイスを鳴らしてしまった。
やんわりと叱られるだろうと身構えたが、若干マニアックなお笑い芸人のボイスに驚くほど反応した彼女はしま
ったと言う風に口を押さえた。
「…もしかして先輩、今の知ってるんですか」
 反応してしまった手前、繕う事もしにくいのだろう。玉緒は小さく頷いた。
「あの、村田君。お笑い…好きなの?」
「ええ」
 自分で言うのもなんだが、雪隆も決してお笑い好きには見えないだろう。幼馴染の琉夏からはがり勉と言われ、
コウからはもやしと罵られ、真面目過ぎるのはよくない二人がかりで小突かれるのだ。
「…私も、好きなのよ」
 俯いて恥ずかしそうに言う姿を見て、初めて彼女を可愛いと思った。
 そのまま結構ディープなお笑いの話になり、夏休みのお笑いジャイアントに一緒に行こうというまで話が進ん
でしまった。
 お笑いと接しているときの玉緒は、無意識だろうが取り繕うことなく素顔であるような気がする。良く笑い、
熱っぽく語り、意外なことだがノリつっこみまでやってみせた。偶然手に入れた、気の置けないお笑い仲間とい
う地位に雪隆の方が戸惑ってしまった程だ。
 学年が一つ上がり、二年と三年になった夏にはなんと生徒会室で熟睡する彼女を見つけてしまった。起こそう
か起こすまいか迷っているうちに彼女は目を覚まし、雪隆の姿を認めると悲鳴を上げて飛びのいた。
「すみません、あの、起こそうかと思ったんですけど…」
「…いや、いいの。ここで熟睡してた私が悪いんだから」
 そういいながらも、彼女の顔は真っ赤である。

 玉緒は戸惑っていた。自分がここまで気を抜いた姿を人に晒すのは、初めてだったからだ。
「あの、会長。疲れてるんじゃないですか?」
「う、ううん…、って取り繕ってもしょうがないね」
 はは、と笑いソファにもう一度腰掛ける。生徒会の業務に加え本格的に始まりだした受験勉強にも追いやられ、
生活のペースを掴めずに居たのだ。
 不思議と、村田の前で気を抜くことは不快では無かった。生徒会長で優等生ではない自分を知られていたから
かも知れない。ぐったりとそのままソファに転がっていると、帰宅を促すチャイムが鳴る。しかし、これから駅
まで歩いて、電車に乗ることすら面倒くさい。
「あの、先輩。僕今日自転車で来てるんで、良かったら送っていきますよ」
「へ?」
 顔を赤くした村田が、じっとこちらを見ていた。二人乗りをして帰るという事なのだろうか、と理解すると玉
緒も頬に血が上ってしまう。
「でも、悪いわ」
「僕は構いません。先輩凄く疲れてるみたいなんで…」
 嫌ではない、むしろ嬉しいかも知れない。そこでふと以前に見た光景を思い出し、何故かチクリと胸が痛む。
「でも、琉夏ちゃんはいいの?」
 金髪の少女を後ろに乗せて、楽しそうに自転車をこいでいた村田の姿と、非常に二人の仲が良いと言う噂が重
く玉緒の心に圧し掛かる。
「ああ、あれは琉夏がもう立てない疲れたってだだを捏ねたから、仕方なく乗せたんですよ」
「そう…」
 少し頼りないけれど飛び切りやさしくて懐の広い一つ下の青年は、穏やかな表情のまま玉緒の答えを待ってい
る。
「うん、じゃあ、おねがいしようかな」
「ありがとうございます」
 にっこりと笑った彼に、先ほどとは少し違う痛みが胸に走る。この感情に名前をつける事は、今の玉緒には出
来なかった。

 夕焼けで橙色に染まる道を、自転車の後ろに乗って風を切る。ひ弱そうに見えても、そこはやはり男なのだろ
う、村田の足はぶれることなくペダルを踏み続ける。
「時々気分転換に、朝早く起きて自転車で通学するんですよ」
「そう、気持ちいいものね」
「ええ、こうやって漕いでいる間は、余計なこと考えないでしょ。それが良いんですよ」
 久しぶりすぎる二人乗り、しかも男の後ろに乗るのは初めてなので、バランスが上手くとれず往生してしまう。
二三度躊躇したものの、やはり事故になるよりはいいだろうと青年の体にそっと縋った。
「また、送ってね」

 雪隆もまた、縋る紺野の腕にどぎまぎしていた。琉夏に飛びつかれようがコウにヘッドロックをかけられよう
が一切何も思わなかったのに、口から心臓が出そうなほど興奮している。
 あの綺麗で強くて毅然とした紺野が、気を抜いて己に寄りかかってくれることが信じられなくて、嬉しかった。
 もっと、もっと彼女を支えられる存在になれたら。よりいっそうの向上と努力を胸に誓い、しかし少しだけペ
ダルを漕ぐスピードを緩めた。



第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -