ニーナちゃん(嵐は男です)

不意を突いて抱き締める

 はぁっと白い息を吐いて、ニーナは冷たい水道で洗濯を続ける。裏庭にある水場は園芸部と柔道部しか使わな
い為込み合うことがない代わりに、とても寒々しい。陽が落ちる前に最低限の洗い物だけをさっと済ませるのが
冬の習い性となっていた。
 真っ赤に腫れた指先は、懸命に手入れをしても荒れてしまい勿論ネイルなど出来るはずもなかった。

 街中で思わず逆ナンをしてしまった素敵な王子様が、まさか柔道部に所属しているなんて入学当初は全く信じ
られなかった。太くて短くて暑苦しいものの代表のような部活をしかも同級生と一年生で立ち上げたなんて、
と噂を探れば探るほど疑念は深まった。
 しかし柔道部室以外での彼はやっぱり格好良くて、色んな女子からの羨望のまなざしを受けている。おまけに
頭もいいらしく、一学期の中間テストでは上位に君臨していた。
 まあ部活に触れなければいいかと彼―村田雪隆、に声を掛けて一緒に帰ろうと誘ったまでは良かった。笑顔で
いいよ、と申し出を受けてくれた時には天にも昇る気持ちだったのだ。
 それが何の因果か柔道部のマネージャーをする羽目になったのだ。頭が良く手先も器用さらに何でも出来る上
愛想も良いニーナを、一人でマネージャー業をこなせると踏んだ嵐と雪隆が共謀してあれよと言う内に引き込ん
でしまったのだ。
 まあ、他の女子が歯噛みしても見れない雪隆の素顔を見れたのは僥倖ともいえたし、やってみれば一緒に熱血
するのも悪くないと思ってしまうようになった。
 暑苦しいし無愛想で苦手だと思っていた嵐も、実際は頼りがいがあり意外とお茶目なところもあるいい人で、
雪隆もピシッとした王子系イケメンかと思いきや、嵐と一緒にプールに忍び込んで大目玉を食らったり裏庭で拾
った蛙を投げ合ったりとやんちゃな様子を見せた。二人で不良を追い払ってくれたときなどあまりの可笑しさに
三人で爆笑し、丁度それを見ていたらしい中学時代の知り合いに、ニーナ楽しそうでいいなといわれたものであ
る。
 運動神経の良いニーナもたまに柔道に参加することがあった。雪隆は渋ったものの嵐がニーナは出来ると言い
切ったため、試合に出るわけではないが普通に組み手もどきを出来るようになっていた。

 そんなこんなであっと言う間に二年が過ぎた。もう直ぐ雪隆も嵐も卒業してしまう。嵐は一体大の柔道推薦を
受け入れた為、最近あまりこちらの柔道部に顔を出せないでいる。雪隆も一流大を受けると公言しそれに向かっ
て勉強しているようだった。
「さみしいなあ…」
 ふと手を止めると、口から本音が零れた。勿論同級生の部員や後輩達が嫌いなわけではないし、仲良く楽しく
やれていると言う自負はある。だが、自分が真冬に冷水で手を腫らす理由は先輩二人にあるのだ。
 我慢していた涙が溢れそうになって、誰も見ていないだろうと思って思い切り洟を啜り上げた。
 と、不意に後ろからぎゅっと抱き締められ、新名は声にならない悲鳴を上げる。
「ニーナ、洟はちゃんとかもうね」
 ほら、とポケットティッシュを差し出してくる指の長い手は間違いなくニーナの王子様の物だ。
「はい、ちーん」
「自分で出来る!」
 鼻にティッシュを当てられたがそれを引ったくり、あてつけのように洟をかむ。良く出来ましたと頭をなでら
れ、子ども扱いにむっとする。
「ユキ先輩!」
「はい?」
 くるりと振り返ると、甘く整った顔がにっこりと笑んでいた。この顔にニーナはとても弱いことを知っている
彼のずるさにさらにむっとして、思い切り頬を引っ張る。
「ひらいひらい、ひーな、ひらい」
「居るなら居るって言ってよ、びっくりしたじゃない!」
 ほへん、と謝る雪隆はそれでも腕を放さない。
「声は掛けたんだよ、でもなんだか考え事してるみたいだったから」
「それは…」
 まさか、さみしいと言った途端本人が現れるなどとは思わず、つい頬が熱くなってしまう。街で何度も出合っ
た時といい、学校で再会したときといい彼はなぜか運命的と思わせる登場の仕方をする。それすらも王子様だ。
「洗い物後ちょっとだろ、俺がやるよ」
「ん、いい。私の仕事だから」
 ふうんと言った雪隆は、抱きついたままだ。背中から包まれているととても暖かく、それだけでニーナの寂し
さは霧散した。
 水道を止めて水気を払った少女の手を取って、青年は己の両手で包んでやった。
「ありがとうニーナ」
「…うん」
 俯いたまま頷く彼女に、雪隆は深いため息をついた。白い塊がぼわっと空を漂う。
「先輩、ん」
「え?」
 腕の中でくるりと反転したニーナはキスをねだるように顎を上げた。一瞬戸惑った雪隆は、しかし直ぐに立ち
直り、目を閉じない少女の瞳を手で覆い軽く口付けた。
「今更柔道部に入れないほうが良かったなんて言わないでよね」
「言わないよそんなこと」
 そう言いながらも、ニーナの荒れた手を気にしている様子がありありと分かる。しかもそれが自分の為ではな
いという所が引っかかっているのだろう。
「―ユキのわがまま」
「そんなこと、旬はずっと前から知ってるだろ」
 一年の歳の差が、これほどまでに重い物だとは雪隆は知らなかった。彼女をひとりではば学に残していくのも
嫌だったし、自分が課した不本意な労働を、自分が居なくなった後も続けるニーナが不憫だとも思ってしまう。
「勿論知ってるしー」
「なんだ、その言い方は」
 頭脳明晰で優しくてしかもかっこいいという王子様も、一皮剥けばこんな物なのだ。でもそれが愛おしくて仕
方がないとニーナは思っている。
「部室に戻らないと、先輩も来る?」
「行っていいの」
 もちろん、と笑んだ口元にもう一度キスを落とし、二人で部室へと向かった。



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