紺野先輩とプールデート



「結局さぁ、会長って弱点ないの?」
 梅雨の晴れ間、中庭でカレンとおやつを食べていると不意にそう聞かれた。
「運動と流行りものは苦手みたいだけど…」
「またまたぁ、そんな事言ってもミヨみたいに運動神経メタメタなわけじゃないし、まあダサいにはダサいけど」
 べこっとパックジュースをへこませて、長い足を放り出すカレンは、あーあと溜息をつく。
「そういえば、去年生徒会のみんなで海に行った時泳げないって言ってたかも…」
 そのさくらの小さな呟きに、がばっとカレンは起き上がる。きらきらと目を輝かせた彼女はすばやく携帯電話
を操作し、なにやら企みを始めた様だ。
「あの、カレン?」
「よしっ、オッケー。森林公園地区の店舗スタッフ優待チケット、申し込んどいたから。今度デートで温水プー
ル行っといで」
 あまりの強引な展開に、さくらはアナスタシア特製マドレーヌを落としそうになった。紺野が水泳を苦手だと
かいう以前に、さくらはデートでプールになど行ったことがない。ただでさえ袖のないトップスや短すぎるスカー
ト、ショートパンツすら穿かないのにいきなり水着等ハードルが高すぎる。
「普段行かないよーな、苦手そーな所でデートってのもいいもんだよ?会長が大学行っても、相変わらずらぶら
ぶみたいだしねー?」
「ち、ちが、そんな、ちが…」
「ちがくないでーす、大学事件のこともう忘れたの?」
 それを言われると、うっと詰まってしまう。
 彼女の言う大学事件とは、さくらが春に一流大学へ行って、紺野と距離を感じてしまい泣いてしまった事だ。
その後激怒した彼のお姉さんから連絡があり、結局紺野から手厚い謝罪を受け事は収まったのだが、さくらは
しばらく不安が治らず、カレンの家に泊まり夜通し話を聞いてもらったのだ。
「あれは殆どノロケだったもんねー」
「う…」
 紺野が初恋であるさくらは、ノロケとそうではないものの区別もついていない。でもカレンがそういうのなら
そうだろう、としゅんと俯いた。
「バンビが誘えばカラオケでもスケートでも服屋でも、どこだってオーケーなんでしょ。チケットは明日渡すか
ら!あ、水着は勿論カレンさんプロデュースね!うー、燃えてきたどれにしようかな!」
 人のデートにここまで興奮できる人も珍しいんじゃないか、と止められない友人の暴走を呆然とさくらは見つ
めた。

「あの…、先輩」
『どうしたの?』
 そんなことがあった夜、早速さくらは紺野に電話をかけていた。ワンコールで出てくれる彼に、プールの話を
しようと思ったが、誘いにくいことこの上ない。いつもは会話の中で出かけようかという流れになるので、最初
から外出を提案する事は実は初めてかもしれない。
「あの…」
『うん』
 少し、電話の向こうで笑う気配がする。きっといつものあの優しい笑顔で、どもるさくらの言葉を待ってくれ
ているのだろう。それを想像するだけど少しドキドキする。
「ぷー…る、プール、行きませんか!」
『へ?』
 予想外だったのだろうか、珍しく気の抜けたような声が聞こえる。
「あのっ、ともだちが、けんをくれてっ、その…」
『落ち着いて、大丈夫だよ』
 取り繕うようにしどろもどろになる少女を落ち着かせるように、紺野は優しくそう言ってくれる。
『ただ、僕は泳ぎが苦手だから君を楽しませることが出来ないかも知れないけど、それでもいいなら』
「そんな…、私こそ無理言ってごめんなさい…」
 楽しくないのは紺野のほうではないか。泳ぎが苦手なのにプール等やはりやめたほうがいいのかな、とぐるぐ
る考えてしまう。
『いや、僕は楽しみだよ。じゃあ、来週の日曜だね』
 止めようと提案しようとした言葉は、上機嫌そうな彼の声にかき消される。大丈夫なのかな、とほっと胸をな
でおろし、そういえば…、と何時もの他愛のない会話を始める彼の声に聞き入った。



「ここが温水プール…」
「公園の中にあっても、なかなかこちら側は来ないよね」
 公園の入り口で待ち合わせをして、掲示板を見ながら二人はプールへとたどり着いた。博物館や植物園とは池
を挟んで間逆にある建物に訪れるのは、実は二人とも初めてだ。
「意外と大きな建物なんですねー、前住んでた所の市民プールはもっと小さくて簡素でした」
「ん?さくらさん勘違いしてない?ここはレジャー施設だよ」
 へ、と口を開けたさくらは、大きなやしの木が生えた入り口をもう一度良く見て深く頷いた。
「なるほどー、そうなんですね」
 だからカレンも水着だけではなく、はおりものやシュシュに浮き輪まで山ほど寄越した訳だ。
「全く、ふふっ。君は市民プールで僕とデートするつもりだったのかい」
「だ、だって、もう…!いじわる…」
 軽く拳でぶってくるさくらの手をとって、さあ行こうと紺野は入り口へと歩き始める。
「えっと、更衣室は別だから中で待ち合わせだね」
「そう、なるんですね。わかりました」
 勝手の分からない場所できょろきょろしながら、さくらはロッカーを探した。スポーツジムってこんな風なん
だろうな、と思える清潔でおしゃれな更衣室がただただ物珍しい。カーテンつきの更衣スペース、完全温水完備
の個室シャワー、化粧水と櫛にドライヤーがずらりと並ぶ綺麗で大きな鏡台に風呂まで付いている。
「ほわ…」
 おもわずきょろきょろしていると思ったより時間が経ってしまい、さくらはぎょっとしてしまう。ただでさえ
女性のほうが着替えるのに時間がかかるのに、と慌てて着替えを始めた。
 カレンが選んだのは、フリルがいっぱい付いていて首の後ろで紐を結ぶタイプのビキニだった。ソフィアで売
られていたその水着は確かに可愛くていいなと思ったが、まさか自分が着ることになるとは思わなかった。キャ
ミソールに短パンタイプか、せめてワンピースがいいとさくらは抵抗したが、カレンの知り合いらしい店員と二
人がかりで試着させられ丸め込まれて、買わされたのだ。
「おなか、すーすーする」
 一応着てみて、鏡の前でくるくる回る。胸はぎりぎりカップが浮かない程度しかないし、ウエストは寸胴気味、
お尻もいまいち足りてない感じだ。要するに幼児体型な自分にしゅんとなって、しかたないとシュシュで髪を高
く結ぶ。
 洋服を畳んでロッカーに入れ、おそるおそるプールの方へと向かう。さすがレジャー施設だけあって、擦れ違
うのは綺麗に着飾った女性や家族連れの母親ばかりである。プール入り口、と書いてある自動ドアを潜ると、だ
だっ広い空間に植物やプール、スライダーが配置してあり、まるで遊園地か植物園のようだった。
「ひろい…」
 時計広場で待ち合わせと約束したのだが、あまりの想像との違いにびっくりしたさくらはおどろき、迷ってし
まう。
「どうかされましたか。…って、オイ」
「あ…不二山君?」
 迷子だと思われたのか警備員に声を掛けられ逃げ腰になったが、それが見知った顔で驚く。
「アルバイト?」
 笛を首から提げ、慣れた風に歩く彼はそうだと簡潔に応えた。柔道一直線なイメージが強い不二山の意外な姿
をまじまじと見ていると、ふぅんと納得したような溜息を吐かれた。
「デートか?」
「…う、うん、待ち合わせ場所が、わかんなくて」
 時計広場、というと不二山はあっちだとぶっきらぼうに指差した。意外と近い所にあったそこには、長身の青
年が他の待ち合わせ客に混じって立っていた。
「ありがとう、不二山君!」
「おい、走るな」
 はいとまじめに返事をした彼女は、それでも早足に待ち人の所へと歩いていく。大学生らしき青年が顔をあげ、
迎えるように歩き出す。
「彼氏いたんか…、わかんねーもんだな」
 ただ大人しくてどんくさい感じの彼女が、まさかあんな水着を着てデートをするとは、と妙に感心してしまっ
た。毎日飽きるほど水着の女性を見ている嵐の目にも、彼女は実に愛らしく見えた。

「ごめんなさい、遅くなっちゃいました」
「いや、いいんだよ」
 警備員と話をしていたさくらがぱたぱたとこちらに歩いてくる姿を見て、紺野はにやける顔をどうにか抑える
事に尽力した。
 正直、とても可愛い。水着姿が見たくてプールをオーケーしたようなものだが、露出を嫌う彼女がまさかビキ
ニを着てくるとは思わず、しかも髪の毛もアップにしていて雰囲気が全然違う。周囲に沢山水着の女性はいるが、
一番さくらが可愛いと思えた。
「いいなぁ、その水着。君によく似合ってる」
「え、そうですか?」
 他の女性をちらちらと見て、はぁと溜息を吐く彼女は紺野の賞賛を受け取ってないようだった。
「本当に、可愛いよ?」
「あの、これ…恥ずかしいんです。わたし、スタイル良くないし…」
 気にすることないよ、と言ってもきっと彼女は納得しないだろう。
「プールに入れば、あまり見えないよ。さ、行こう」
 案内板の方へと歩き出す紺野は、さりげなく手を握ってくれる。コンタクトにしているのだろうか、めがねを
していない彼は普段と雰囲気が違いいちいちドキドキしてしまう。
「あの、そういえばめがね…」
「今はコンタクトだよ。眼鏡なくしそうだし、潜る時用のゴーグルはあるし」
 思い切って来た以上は、きちんと遊びたいなと思うのは貧乏性なのだろうか。わざわざ尽に、プールで眼鏡は
どうするのかと電話で聞いたのだ。
「浮き輪もちゃんとあるし、僕も君も泳ぐの苦手だから無茶はしない、ね?」
「はい」
 泳ぎが苦手同士でどうなることやらと思ったものの、バラエティに富んだ施設は遊園地と変わらず、存外に楽
しむことが出来た。

「わ、わぁ…!」
「ほら、あぶないよ」
 波のあるプールは結構本格的で、ざあざあとひいては返すそれに戯れて遊ぶ。より鈍く、泳ぎの苦手なさくら
が波に翻弄されるのを役得とばかりに抱き上げる。はだかのお腹はすべらかで手に気持ちが良い。
「ありがと、うわ、ぷ」
「力入れるから、ほら波に乗ればいいんだよ」
 わぷわぷ言う彼女を支えていると。自然と周囲のカップルのように密着した姿勢になる。
 これが恋人たちが夏に海に出かける理由か、と紺野は妙に納得して波に一杯一杯なさくらを少し深く抱き込ん
だ。
 わにわにフロート、という一見子供向けなプールも挑戦してみると、なかなか楽しめた。
 わにのスチロールフロートの背中を渡ったり、そのフロートに乗っかってジャングルじみたプールを探検する
簡単なものだが、なにせ運動神経のない二人の事だ。わあわあ言いながら何度もわにから落ち、そのたびによく
笑った。
「はぁ、意外と面白いな」
「まさか私、自分がスライダーをやるとは思いませんでした」
 最初は全くやる気がなかったのだが、色々と遊んでテンションがあがった所に、
「カップルさんだとそんなに怖くないですよー、二人用のフロート空いてますし、どうですか?」
と、声を掛けられてつい乗ってしまったのだ。
 紺野の足の間にすっぽりと入り込み、ぎゅっと抱き締められると大丈夫な気がして、じっさい胃が浮くような
感触はしたもののそれ程怖くはなかった。
「君の絶叫は凄かったけどな」
「ええ?そうですか?」
 うん、と笑顔で言われて今更恥ずかしくなる。
「可愛かったよ」
「も…もう!」
 目を細める眼鏡のない紺野にも水着にも馴れて、もっと遊びたいとすら思ってしまう。
「ほら、こっちはスパゾーンだって」
「おんせん、ですか?」
 紺野も楽しんでいるようで、さくらの手をとって次はこっち、その次はあっちと言った風に持ち前の好奇心を
発揮していた。



「ふぁ…」
「今日は、本当に一日遊んだね」
 気が付いたら結構遅い時間になっており、慌てて着替えた二人が外に出る事にはすっかりあたりは暗かった。
 送っていくよ、との紺野の声が遠く近く聞こえて意識がゆらゆらする。
 体力がないのに泳ぎまくった所為か、さくらはとても眠そうだ。手を繋いで歩くうちに、紺野に寄りかかった
まま、ぼんやりと動かなくなってしまった。
「しょうがない、な」
 公園通りからバスに乗って、普段なら歩いて帰る彼女の家へと向かう。席に座らせた途端すうすうと寝息を立
て始めた彼女はひどくあどけなく、満足そうに笑っている。
 紺野も、もう大分眠たい。しかし、彼女を送り届けるまではと何とか堪える。
「こんばんはー」
「あら、まあごめんなさいね」
 さくらに良く似た雰囲気の母親は、呆れたように紺野に負ぶわれた娘を見やった。
「いや、今日は僕が連れまわしてしまったんで」
「そう、いつも紺野くんには迷惑をかけて。ちゃんと言っておきますから」
 いいんですよ、と笑ってさくらを玄関に下ろしその頭を撫でると、小さく先輩と呼ばれた気がして笑顔になっ
てしまう。
「じゃあ、僕はこれで」
 苦手なプールも、彼女と二人なら楽しめる。きっとそれは、二人の波長があっているという事ではないかと紺
野は一人幸福をかみ締めた。再来月には二人きりで海に行っても良いかもしれない。そしてまた、あの可愛い水
着を着てもらおう。
 今年の夏は、平年よりずっとずっと楽しくなりそうだと紺野は胸のうちに思い、夜空に向かいひとつ欠伸をし
た。



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