平とみよちゃんの話です。
藍沢先生とバンビ(村田雪代)のスピンオフ的位置づけになります。

スマイル

 二流大学は、とにかく学生の数が多い。学部も理系から文系まで幅広いし、何より平均より少し高い程度のグ
レードと安めの学費という間口の広さが人気なのだろう。はばたき市や近隣の都市で、大学生らしい生活と学問、
それなりの就職を求めればまず候補に挙がる人気大学である。
 もちろんはばたき学園からも毎年百人前後進学する。平も、経済学部にまあまあの成績で合格し親を安心させ
ることが出来た。入学式で仲良くなった同学部のはば学出身者と友人になり、そこそこ楽しい大学生活を始める
ことが出来た。
 そしてゴールデンウィークが過ぎ新入生がだれ始めた頃、高校時代の憧れの人である村田から、二流大学の近
くでアルバイトを始めたよ、とメールが入ったのだ。
 三年間かけてやっとクラスメイト以上の友達になれた彼女には、恋愛感情の好きというよりはアイドルに対す
る憧れに近いものを抱いている。彼女は一流大学に進学した為中々
会うことはないけれど、こうしてメールを交わすことは度々あった。
 まだアルバイトを探している途中の平には時間がたっぷりあったので、一も二もなく今度行くよ、と返事をし
ていそいそと出かけた。
 そこで、宇賀神みよと出合ったのだ。
 チェーン店ではないクラシカルな喫茶店は入るのに少し勇気が要ったが、いざ入ってみるととても居心地の良
い空間だった。
 カウンター内では、恐らく店主であろう壮年の男性がコーヒーをたてており、その横で村田が食器を拭いてい
た。
「村田さん?」
「あ、平君」
 にこりと笑って手を振ってくれる姿はやはり煌いて見える。思わず緩んでしまう頬を引き締め、カウンターに
近寄った。が、村田の前には小柄な少女と、どこかで見たことのある男性が座っていたため少しずれた席に座る
事になる。
「バンビ、誰?」
「あれ?みよ、平君のこと知らなかったけ」
 しらない、と言って見上げてくる少女は綺麗な顔立ちをしている。一言で言うとお人形のような子だ。華奢な
体に小さな頭、つるりとした肌と艶々の髪の毛、長い睫に縁取られた大きな猫目は不思議な色をしている。
「はじめまして、平健太です」
 初対面の人にはまず挨拶、と平が頭を下げると、すっと目を細めた宇賀神は思わぬ事を口にした。
「平健太、八月八日生まれの獅子座、血液型はA」
 ぴたりと個人的な情報を当てられぎょっとする平の様子に、村田がくすくすと笑う。
「驚いた?みよの特技なのよ。文化祭で占いの館とかやってたの」
「―あ、ああ、あの当たるって評判の!」
 それは平にも覚えがあった。プロ顔負けの占い師は確かに噂に上っていた。その本人が、まじまじと平を見上
げている。
「な、なに?」
「凡庸ね。でもそれが取り得、つまらないといえばそうだけれど」
 辛らつな言葉を吐いて、彼女はぷいと村田の方を向いてしまった。
 あまりの言われようにぽかんとしていると、宇賀神の向こうで本を読んでいた男性が笑い始めた。
「なんだ、君にも普通の友達が居たんだな。花椿やらこの占いっ子やらクセのあるのばかりだと思ってたが」
「何ですかそれ」
 ぎゅっと眉を寄せて男を睨む村田の表情は、しかし甘さを含んでいる。これはもしかして、と平が思うと同時
に、宇賀神が口を開く。
「あなたには残念なお知らせだけど、その予想は当たっているわ」
「あ、ああ?」
 つくづく不思議な子だな、と思った。面白いほどに思考が読まれている。
「え、えっと…。うん、私が好きな人、ね」
「まあ、そういうことだ」
 赤くなってしかし幸せそうに言う村田とさらり関係を肯定する男に、僅かに心が痛んだ。失恋なんて言うのは
おこがましいが、もしかしたらと言う気持ちが砕かれた。
 やがて注文したコーヒーが村田の手で目の前に置かれる。銀のピッチャーからミルクを入れて、かき混ぜると、
澄んだこげ茶が見る間に白くにごっていく。それが自分の心と同じようで、悲しくなってしまった。
「そんなに落ち込まないで、バンビが困るでしょう」
「…そうだね」
 村田が悲しそうな顔をするのはいやだ、無理に笑うことはないけれどせめて平静にしていようと平は顔を上げ
る。
 一方、宇賀神は驚いていた。失恋したての彼にきつい言葉を放ったつもりだったのに、あっさりと肯定されて
しまったからだ。しょんぼりした顔文字をそのまま貼り付けたような顔を、なんとか普通に戻して平とかいう男
は村田と話を始めた。
 ばかなのか、素直なのか。
「平君もみよも二流大だけど、学校の中で会ったりしないの?」
 ふと疑問に思ったらしい村田が、何気なく質問した。
「ううん、とにかく人が多いからねー。全学部共通講義とかもうはばたき学園の全校集会並みだよ」
「そう」
 へえと素直に感動する村田に、宇賀神は溜息をつく。
「人が多すぎて気持ち悪くなることもある」
「確かに、学食とかロビーとか凄いもんね」
 うんうん、と頷く平にすこしいらつく。中々順応性が高く程ほどに懐こいらしい彼は、さりげなく会話に入っ
てくる。
 その後もちょくちょく合いの手を入れる男と大学生三人は暫く話し続けたが、夕方になり喫茶店が忙しくなる
時間に入った時、自然と解散になった。
 じゃあ、と手を上げて去っていく男を見送り、帰る方向が偶然一緒だからと平は宇賀神と歩き始めた。特に会
話はないが気にならず、バス停へと向かう。
「気付かなかったの」
 ふと、宇賀神がそう口にした。
「何を?」
 そう答えた平に、はぁとあからさまな溜息をついて彼女は首を振った。
「藍沢秋吾」
「…あ」
 先ほどまで一緒に居た男が、雑誌やテレビで見る有名人の顔とダブる。
「あーー!」
「うるさい」
 べちんと腕を叩かれ、それでも驚きは止まなかった。
「え?で、村田さんの彼氏?」
「そう、あなたに勝ち目はない」
 わざわざ言わなくても、とがっくりした平をさすがに哀れに思ったのか、宇賀神は慰めともつかない言葉を口
にする。
「あなたの星とバンビの星は重ならない、あなたにはあなたらしい星のめぐりがある」
「…ありがとう」
 何を言われているのかは解らなかったが、気遣いを感じたので平はそう返事をした。
「じゃ、私はここからバスだから」
「うん、…宇賀神さん、じゃあね」
 特に連絡先を交換することもなく、そこでお別れだった。

 しかし、再会は意外に早くやってきた。
 村田にも言ったように、一般教養と呼ばれる全学部共通講義はとにかく受講生が多い。平はいつも早めに教室
へ入り席を取っているのだが、最終的には立ち見も出るほどになる。マイクと複数のプロジェクタを用いるので、
聴講自体は楽だ。講義の要点やプロジェクタに映される内容をノートに取り、適度な質疑応答と挙手でさくさく
と九十分が過ぎる。
 講義資料を纏め一緒に昼飯を食べようという友人からのメールに返信しながら立ち上がると、不意に腕を引か
れてびくっとしてしまう。
「平」
「うわ、宇賀神さん!」
 うわ、とは何、と睨みあげられ、ごめんと謝ってしまう。
「宇賀神さんもこの講義受けてたんだね」
「そう、あなたがいて助かった。ノート見せて」
「え、でも」
「真面目には聞いていたの。ただ、前の席が大柄な男ばかりで…」
 ああ、と納得する。平も一度、別の講義で前の人物が邪魔で板書きが見えなかったことがあるのだ。
「だから、ノート」
「うん、いいよ。次の講義の時返してくれたら」
「わかった、ありがとう」
 その時に、初めて彼女の笑顔を見た。目が細くなって猫のような表情が、非常に愛らしい。どきりとした胸に、
平は一瞬自分自身驚いた。
「これだけ人が多いと探すのも大変だから、メールで連絡した方が良いよね」
「そうね」
 ごそごそと鞄を漁って宇賀神が取り出した携帯には、可愛らしいマスコットストラップがついていた。辛らつ
な口調と彼女自身のシンプルな装いにミスマッチなそれが、妙に平の目に付いた。
 赤外線で連絡先を交換してからノートを渡すと、宇賀神は小さく手を振って去っていく。
「なんだ、意外と普通の女の子じゃないか」

シュガーシロップボイス

 宇賀神は声が甘い。
 言うことは辛らつで口調も媚がなくどちらかと言えば率直だが、声質だけは少女めいて可愛らしい。
『平、聞いてるの』
「あ、はい、ごめん」
 携帯電話のスピーカーから聞こえるその声に、一瞬で現実に引き戻される。
『どのあたり?正面から見てどっち?』
「左の真ん中あたり、あ…見えた見えた、ここだよ!」
 手を振ると、前の方から人並みを掻き分けて一生懸命に歩いてくる宇賀神が見えた。そのまま平の座る列に入
り、やっとの思いで着席する。
「…朝から最悪」
「仕方がないよ、バスが遅れたんだろ」
 そう会話をした後、丁度教授がひな壇に立った。
 今日はどうもバスが遅れたらしく、いつもなら早めに来て席を取っているはずの宇賀神もぎりぎりに教室へと
着く羽目になってしまったらしい。そこで、平に席を取っておいてくれとメールをしてきたのだ。勿論気安く応
じ、自分の隣席に鞄を置いて場所を取っておいた。
 ふと、宇賀神とは逆隣に座る男が小さく呟いた。
「チッ、彼女の席取りかよ」
 その僻みに、平はぞっとした。もちろん呟きは宇賀神にも聞こえていたらしく、ぼきんとシャープペンシルの
芯が折れる音がした。
 どんな事がおきても知らないぞ、と冷や汗をかきながら講義に集中していると、暫くしてがたんと隣の男が立
ち上がった。腹を押さえ物凄い勢いで教室の外へ出て行った彼に、ご愁傷様と心の中で唱える。
「朝、何か悪いものでも食べたのね」
「宇賀神さん…」
 愛らしい顔をにたりと歪ませ、鈴を振るような声がおぞましいことを口走る。
 ホラーだ。
 村田とのメールや何度か講義の後本人と会話して解ったのだが、星を読むという彼女はオカルト的なことを引
き起こすことが出来るようだった。宙に浮いたりとか光ったりとかそういうものではなく、今起きたことのよう
に、実に自然な形でそれは発露される。
「ホラーでもオカルトでもないわ」
 そして他人の思考を読む。特に平は行動が読みやすいらしく、十中八九心中を当てられてしまう。
 砂糖のような甘い声で恐ろしいことを告げる宇賀神のことを親友だと言う村田に、思わず畏敬の念を抱いてし
まった。

 体温

 平とは、講義を一緒に受けるうちになんとなく友達のような雰囲気になった。恐ろしく単純でどこまでも凡庸
な彼は御しやすく、しかし腹の探りあいなど一切しなくて良い気安さがあった。
 アルバイトを始めた平は、初給料全部と手持ちを合わせてスクーターを買ったと言った。講義の帰りに見せて
もらうと、これまた大学に沢山同じ種類のものが停まっている普通の二輪車で、とても彼らしいと言えた。
「でさ、人の紹介で買ったから値引きしてくれて、おまけもつけてくれたんだけど」
 そういって、自分の分ではないもう一つのヘルメットを座席下収納から取り出した。幾分可愛らしいそれをな
んといって渡されたのかは想像に易い。
「彼女に、と」
「そのとおりだよ、予定もないのにね」
 くしゃっと笑って、青年はくるくるとそれを回す。
 それは違う、とみよは僅かに首を振った。彼は恐ろしく普通な、一般的な星の下に生まれている。みよ自身や
カレンや雪代、はばたき学園の有名人らとは全く違うそれは、しかし堅実な人生のしるべともいえた。
 おそらく大学在学中に一人か二人彼女が出来、ほどほどの会社に就職し、二十代後半で結婚する。彼なりに波
はあるが、平凡な幸せが約束されている。
 しかし、それを口に出して伝えることはしない。先を知るということは彼の平凡を傷つけることにしかならな
いからだ。
「大丈夫、それが無駄に終わることはない」
「え?なんで」
 きょとんと尋ねてくる平に、少女は笑んだ。みよが星を読むことを知っていれば、言葉を未来のご宣託かと疑
うことも出来るのに全くそれをしない。
「…今から私が被るから。アナスタシア、知ってる?」
「はばたき学園の近くにあるお菓子屋さんだよね」
 言葉を誤魔化そうとすると、自分でも思ってもみなかったことが口からすらすらと出てくる。
「私、今からそこでアルバイト。あなたと話していたら、バスを逃した。送って?」
「え、あ?う、うん、運転は大分慣れたから、多分大丈夫」
 突然の展開に驚いているらしい彼の手からヘルメットを奪い、さっさと被ってしまう。が、顎ひもの調節が上
手くできずもたついてしまう。
「あ、ちがうちがう。こっちをひっぱってこう」
「む」
 悪戦苦闘するみよに焦れたのか、彼が手を伸ばし適度に調節してくれる。
「じゃ、行くよ」
「うん」
 スクーターに跨った平の後ろに、みよはちょこんと腰掛ける。最初のうちは手を離していたが、結構なスピー
ドに耐えられなくなりそっと平に縋った。
 そこでふと、人のぬくもりが懐かしいことに気付いた。高校在学時は、何かというとカレンが抱きついてきて
その体温に慣れていた。その彼女は今遠くニューヨークの地で夢の実現のため頑張っているから、人から抱きつ
かれるということはなくなっていた。
 この青年の体温も悪くない、みよはそう思ってほんの少しだけ凭れ掛かってみた。

 藍沢×バンビ(村田雪代)

 藍沢が呼ばれたレセプションパーティに雪代も同行した帰り、折角フォーマルな格好をしているからちょっと
いいものでも食べに行こう、と藍沢は高級住宅地の方へと車を走らせた。
「この辺に、琉夏君と琥一君、設楽先輩のご実家が有るんですよ、あとはば学の理事長の家も」
「へぇ、やっぱりはば学はセレブが多いんだな」
 はばたき市の山手にある高級住宅街が窓の外を流れていく。その街区の端にぽつんとある小さな100円パーキ
ングに車を止め、藍沢は雪代の腕を取って歩き出す。ピンヒールでつかれ切った足を引きずる彼女は、大人しく
寄りかかってきてくれた。
 そんな様子をこっそり見守る影が一つ。日本へ一時帰国し、天之橋邸へ顔見せに来ていた花椿カレンである。
 久しぶりに見るバンビはキレイになっていて今すぐにでもむしゃぶりつきたいが、横の男性が邪魔である、し
かし、カレン一人では上手くバンビとスキンシップが取れるように振舞える自信が無く、頼りになる親友に電話
をかける事にした。
「…あ、もしもし、ミヨ、あのねバンビがね、なに、わかってるって?じゃあ直ぐ来て、そのレストランの手前
の角にいるから!」
 何もかもをも見透かしたようなみよの返答を聞き、カレンは又二人を見つめる。カジュアルではあるが決して
安くはないビストロに、二人は入っていく。
 ほどなく、ぶろろろろ、と軽いエンジン音が聞こえ一台のスクーターがカレンに近寄ってきた。
「宇賀神さん、ここでいいの」
「いい、平にしては上出来」
 なにそれひどいなあ、と言いながら平はみよに手を貸す。小さめのスクーターだが、小柄なミヨを後ろに乗せ
るくらいは出来るようだ。
「平!ミヨ!」
「あ、花椿さん。村田さんが藍沢先生とデート中なんだってね」
 そうなのよー、と嘆きながらカレンはみよと身振り手振りを交えてでこれからの算段を話し出す。
 すっかり放置されてしまい、その横で帰ろうかどうしようかと平は悩む羽目になる。最近みよの便利屋にされ
ているような気がするが、気にしない事にしていた。
 いかに藍沢をいなしてバンビを二人占めするかについて真剣に話す女子二人に、これは完全に自分の出る幕で
はないと思いじゃあ俺は帰るから、と告げスクーターに跨ろうとした、が。
「ちょーっとまて」
「帰るな」
 ゆらり、と立ち上がった二人は平の腕を掴む。
「平がいた方がバンビも気が休まるよね」
「平、バンビに会いたいでしょう」
 有無を言わせぬその迫力に、首を振ることすらできずに硬直してしまう。
「今からちょっと天之橋邸にお邪魔して、セミフォーマルに着替えるから、ね」
「そして店に突入、藍沢を突破した後バンビを捕獲」
「ええ、何でそんなに物騒なんだい!」
 スクーターごとずるずると引きずられるように平は天之橋邸へと連れ込まれた。

 音も無く木製の厚いドアは開き、一歩踏み出した平の足を、毛足の長いじゅうたんが包んだ。きちんとしたレ
ストランに来たことのない平はそれだけで竦んでしまい、足を止めてしまう。
「平、ちゃんと歩きなさい。それにもうネクタイ曲がってる」
 ちょっとつま先立ちして、みずいろのドレスを着たみよが平のネクタイを引っ張る。
「う、宇賀神さん、ここめちゃくちゃ高いんじゃ…」
「二人で軽く飲んで一万円。このレベルのレストランにしては良心的」
 軽く飲んで一万とは、しがない大学生である平には気軽に来ることなど到底出来ないレベルの店だ。
 ひぃーと息を呑む青年にも構わず、みよとカレンはウェイターに話しかけている。
「三名様、ご案内いたします」
 そう言って通された席は、丁度藍沢と雪代の席を斜めに見ることが出来る席で、しかも観葉植物でこちらの姿
が見えないようになっていた。
「わたしが先にトイレに立って、偶然を装ってバンビに話しかける」
「そしてカレンさんが颯爽と登場というわけだ」
「で、タイラーは荷物番」
 結局そんな役割か、と溜息をつく。しかし久しぶりに見た、しかもドレスのようなワンピース姿の村田はきれ
いで、まあいいかなんて思ってしまう。向かいに座っている藍沢も凄く大人の余裕を持っているようで、あれな
ら自分のように他人の目を気にする必要もないし、素敵過ぎる村田の魅力に負けたりしないんだろうな、と羨望
のまなざしで見つめた。

「あれぇ〜、ミヨちゃんどしたの?機嫌悪い?」
 ぼーっとバンビを見つめる平の横で少しむっとした表情を浮かべるみよに、鋭いカレンはこっちの二人も面白
いかもと好奇心の矛先を向ける。
「悪くない。じゃあ、私行くから」
 がたんと立ち上がってトイレへ向かうみよの後姿を見て、これはもしかするかもとニタリと笑う。
「あー、平君平君」
「ん、あ、何?花椿さん」
「カレンさんから君に、灯台下暗しと言う言葉を送ろう」
 はぁ…と、訳がわからないという風に返事をする平の額を、カレンは思い切り指で弾いた。

 あの一等星を

 雪代の働く喫茶店に、藍沢はちょくちょく出かける。目当ては彼女だけではなく、単純にコーヒーが美味しい
のとマスターの人柄が良いのも魅力だった。
 土曜の午後、外は夏の夕立で駆け込んでくる客もなく、二三人がゆっくりとした時間を楽しんでいた。マスター
は銀食器の磨き上げをはじめ、雪代は藍沢と喋りながらナフキンを折っていた。
「へえ、あの青年が占いっ子と」
「そうなんですよ、私もビックリで」
 春先にここで知り合い、先日居合わせたレストランで所在無さげにしていた青年を藍沢は思い出していた。濃
い面子の多い彼女の知り合いの中で稀有なほどに凡庸な印象であったし、作家業という自閉傾向の強い世界に生
きている藍沢にはとても珍しい生き物に見えた。反対に、あの占い娘はあくの強すぎる人間だ。オカルトに片足
を掛けつつ、一般社会にも順応して生きている賢さがある。
「両方からメールが来るんですけど、お互い手探り状態で見ていて微笑ましいです」
「―まあ、そうだろうな」
 と、その瞬間からんとドアベルの音が来客を告げた。
「いらっしゃいま…、あれ」
 噂をすれば何とやら、とびしょぬれになった平とみよが喫茶店に入ってきた。音もなくマスターが動き、タオ
ルを持って二人に近づく。
「あ、すみません!」
 ぺこぺこと頭を下げる青年は、ごく自然に受け取ったタオルを少女に渡した。それを見て薄く笑ったマスター
は、もう一枚のタオルを手品のように取り出し彼の頭の上に被せた。
「わ、わぁ」
「ばか、うごかないで」
 慌てる平へみよが文句を言うのを尻目に、静かにカウンター内に戻ったマスターは湯を沸かし始める。
 平がスクーターのヘルメットを二人分持っている所を見ると、運転中に夕立に逢ってしまったのだろう。入り
口のマットの上でざっと体を拭く間にも、みよはなにやらぶうぶうと平に当り散らしているようだった。
「ミヨ、夕立は平君のせいじゃないよ」
「あ、村田さん」
 フォローをした雪代の声に、ぱっと青年が顔を上げる。その嬉しそうな顔に、余計イラついたのかみよはます
ます不機嫌そうになる。まるで昔の青春ドラマか安い恋愛小説のような光景に、藍沢はつい笑いを堪えきれなく
なってしまう。
「はは、大変だったな」
「あ、こんにちは。藍沢先生」
 二人がカウンターに着く頃には、温かいコーヒーとココアが用意されていた。ついでに、と藍沢のカップも取
り替えられる。
「いつもので良いのよね?」
「ありがとう、村田さん。はは、なんだかいつもの、って恥ずかしいな」
 楽しそうに雑談する雪代と平を見ながらココアをすする少女は、藍沢にぽろりと嫌味を言った。
「いつもここに居るのね。暇人」
「そうでもないさ」
 チクリと刺す様な言葉などものともせず、藍沢は笑って返す。
「まあ、なんだ。彼の一等星は俺が奪ってしまったが、君は隣に立てているじゃないか」
「回りくどい言い方」
「そういう商売やってるもんでね」

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